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第二十一話 黒き驚異との対峙

 帝国北部に構築されたイエセルナ街道。

 帝国と教国に連なるこの街道は、平時であれば行商人や旅行者がぽつぽつと通行しているだけの穏やかな風景が広がっていた。

 だが今、その面影は微塵も残っていない。

 帝国を滅ぼさんとする教国軍が、凄まじい量の兵員を動員していたのだ。

 街道を埋め尽くす教国軍は、熱に浮かされたように進軍を続けている。

 その動きは奇妙なほどに統制されていて、全員が一つの生き物のようでもあった。

 

 「我らが神の名の元に、不敬なる帝国を滅ぼすのだ!」


 戦闘に立つ指揮官が気勢を上げれば、怒涛の如き歓声が沸き上がった。

 彼らの目は一様に虚ろで、大きく見開かれた目の奥には不気味な光が点っている。

 女神教の教えでは、殉教者はもれなく楽園への転生が約束されている。

 神の為に戦うことは、彼らにとって喜びであり、人生の目標でもあった。

 女神教徒の慣わしとして、彼らの装具は純白に統一されている。

 まるで白い川が氾濫したかのような光景は、地平線の先まで延々と続いているのだった。


                           ※


 澄んだ空気が流れるここは、地上の雑然さとは無縁の静謐さが漂っている。

 空には太陽が爛々と輝いているのに、吐いた息が瞬時に白くなっていく程気温は低かった。

 

 「何だか凄いことになってるな」


 眼下の教国軍を見下ろし、防寒具を着こんだユイカがぽつりと漏らす。


 「神の為に戦うとか、本気で言ってんのかね」


 一糸乱れぬ動作で行進していく教国軍に、他人事のような言葉を吐き捨てた。


 「どうでもいいけど、落ちるなよ」


 今俺達がいるのは、帝国でも五本の指に入る高山、シントゥロム山の山頂近く。

 地上から何千mも離れた場所で、細い足場を踏み外さないようにどうにか進んでいる最中だった。

 命綱等の装備は無く、頼れるものは己の身一つのみ。

 身体能力が高い亜人のユイカであっても、全く安心は出来ない場所だ。


 「ったく、何でこんな場所を通んなきゃいけないんだよ」


 攫われたナルクを救う為、教国を目指し旅立った俺達。

 だが帝国から教国に至る道筋は、殆どが教国軍に占拠されていた。

 当然と言えば当然だが、これでは教国に辿り着けない。

 険しい山道を通るこの順路が、唯一教国軍の目を掻い潜れる道だったのだ。


 山を登り始めてから数時間後、生身の体であるユイカには、さすがに疲れが出て来たようだった。 


 「流石に疲れた、そろそろ休もうぜ」


 「休むたって、こんな所でどうやって」


 うんざりとした様子で呟くユイカへ、冷静に言い返す。

 見渡す限り雪と岩の景色の中では、少し休息を取るのも容易ではない。


 「ユイカ?」


 と、すぐ後ろいた筈のユイカの姿が不意に消えた。

 

 「おーい、こっちこっち!」


 声のする方に歩いていくと、山の奥に続く細い道があった。

 そのまま進めば、突き当りに大口を開けた洞穴が広がっていた。


 「ここなら確かに休めそうだ」


 薄暗い洞穴の内部は外よりも少し気温が高く、肌を刺す冷たい風も吹いていない。

 思わずしゃがんでしまいそうな低い天井には青白い氷柱が幾つも並んでいて、幻想的な美しさを放っていた。


 「三食昼寝付って訳にはいかないけどな」


 軽口を叩きながら、ユイカは洞穴の先へどんどん進んでいく。 

 洞穴はかなり深い所まで続いているようで、進む度に周囲は暗くなっていく。

 暫く歩いていると、先に仄明るい光が見え始めた。

 その光に向かって進んでいると、ある地点で空気の流れが変わり、視界が一気に開けた。

 

 「すげぇ……」


 天井の高いホールのような空間は、足元を含め全てが紫に輝いている。

 蛍光灯のようなそれは、自らが光を発している透き通った水晶だった。 

 見たことも無い景色に圧倒され、ユイカは目を見開いたまま静止している。

 それはこちらも同様で、荘厳さをも感じさせる光景に言葉も出なかった。


 と、一面全てを埋めていると思われた水晶が、前方の一角だけ存在していないことに気付く。

 地面の色と同化していて気付かなかったが、そこには黒い鱗に覆われた巨大な何かが鎮座していたのだ。

 地に伏せるように眠っている姿を見て、ユイカが思わず叫ぶ。


 「こんな所に魔物がいるのか!?」


 目の前のそれは、普通の動物とは明らかに違う姿をしている、

 大きさはゆうに3.40mを越え、背中と思われる部分には二対の大きな羽が見える。

 全身までは見えないが、その形は空想の世界でよく見る龍を思わせるものだった。

 放たれる圧倒的な威圧感は、魔物から感じるものと近しかった。

 

 「……いや、違う」


 だが、目の前の黒い影には魔物から感じる悍ましい気配が無い。

 それどころか、何処か神秘的なものすら感じられる。


 「ほう、少しはさかしい者がいるようだ」


 と、周囲の空気が揺れ、鼓膜を震わせる重厚な声が響き渡った。

 それと同時に、目の前の黒い龍がゆっくりと体を起こしていた。

 両手生え揃った凶悪な爪が、水晶の光を反射して爛々と輝いている。

 紫光を受け聳え立つ黒き威容は、堅牢な巨城をも思わせるものだった。


 「しゃ、喋った!?」


 「少々煩いぞ」


 「がっ……」

 

 不機嫌そうな声が聞こえたかと思った瞬間、ユイカの首に黒い雲のようなものが巻き付いた。

 

 「ユイカ!」


 「口を閉じさせただけだ、実害はない」


 その言葉に嘘は無いようで、ユイカは元気に両手を振り回しながらもごもごと抗議の言葉を発しようとしている。


 「貴様、只の人間ではないな」


 ユイカからこちらに視線を向けた龍は、試すように問い掛けた。


 「……だったら、どうするんです」


 「肯定も否定もせんか、面白い」


 こちらの返答に満足してくれたのだろうか。

 龍は鷹揚に頷き、考え込むように暫し瞳を閉じていた。


 「暇潰しだ、少し遊んでやろう!」


 が、どちらにせよ争いは避けられなかったらしい。

 かっと目を見開いた龍は、背中の羽を大きく羽ばたかせ、周囲の水晶を銃弾のように発射した。


 「ユイカは下がって!」


 ユイカを洞窟の奥に退避させ、連続で飛来する水晶を避けつつ接近する。 

 水晶の量は多かったが、『けいさん』を使えば他愛もなく回避出来る。 

 飛来した水晶の一つを空中で蹴って跳躍し、龍の胴体目掛け木刀を突き立てる。

 が、流石に木刀では龍の熱い鱗に傷一つ付けられない。

 鈍い音を立てて弾かれた木刀は、洞窟の天井に突き刺さって止まった。 

 もっと強い武器を持ってくれば良かったけど、今は後の祭りだ。

 

 「どうした、その程度か」


 「いえ、これは想定済みです」


 「何……?」


 余裕を持ったこちらの言葉を受け、龍が訝しむように目を細めた次の瞬間。

 天井から轟音が響き、群生していた水晶が一斉に落下した。

 木刀が効かないことなど、既に理解していた。

 本当の狙いは、壁の脆い一点を突き天井を崩落させること。

 

 「こんなもの、目晦ましにしかならぬぞ!」


 豪雨のように降り注ぐ水晶を受けても、龍は余裕の態度を崩さない。

 だが、これも囮でしかない。

 水晶と共に落下した木刀を再び掴み、龍のある一点を目掛け突きを放つ。

 龍の全身を覆う鱗の中には、喉元に一つだけ、他とは逆に生えている鱗があるという。

 俗に逆鱗と呼ばれるこの鱗は、無敵とも称される龍に備わった、たった一つの弱点なのだ。


 「貰った!」

 

 水晶の割れる高い音が絶え間なく響く中、それさえも掻き消してしまいそうな龍の声が、断末魔の叫びとなって周囲に轟いた。

 

                           ※


 土煙が晴れた洞窟に残っていたのは、バラバラになった水晶の破片。

 さっきまで一枚の絵画のように絢爛だった洞窟の光景は、見る影もなく無残に破壊されていた。

 おびただしい量の残骸に埋め尽くされたここは、まるで解体現場のようだ。


 「何故、止めを刺さなかった」


 逆鱗を貫こうとした木刀は、体に触れる数㎝前で静止していた。

 先程挙がった断末魔は、自らの死を悟った龍の先走りだ。

 

 「こっちには、殺す程貴方を恨む理由がありませんから」


 いきなり襲い掛かられたのには驚いたが、それでだれで殺すほど短気ではない。

 今は怒りよりも、目の前の存在に対して興味が湧いていた。


 「……貴様は、女神の使徒か?」


 「使徒かどうかは分かりませんが、女神に命令されたことはあります」


 聞き慣れない言葉で問いかけられ、言葉を選びつつ返答する。


 「やはり、面白いな」


 しみじみと呟いた龍の巨体が、全身から黒い煙を放ち出した。

 

 「我らが一族の掟を知っているか?」


 驚くこちらに、龍は再び問い掛ける。


 「一対一の決闘で敗北した者は、勝利した者に全てを捧げる」


 煙が収まったそこに龍の姿は無く、代わりにいたのは。


 「我が名はカトラ、掟に従い、お前に全てを捧げよう」


 驚きで言葉を失うほど美しい、黒髪の少女だった。

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