第二十二話 飛翔
「うっひゃー! すげぇな!」
凄まじい勢いで後方に流れ去っていく景色に、ユイカは歓声を挙げながら見惚れている。
鼓膜には、吹きすさぶ風の音が絶え間なく響いていた。
今俺達は、天空を飛翔するカトラの背に乗っていた。
教国を目指す旅路の途中だと伝えると、カトラは自分の体に乗っていくように提案してくれたのだ。
さっきまでの険しい山道から一転、快適な空の旅にユイカは上機嫌だった。
「カトラさん、色々聞きたいことがあるんですけど」
「カトラで良い、既に我はお主の下部なのだからな」
龍の顎は全く動いていないのに、カトラの声は直接脳裏に届いていた。
恐らく、念話のような魔法をつかっているのだろう。
「は、はぁ」
人間の格好ならそこまで変に感じない台詞も、この姿で言われると違和感が凄い。
さっき見たカトラの姿は、どう見ても人間の少女だった。
背は俺より少し低いくらい、横一線に切り揃えた黒髪と琥珀のような瞳は、どこか近寄り難い雰囲気を漂わせていた。
一番強く脳裏に刻まれたのは、背格好に似合わぬ緩急の付いた体の線だったけど。
「まず、我について語らねばならんな」
「一言で表すならば、我はそこの角女とよく似た存在だ」
「オレが?」
自身に話の矛先が向き、景色を見ていたユイカが振り返る。
「亜人、ってことですか」
「まあ……そんな所だ」
「ったって、オレはあんたみたいにでっかくなれないぜ」
ユイカは、亜人の証である頭部の角を撫でながら呟く。
「当然だ、我は龍なのだからな」
カトラの答えになっていない言葉を聞きながら、亜人について考える。
亜人の中にも、色々な特徴を持った者がいるのだろうか。
ユイカのように人間と殆ど変わらない背格好のものもいれば、カトラのように大きな違いがあるものもいる。
前亜人の村に行ったときには、あまり村人と触れ合わなかったからな。
「その、さっきから言ってるリュウってのは何なんだ?」
「我らを知らぬと? そこまでの年月が経ったと見るべきか、或は貴様の見識が浅いのか……」
別の世界から来た俺は例外として、この世界の人間は龍について知らないようだ。
そういえば、図書館で読んだ本にも龍なんて出てこなかったような。
こうやって存在していた龍が忘れ去られる程の年月とは、いったいどれだけのものなのだろう。
「言ってる意味は分からねぇが、何か馬鹿にされてるような……」
カトラの言葉から嘲る意図を何となく感じ取ったのか、ユイカは首を傾げつつ不機嫌な表情になる。
「き、気のせいじゃないか」
カトラの真意を正直に言える筈も無いので、適当に誤魔化しておく。
「龍とは万物の主であり、世界の理を総べるもの。……本来なら、ただの人間に負ける訳が無いのだがな」
「ふーん、まるで女神みてぇだな」
重厚な雰囲気を纏ったカトラを前にしても、ユイカはいつも通りあっけらかんとしている。
あまりに自然で意識してなかったが、全く怯まないユイカは割と凄いような。
「女神か、懐かしい名だ」
昔を懐かしむような、少しだけ悲哀の混じった声でカトラは女神を呼ぶ。
「そういえば、さっき女神の使徒がどうとか言ってましたけど」
「ああ、あやつによって選ばれた戦士の名だ。お主はそうではないのか?」
かつて魔物と女神が戦いを繰り広げていた時代には、女神によって力を与えられた人間が何十人も存在していたという。
彼らは例外なく異能の力を持ち、常人の何倍もの戦果を挙げたそうだ。
「俺は……」
ここに飛ばされた件も含め、今までの出来事に女神の意図があったことはほぼ間違いないだろう。
『けいさん』や『きおく』は、女神の使徒に与えられる力だと説明が付く。
けれど、教会や遺跡での会話は余りにも一方的過ぎて、細かい事情まではさっぱり分からないままだ。
靄のような不信感を抱えているままでは、カトラの言葉にすぐ返事が出来なかった。
「そんな事より、あんたは魔物について何か知らないのか? 女神を知ってるってことは、あいつらも知ってるんだろ?」
ユイカは言葉を濁した俺を横目で見て、露骨に話題を逸らした。
気遣いかは分からないが、どちらにせよありがたい。
「ふむ、奴らが再び目覚めたか」
「知ってるんですか?」
「我が同朋達も、奴らと戦って次々と命を落とした。我があそこで眠っていたのも、その戦いの傷を癒す為」
カトラの語る荘厳な言葉には、遥かな時を重ねた重みが含まれていて、とても嘘や偽りには思えない。
女神教の言い伝え通り、過去に魔物との戦いがあったことは事実のようだ。
「全ての命が一つになった戦いを経ても、奴らを完全に滅ぼすことは叶わなかった」
カトラの声が、悔いを含んだ苦しげなものに代わる。
「どうして、そこまで」
「悔しいが、奴らについて我らは何一つ分からなかったのだ。奴らが何故発生し、何を目的に戦っているのか……どうやって動いているのかさえ、全くの不明なままだった。ただ一つ分かったのは、自分達以外の全てを破壊せんとする悍ましき意思だけ」
それは今も同じだ。今の俺達も、魔物にについてはさっぱり分からないまま。
「あ奴が命を懸けて為した封印が、また破られることになるとはな」」
「でも、女神も復活するって」
女神教の言い伝えによれば、一度死した女神は舞い戻ってくるらしい。
その伝承のせいで、ナルクが攫われてしまったのだけど。
「何? そんな話は聞いたことが無いぞ」
「え?」
魔物が復活すれば女神も再び降臨する、という女神教の教えを伝えると、カトラは暫し沈黙し。
「ふむ……あ奴ならやりかねんが」
女神の復活についてカトラが知らないのなら、女神教はカトラが眠った後に成立したのだろうか。
「おっ、街が見えてきたぞ」
と、ユイカが身を乗り出して地上を指差した。
釣られて下を見ると、今まで殺風景だった地上の景色が、段々と鮮やかなものに代わっていた。
人々が暮らす建物の色や、鮮やかに色づいた作物の色。
様々な色が混ざった光景は、地上から遠く離れたここでしか目に出来ないだろう。
「お主等の目指す場所は、どの町なのだ?」
セーリットの予測では、ナルクは教国の首都であるダーバヤッタに囚われている可能性が高いらしい。
「確か、大きな神殿があるそうです」」
宗教国家である教国の首都には、全国民の信仰を集める巨大な神殿が建立されているそうだ。
その大きさは、地平線の先からでも見ることが出来るとか。
「あれじゃないか」
ユイカが指さした先には、遥か遠くからでもそれと分かる荘厳な建物が見え始めていた。
周囲の建物がまだ点にしか見えないというのに、その神殿ははっきりと形が確認できる。
最も高い部分は恐らく100mを越え、横の広さもそれ以上はある。
「……どうやら、お主等が来ることは想定済みだったようだ」
カトラが意味深な言葉を呟いた、次の瞬間。
龍の体が空中で急停止し、目の前に突如白い壁が現れた。
「こいつら、あのときの!?」
壁のように見えたのは、縦横に並んだ白い鎧の男達だった。
現れた男達は、平原で革命、帝国両軍を無差別に襲った天使と同様の格好をしている。
「さて、どうする?」
急停止したカトラに対し、天使達は円を描くように囲み始めた。
周囲全てを包囲した天使達を見て、カトラは不敵に問いかける。
「何が立ち塞がろうと、止まる訳にはいかない」
こうしている間にも、ナルクは苦しんでいるかもしれない。
今、立ち止まっている暇は無いのだ。
「承知した!」
カトラは一瞬体を翻すと、天使たちの間に勢い良く身体を差し込んだ。
武器を構えて応戦する天使たちにも構わず、カトラは凄まじい勢いで突き進んでいく。
「よし、行ける!」
気が付けば、神殿まであと少しという所まで近づいていた。
近くに来ると、神殿の異様さが良く分かる。
優美で絢爛で煌びやかな神殿は、神に捧げるものというよりも、RPGで出てくる魔王の城のように見えた。
「このまま突っ込むぞ!」
「えっ、ちょっと待って!?」
ユイカの制止も聞かず、カトラは速度を緩めずに神殿の壁へ突進する。
視界全てが神殿の壁に包まれ、思わず目を瞑ったとき、鼓膜が破れるかと錯覚する轟音が鳴り響き。
「け、結界だと……!?」
カトラの体は、神殿に衝突する直前で阻まれていた。
一瞬空中に現れた薄い壁が見えたかと思った瞬間、カトラの体は平衡を失い。
「う、うわぁぁー!?」
俺達の体は、重力に惹かれるまま地上に落下していった。