第二十五話 再会
目が覚めるても、部屋の中は薄暗いままだった。
開けっ放しの窓から顔を出し、外の空気を肺に入れる。
見上げた空は相変わらず暗雲に包まれていて、とうに日は昇ってるはずだというのに薄暗い。
今日が特に曇っている訳でもなく、こっちに来てからはずっとこんな空模様だ。
集落の中を見れば、通りの真ん中で二人の岩石人間達が、通りに置いてある筒状の楽器から流れる音楽に合わせて体を動かしていた。
重厚な外見に反して、軽快な動きでリズムに乗っている。
一週間ほどここで暮らして、この集落のことが少しは分かってきた。
相変わらず言葉は通じないままだが、身振り手振りなどで意思疎通くらいならどうにか可能になっている。
体を使った感情表現など、彼らの行動が殆ど人間に近いのは幸運だった。
けれど、大きく違う点もFある。
どうやら彼らには、武力で揉め事を解決するという概念が存在していないらしい。
彼らの間では、あの音ゲーで全ての争い事を解決しているのだ。
通りにはいくつも筒が置かれ、いつでも音楽が奏でられるようになっている。
にしても、あれの上手さが彼らの中で何故重要視されているのだろうか。
あんなものが上手に出来たからって、生活の中で役に立つとは思えないのだが。
ワンミス即死の刺地獄を乗り越えたことで、俺は特別な存在だと認められていた。
彼らの様子からすると、あの処刑で生き残ったものは今までいなかったようだ。
命の危険は去り、集落の中でも大きな家を住処として与えられた。
茶色い土壁が剥き出しの内装や、固い岩で作られたベッドなど、お世辞でも快適とは言えない場所だけど、無いよりはマシだ。
街を歩いるだけで捕まることはなくなり、逆に尊敬を込めた視線を受けるようになっている。
音ゲーの上手さが社会的地位に直結する世界なんて、実にゲーム的というかなんというか。
彼らは食事をせず、特に栄養を補給している様子も見られない。
もしかすると、地に根を張った植物のような構造をしているのかもしれないな。
こちらも栄養補給の必要が無くて助かった。
とは言っても、何も食べられないのは少し寂しいけど。
彼らの文化体系についても、ある程度は分かってきた。
人間のように階級があり、どうやら岩<鉱物<金の順に地位が高くなっているようだ。
岩が一般市民、鉱物が役人、金が指導者……のようなものだろうか。
周りの環境が落ち着いてくると、余計なことを考える余裕も出てくる。
ここは何処なのか、あれからナルク達はどうなったのか……
そもそも、ここは前いた場所と同じ世界なのか?
明らかにゲームのジャンルは変わってるし、相変わらずメニューは開けない。
元の世界に帰るどころか、どんどん妙なことになってるよな。
と、何処かで聞き慣れない大きな音楽が鳴り始めた。
オーケストラ風の重厚な音楽は、村全体に響く程の音量がある。
音がする方に近づいてみれば、丁度集落の入り口近くに何人もの岩石人間達が集まっていた。
集まった人々の中心にいたのは、巨大な黒い何か。
その姿を見て、俺は思わず声を上げていた。
「カトラ!?」
全身を覆う漆黒の鱗と、背中から生えた二対の羽に、両手に生え揃った凶悪な爪。
見間違える筈も無い、悠然と立つ黒い龍の姿は、かつて洞窟で出会ったときのカトラそのものだった。
「お前は……」
群衆の中からこちらの姿を見つけたカトラは、まじまじと俺を見つめると。
「お前は何だ? 何故我の名前を知っている?」
まるで俺のことなど知らないかのように、剥き出しの敵意を向けてきたのだった。
※
石造りの硬い椅子に座り、向かいに座るカトラの表情を伺う。
落ち着いた様子で椅子の上に正座したカトラは、建物に入る為に人間の姿になっていた。
部屋の中には岩や鉄で出来た家具が備え付けられていて、まるで応接間のようだ。
ここは、来客を出迎える為に作られた部屋らしい。
と、ここまで着いてきた鉱物人間の一人が、おずおずと俺達に話し掛けた。
言葉が分からず困惑するこちらをよそに、カトラはすらすらと返答していた。
鉱物人間はカトラと二、三言話すと、深々と礼をして奥に下がっていった。
鉱物人間達の案内で、俺達は村の入り口から集落のある建物に案内されていた。
会話する俺達の様子を見て、自然と関係を察してくれたのだろうか。
それとも、異邦人の揉め事に巻き込まれたくなかっただけか。
いずれにせよ、落ち着いてカトラと会話できるのはありがたい。
「どうした、呆けた顔をして」
「いや、その……カトラさんは、彼らの言葉が解るんですね」
俺がさっぱり分からない岩石人間達の言葉を、カトラはあっさりと使いこなして見せたのだ、驚かない方が無理だろう。
「当然だ、龍に分からぬ言葉など無い」
カトラは豊かな胸を張り、堂々と言い切る。
余りに自然で気付かなかったが、俺達と会話出来ていたのも龍の力が為せる業だったのか。
「しかし、我が貴様などに屈するとは……」
釈然としない様子のカトラは、こちらの存在を確かめる確かめるように何度も近付いたり離れたりしている。
にしても、どうしてカトラは俺のことを知らなかったのだろうか。
こちらに飛ばされた際に記憶を失ってしまったのか、あるいは……
「やっぱり、信じられませんか?」
こちらに向かう道中、カトラは俺の説明を黙って聞いてくれていた。
話だけでは、やはり信じきれないのだろうか。
前は『けいさん』があったから倒せたけれど、今の俺にカトラを倒せるかは分からないし。
「いや、貴様の言葉に嘘の色は無かった。もし虚言を呈していれば、この場で焼き尽くしていた所だがな」
ぎろりと睨み付けながらそう言われ、思わず背筋が寒くなる。
死んでも生き返れるとはいえ、生きながら焼かれるのは勘弁したい。
「カトラさんは、どうしてここに?」
「何、ただの物見よ」
悠久の時を生きる龍は、時に気の向くまま旅をすることがあるという。
カトラは何度かこの集落を訪れた経験があるらしく、岩石人間達とも顔見知りだとか。
机の上には、様々な鉱物で造られた調度品が置いてある。
そのうちの一つ、銀で出来た円形のプレートを、カトラはなんとはなしに手で弄んでいた。
「カトラさん、一つ聞きたいんですけど」
「何だ?」
「貴方は、人間という種族を知っていますか?」
「人間? 何だそれは?」
目を瞬かせ、きょとんとした顔で聞き返すカトラ。
ただ知らないというだけでなく、その単語自体を初めて聞いたような態度だった。
やっぱり、そういうことなのか。
心の内に抱えていた疑問が、一瞬で確信に変わる。
「それがどうかしたのか」
深刻な顔で黙り込んだこちらを見て、カトラは首を傾げて問い掛けた。
「どうやら俺は、未来から来たようなんです」
「ほう……」
カトラの目付きが変わり、弄んでいたプレートを机に置く。
「貴方が俺のことを知らないと分かって、微かな可能性が頭に浮かんだんです。それがはっきりしたのは――」
「人間という種族のことか」
「ええ、以前会ったときの貴方は、人間についてもはっきりと認識していましたから」
カトラが人間を知らなかったことで、ここに飛ばされたショックで記憶を失ったという説は考えから消えた。
最近会った俺の存在ならまだしも、人間という種族のことまで忘れているとは考え難い。
もし記憶を完全に失う程のショックを受けていたのなら、この集落のことも忘れている筈だ。
龍族は不老不死の種族であり、カトラは数千年を超えた遥か昔からこの世界に住んでいると聞いていた。
あの時と全く同じ姿なのも、それで説明が付く。
「信じ難い話だが、確かに嘘はついていないようだ」
俺の瞳をまっすぐに見つめて告げたカトラは、不敵な笑みを浮かべる。
「面白い、まさか時を超えた者と会えるとはな」
「こっちは絶望的な気分ですけどね……」
一気に上機嫌になったカトラとは対照的に、こちらの気持ちは沈んでいた。
まさか、過去にタイムスリップしていたとは。
単に遠くに飛ばされただけならまだしも、時間を移動していたなんて完全に予想外だ。
「それで、心当たりはあるのか? その、時を超えた原因について」
何処に興味を引かれたのか、カトラは楽しげに問い掛けてくる。
「多分……」
あるかと言われれば、一つ原因は思いつかない。
教国で行われていた、女神復活の儀式。
時を超えるまでの強大な力が、あの禍々しい魔方陣の中に渦巻いていたとは。
「そうだ、女神は、女神については知ってますか!?」
時を超える前、カトラは女神と旧知の中であるような発言をしていた。
この時代のカトラは、既に女神と会っていないだろうか。
「女神?」
「確か名前は……ミトレーヤです」
「ミトレーヤ? それなら知っているぞ」
カトラに女神の名を告げると、あっけらかんとした答えが返ってきた。
「本当ですか!」
「ああ、そんなにあいつに会いたいのか?」
「ぜひ!」
暗雲に包まれていた状況に、一筋の光明が差した。
女神に会えれば、この前の時代に戻れるかもしれない。
それどころか、一気に元の世界に帰れるかも。
「なら、連れて行ってやろう」
勢い良く立ち上がったカトラは、俺の手を取り建物の外へ歩き出す。
「未来から来た男か、いい土産話になる」
くつくつと笑うカトラに引きずられ、あっという間に屋外へ連れ出される、
「あの、ここはもういいんですか」
まだこの集落に着いたばかりだと言うのに、もう帰って良いのだろうか。
「気にするな、ここならいつでも来れる」
そう告げたカトラの体が、一瞬で龍の姿に変わる。
太い腕で体を掴まれ、硬い鱗で覆われた胴体に乗せられる。
カトラの体は一瞬で宙に舞い上がり、あっという間に空を包んでいた暗雲の上へと躍り出た。
「うわぁ……」
そこに広がっていたのは、一面の銀世界。
白い雲に日の光が反射して、きらきらと眩く光っている。
幻想的な光景を前に、思わず声が洩れる。
「さあ、行くぞ!」
感傷に浸る間もなく、カトラは凄まじい勢いで速度を増していく。
俺達は一筋の黒い矢となり、遥か彼方へと飛翔していった。