第二十話 救世の巫女
帝国にやって来たユイカから聞かされたのは、信じ難い言葉だった。
「ナルクが攫われたって、一体何があったんだ」
「実は……」
苦しげに顔を俯かせたユイカは、似合わない静かな語り口で話し始めた。
俺の帰りが遅いことを心配しながらも、ナルク達は王国に留まっていた。
ちゃんと我慢していたと本人は言っているけど、多分飛び出しそうなユイカをナルクが引き留めていたのだろう。
その間ただ待っているのも暇だし、俺が残していった資金も無尽蔵にある訳ではない。
体力が有り余っていたユイカは建築現場の下働きを始め、ナルクは丁度人手不足だった宿屋の手伝いを始めた。
事件は、そんな穏やかな日々の中で起きた。
いつものように買い物に出掛けたユイカ達に、見たことも無い服装の男達が襲い掛かって来たのだ。
ユイカも抵抗したが、十人以上はいた敵の前では多勢に無勢。
命こそ奪われなかったものの、ナルクを目の前で攫われてしまったという。
男達の行動は物取りのそれではなく、明らかに洗練されたものだった。
恐らく、最初からナルクのみを狙って行動していたのだろう。
「すまねぇ、オレの力が足りなかったから」
ユイカは深く顔を俯かせ、今までに無いほど落ち込んでいる。。
「何か他に覚えていることは無いのか? 襲って来た奴らの特徴とかさ」
「そうだな、確か……」
襲って来た者達の服装は、一様に足元まで覆われた純白のローブ。
全員が長い杖のような武器を持ち、高度に連携した動きで襲い掛かって来たという。
「た、多分それは、き、教国だと思う」
と、セーリットがおずおずと会話に入って来た。
「分かるのか!? 教えてくれ!」
「え、ええと……」
物凄い勢いで詰め寄るユイカに、セーリットはたじたじになっている。
まあ、ああいう猪突猛進型には免疫が無さそうだしな。
「ユイカ、落ち着いて」
「わ、悪ぃ」
ばつの悪そうな顔でぽりぽりと頭を掻くユイカを見て、セーリットはぎこちない笑みを浮かべていた。
「ユ、ユイカさんの言ってた服装は、教国のせ、聖職者が身に付けているものに、似ています。それと、教国には、きゅ、救世の巫女っていう伝承があって……」
救世の巫女、それは女神が現世に降臨する際に必要な依代。
復活の時を迎えたとしても、女神はすぐ現世に現れる訳ではない。
まず女神は、人間の少女をその意思の代行者として選ぶ。
選ばれし巫女の手により行われる女神招来の儀式が、女神を現世へと降臨させるのだ。
もしナルクを攫ったのが教国の仕業なら、それ以外に理由は考えられない。
ナルクはどこぞの王族の娘じゃないし、大富豪の遺産を受け継いでいる訳でもない。
俺の力を利用しようと考えての行動かもしれないが、少なくとも教国には力を知られていない筈だ。
「けどよ、なんでその何とかのタコがナルクなんだ」
「それは、分からない。けど確か、巫女に選ばれるには、穢れの無い少女である必要がある、って」
巫女は、女神の威光を現世に伝える触媒。
故にその存在は、一点の曇りもなく純粋であることが必要とされる。
「穢れの無い少女、か」
確かにナルクは、俺なんかより余程純粋無垢な心を持っている。
けどそんな曖昧な条件なら、ナルク以外にも満たしている子がいくらでもいるだろう。
ナルクには、教国にしか分からない何らかの特徴があるのか……?
「ほたてさん、私の演説ちゃんと聞いていましたか?」
と、部屋の扉がゆっくりと開かれ、優雅な動作でシェイルが部屋に入って来た。
「すっげぇ! お姫様だ!」
「……ええと、どなた様でしょうか」
絢爛なドレスを見て無邪気に驚くユイカと、その様子を見て困惑するシェイル。
「と、取り敢えず、座った、ら」
シェイルはきょとんとした顔のまま、差し出された椅子に腰かけた。
「……という事情なんです」
「成程、そんなことが」
ユイカがここに来た理由を聞いたシェイルは、落ち着いた動作で優雅に頷いた。
シェイルは考え込むように暫し瞳を閉じてから、はっきりと宣言した。
「ほたてさん、私達に遠慮する必要はありません」
どうやら、こちらの考えは見抜かれていたようだ。
本音を言えば、今すぐにでもナルクを助けに行きたかった。
「でも、俺達が抜けたら」
多少安定してきたとはいえ、まだ革命軍の道行きは前途多難だ。
帝国軍や教国軍に、魔物だっているのだ。
「元々この戦いは、私達帝国民の事情で始まったものです。 ほたてさんは、あくまで協力していただけなのですから。それに、ほたてさんが教国の戦力を削ってくれれば、こちらも大分楽になりますから」
教国と戦うのが前提の言葉に、思わず苦笑する。
まあ、こっちも穏便な手段で済ませられるとは思ってないけど。
「だ、大丈夫、わ、私も、頑張るから」
こちらを向いたセーリットの髪がふわりと捲れ、髪に隠れていた瞳が覗く。
ラピスラズリを思わせる透き通った瞳には、今までにないほど強い意志が宿っていた。
「ガルは残していきます、あいつは人間相手に戦えませんから」
今ガルは、城下で子供達と遊んでいる筈だ。
教国がどんな場所かは知らないが、恐らく人間相手の戦いになる。
帝国はまだ魔物の脅威に晒されているから、ガルの力は役に立つだろう。
「オレも一緒に行く、やられっぱなしじゃ気が済まねぇ!」
ユイカは拳を掌に打ち合わせ、戦意を漲らせている。
「必ず、戻ってきますから」
「その時は、ナルクさんを紹介してくださいね」
再会を誓い、笑顔で別れを告げる。
窓から見える沈みかけた夕日が、西の空を朱に照らしていた。
※
宗教国家である教国内には、女神を祭る神殿が数多く建立されている。
その中でも最大の物は、首都ダーバヤッタに築かれたマレイロム神殿だろう。
古代の言葉で神の愛を意味する名が付けられたこの神殿は、大陸中の女神教徒が巡礼に訪れる聖地でもあった。
広大な敷地面積を持つ神殿の中には、一般の巡礼者が立ち入ることの出来ない場所も存在している。
神殿の地下、重厚な扉で何重にも閉ざされた区画は、教国の中で一定以上の地位を持つ者にしか入場が許されていない特別な場所とされている。
円形状の部屋の広さは四方10m程、天井には美しい女神の宗教画が描かれており、近づいてようやく顔が認識出来る程度の薄暗い明かりが室内を照らしていた。
王国で連れ去られたナルクは、秘密裏にこの場所へ移送されていた。
「巫女を連れてきたのか?」
部屋の中央、床から一段高くなった場所に、分厚い法衣に身を包んだ男の姿があった。
年老いた男の肌には年輪のような皺が刻まれ、肩まで伸びた白い髪は擦り切れた糸のようだった。
「はっ、ここに」
教国の法衣を着せられたナルクは、普段とは違う神秘的な雰囲気を纏っていた。
顔の上半分は薄い布で覆われており、その表情は伺い知れない。
と、年老いた男の持つ怪しげな器具が、朱色の光を放った。
細い枠で模られた円形の中に、人とも獣とも取れぬ血走った瞳が浮かび上がっている。
見開かれた単眼から放たれた光は、まっすぐにナルクを指していた。
まるで、獲物を見定める狩人のように。
「真眼は確かにこの娘を指している、間違いないだろう」
年老いた男はナルクをまじまじと見つめると、おもむろに天を仰いだ。
「もうすぐだ、もうすぐ我らの悲願は成就する」
熱に浮かされたような男の言葉を受け、居並んだ白衣の男達の歓声が静かに上がる
地の底から響くような声で満たされた空間の中、ナルクは身じろぎもせずに立っている。
「ほたて」
助けを呼ぶかのように呟かれた声も、狂騒の中で掻き消されていった。