第二十三話 降臨の時
カトラが神殿の結界に衝突した、そのすぐ後。
神殿の中庭では、慌てて避難しようとする信者達を神官が宥めていた。
魔物は結界によって消滅したと説明されても、眼前まで迫った威容に恐怖を抱かない訳が無い。
この混乱が収束するまでには、相当の時間が掛かるだろう。
その光景を見下ろせる一室では、通常の神官より豪華な法衣を身に纏った男達が、円卓に集って会議を行っていた。
「まさか、魔物の脅威が神殿にまで伸びるとは」
これまでも、教国内で魔物が発生したという報告は会った。
だが女神教の総本山であるこの神殿が襲われたことは、他の場所が襲われるよりも大きな意義を持つ。
「魔物は、我らの動きに気付いて……?」
しかもこの日は、教国にとって重要なある儀式が行われる日だった。
「儀式の警護を密にせよ、絶対に邪魔されてはならん」
「はっ」
男達の命を受け、鎧を着た教国兵が早足で部屋を出ていく。
「女神よ、我らに救いを……」
両手を額の前で組み、一身に祈りを捧げる男達。
導きを乞う迷い子達の声が、室内全てを満たしていた。
※
中庭で騒いでいる信者達を見て、カトラが苦々しげに呟く。
「奴らめ、我を魔物等と呼ぶとは」
信者や神官たちは、今回の事を魔物の襲撃だと思ったようだ。
龍について知らないのだから仕方ないのだが、それを伝えてもカトラの怒りは収まらないだろう。
「しっかし、ほたてにはまた助けられたな」
服に付いた土埃を払っていると、感嘆した様子のユイカに声を掛けられた
「大したことじゃない」
あのとき、結界に衝突してカトラは気を失い、俺達は為す術も無く落下していた。
「お、落ちてるっ!?」
慌てたユイカの叫びを聞き、逆に冷静さが戻った。
瞬時に『けいさん』を発動し、地面に向かって思いっ切り木刀を投擲する。
木刀は空気を切り裂いて大地に突き刺さり、狙い通り土砂や岩石が巻き上げられる。
舞い上がった岩石を蹴り付け、空中で跳躍。僅かな面積でも、『けいさん』を使えば立派な足場になる。
それを何度か繰り返して、気を失っていたカトラと落下していたユイカを回収した。
元々壊れているものはともかく、自分が装備している武器ならどれだけ雑に扱っても壊れない。
実にゲーム的な仕様だが、今回はそれで助かった。
地面へ垂直に突き刺さった木刀には、傷一つ付いていなかった。
元気に話すユイカとカトラを見て、ほっと一息ついたとき。
「……っ!?」
「大丈夫か?」
唐突に意識が混濁し、ふらついた所をユイカに支えられる。
「あ、ああ」
いつも訪れる『きおく』の反動だが、今回は少し大きかった。
そこまで長時間使った筈じゃないんだけどな……
「それで、ここからどうするのだ?」
「ナルクを助けないと」
カトラの問いに、聳え立つ神殿を見て答える。
ここのどこかに、ナルクが囚われているはずだ。
幸い神殿の内外では、魔物の襲撃に動揺した信者達が右往左往している。
この機に乗ずれば、中に入り込むのも容易だろう。
おもむろに外壁を見上げると、描かれた女神のモザイク画が日の光を受けてきらきらと輝いていた。
今ここに蘇ろうとしている彼女は、果たしてどんな姿をしているのだろうか。
出来れば、それを見ずに済ませたいところだけど。
※
ほたて達が神殿への侵入を果たした頃、神殿の屋上で。
普段は展望台として一般に開放されているここが、いつもと違う異様な雰囲気に包まれていた。
床には巨大な魔方陣が描かれ、重厚な法衣に身を包んだ男達が円を描くように立っている。
男達の中央には、いつか着せられていた服装と同じ法衣に身を包んだナルクの姿があった。
顔の上半分は紋章の描かれた薄い布で隠されており、相変わらず表情は見えない。
感情を無くしたかのようにじっと立つナルクのすぐ傍では、年老いた男と若い男が言い争っていた。
「お待ち下さい、まだ巫女としての覚醒は不十分なのですよ」
「もう猶予は無いのだ、お前も見ただろう、恐ろしい魔物の姿を」
ナルクを庇うように立つ若い男へ、長い髭を生やした白髪の男は諭すように話し掛ける。
「もっと早く貴女を連れてこられれば良かったのですが」
そう言って、若い男は気遣うようにナルクを見る。
「全ては忌まわしき魔物の仕業だ、奴らが先にあの村を……」
と、屋上の扉を守っている筈の教国兵が、慌てた様子で駆け込んで来た。
「ほ、報告致します、何者かが警備を突破して……ぐえっ!?」
教国兵が台詞を言い終わる前に、重厚な扉が大きく吹き飛ぶ。
凄まじい勢いで飛来した扉は、教国兵の後頭部に当たってようやく静止した。
反動で浮き上がった扉が地面に落ち、軽い金属音を立てる。
屋上に集まった者達に緊張が奔る中、開け放たれた扉の中から現れたのは――
※
薄暗い神殿の通路を走る俺達に対し、武器を構えた教国兵が次々と襲い掛かってくる。
それを避け、いなし、時に反撃しつつ、一直線に通路の先へ進んでいく。
「もう少し穏便に行くつもりだったのに……」
神殿に入った俺達は、『一般の参拝者の侵入は禁止しております』という掲示から一歩先へ進んだ瞬間、武装した教国兵に取り囲まれていた。
交渉しようと口を開くよりも先に、駆け出したユイカが教国兵を殴り飛ばしていた。
それからは、説明するまでも無いだろう。
「今更言っても遅い、だろっ!」
ユイカは楽しげに吐き捨てつつ、後方から飛びかかって来た教国兵に蹴りを浴びせる。
「どうやら、余程我が力を知りたいと見える」
殺到する教国兵を避けもせずに悠然と進んでいくカトラは、人間の姿を保ったままでも圧倒的な力を見せていた。
教国兵の放つ攻撃は例外なくカトラの体を覆う黒い炎に防がれ、おもむろに手を翳すだけで、十数人の教国兵が壁を突き破っていった。
「あくまでナルクを助けに来たんです、やり過ぎないで下さいね」
「承知しているさ」
と、一本道だった進路が、前方で幾つかに分かれた。
このまま真っ直ぐ進んでいく道か、階段を登っていく道か……
何の手掛かりも無かったが、進む方向は教国兵を見れば分かった。
階段の手前で、教国兵達が横一列に並んで壁を作っていたのだ。
その様子を見れば、何処が重要な場所かは一目瞭然だ。
「階段へ!」
「ああ!」
「分かった」
木刀を振りかざし、戦闘に立って教国兵の壁へ突っ込んでいく。
前列の兵士が両手で構えた重厚な盾を一振りで粉砕し、脇から突き出された槍を見切り、上方から飛来する火球を避ける。
何百段もある階段を、教国兵と戦いつつ登っていく。
十数分程登り続けただろうか、階段はようやく終わり、正面に重厚な扉が現れた。
扉の正面を守っていたのは、豪華で重厚な鎧を身に纏った兵士。
鎧には色鮮やかな宝石が埋め込まれ、強力そうな戦斧を軽々と片手で担いでいる
「俺の名はレームダ……」
「うるさいっ!」
鎧の男が何か喋りかけたが、それに構っている暇は無い。
階段を登り始めた頃だろうか、『けいさん』が導き出す情報が、全速力で先に行けと告げていたのだ。
具体的な理由は分からないけど、ここまで切羽詰まった警告を発されたのは初めてだ。
そんな訳で、鎧の男にはさっさと退場を願った。
戦斧が振り下ろされる前に懐に入り込み、足元から体を持ち上げて階段の下へ放り投げる。
「えっ!? うわぁぁぁ……」
男は情けない声を上げつつ、階段を転がって視界から消えていった。
そのまま扉を開けようとしたが、重厚な扉は押しても引いてもびくともしない。
本来なら鍵なり何か仕掛けを解くなり必要なんだろうけど……
「そぉれっ!」
さっきから言っているが、今は一秒でも時間が惜しい。
木刀を思いっ切り扉に振り下ろし、無理やり道を切り開いた。
片方が丸ごと吹き飛んだ扉を通り抜け、一気に屋上へ踏み込む。
そこにいたのは、白い法衣を纏った何人もの男達と、そして――
「ナルク!」
男達の中心に、刺繍の刻まれた法衣を着せられたナルクの姿があった。
顔の下半分しか見えなくても、それがナルクだと直感で理解出来た。
「こうなれば……儀式を開始せよ!」
駆け寄ろうとする俺の耳に、老人のしわがれた声が届く。
次の瞬間、足元に描かれていた魔方陣が紅く輝き、ナルクが光の壁の中に消える。
「うわっ!? 何だこれ」
「この魔力は、一体……!?」
追い付いてきたユイカ達も、この状況に困惑している。
「くそっ、ナルク!」
溢れ出す光に構わず、一直線にナルクへ駆け出す。
そのとき、地上から立ち昇った光が天空に届いて、空に地上と同じ魔方陣を描いた。
二つの魔方陣は一層強く光り輝き、視界の全てが紅に包まれて――