第十八話 神の名の元に
突如現れた天使を前に、先程まで争っていた両軍は動きを止めている。
現実離れした光景を前に、集った全員は呆気に取られていたのだ。
少し離れた場所で戦況を見ていたシェイルは、戦場の兵士達よりも少しだけ早く正気を取り戻した。
「何が起こっているかは分かりませんが、手を止めては――」
静止したままの革命軍に対し、冷静に命令を下そうとした、そのとき。
空中で静止していた天使が両手を地上に翳し、その手が眩く輝いた。
「……っ!?」
あまりの光量に、堪らず目を閉じるシェイル。
真っ白に染まった視界の中で、耳を劈く轟音が周囲に響いた。
「姫様!」
傍に立っていたアルバースが、姫を庇うように抱き止めつつ倒れ込む。
次の瞬間、振動が空気を揺らし、地面が激しく振動した。
続いて吹き荒れた突風に、天幕は耐えきれず宙を舞っていた。
「お怪我はありませんか」
「ええ、ありがとうございます」
気遣うアルバースに礼を告げ、ゆっくりと立ち上がったシェイル姫は、目の前の光景を見て息を呑んだ。
まるで、巨大な槌で大地を叩いたよう。
先程まで平らだった地面には大穴が空き、茶色の土肌を晒している。
もうもうと立ち込める白煙の中に、ちらほらと倒れ伏した兵士達の姿が見える。
平原を埋め尽くす程充満していた兵士達の数は、どう見ても半数以下に減っていた。
大穴が空いたのは、最も兵士の密度が高かった場所。
大多数の兵士は、恐らくあの大穴の中へと。
「まさか、あの天使が」
翼を生やした鎧の天使は、先程までの場所から既に消えていた。
「何処に……?」
天使を探し視線を彷徨わせたシェイルの顔が、丁度真上を向いて静止する。
「神に刃向う帝国の血族よ、今ここで消え去るがいい!」
想像より遥かに悍ましく、地の底から響くようなを発した天使は、両手を真下のシェイルに翳す。
両手が眩く輝き、全てを消し去る圧倒的な光がシェイルの体に降り注ごうとした、そのとき。
「やらせるかよ!」
シェイルの耳に、聞き慣れた青年の声が響いた。
次の瞬間、突如飛来した火炎と電撃の龍が、宙に浮く天使に直撃する。
天使の体勢が乱れ、放たれた光があらぬ方向へ飛んでいく。
「大丈夫か?」
「ほたて、さん」
木刀を持ったほたては、座り込んだシェイルを庇うように立つ。
その姿はまさしく、姫を守る騎士の如く。
※
大陸北東部に位置する『選ばれし土地にして唯一の楽園であり偉大な女神の教えに導かれた我らが栄光の国家』、通称教国。
その長い名の通り、女神教を国是とする宗教国家である。
教国は、魔物の氾濫に並々ならぬ強い関心を寄せていた。
伝説の存在である魔物が実際に出現したことは、神話が真であるとの証明に他ならないからだ。
女神教の教えによれば、命を賭して魔物を封印した女神は、やがて訪れる世界の危機に必ず帰還するとされている。
そのとき世界は救済され、女神教を信じる者達は楽園へと導かれるのだと。
魔物が復活したのは、女神復活の時がすぐそこまで近づいた知らせだと受け止められた。
教国内は空前の熱狂を見せ、女神復活を願う儀式が毎日のように開かれていた。
救いを求め、他国から教国に移住する者達も後を絶たないと言う。
基本的に争いを好まず、国同士の争いにも中立を貫いてきた教国だが、一つだけ例外があった。
女神教の教えに反し、過去の遺産を冒涜し続けている帝国である。
教国側が行った再三の要請にも全く応じず、帝国は遺跡を掘り返し続けた。
帝国の圧倒的な戦力の前には、教国も忠告以上の手段が取れずにいたのだ。
だが、ここ数週間で状況は変わった。
内乱の広がりは、最早他国に隠し通せる程度を越えていたのだ。
帝国内の混乱と戦力の低下を知った教国は、遂に武力による侵攻を決意した。
神の威に背く者達に対し、神に代わって神罰を下す。
掲げられた大義名分は、熱狂する国民を更なる狂乱へと導いた。
神の名の元に、民衆達は何の迷いも無くその命を戦いへ捧げる。
凝縮された純粋な戦意が、一本の槍のように帝国を貫こうとしていた。
帝国や王国と違い、教国は殆ど科学技術が発達していない。
その代わり、魔法の技術については他国の追随を許さない程であった。
今回の帝国侵攻にあたり、教国は前例の無い魔法を開発していた。
術者の魔力を凝縮し、全く新しい生物を作り出す魔法。
後の世で召喚術と呼ばれることになるこの魔術は、帝国軍と革命軍がぶつかり合う中、初めて歴史の表舞台に登場した。
先んじて帝国に潜入していた教国の魔術師達が、本国の宣戦布告と共に戦闘を仕掛けたのだ。
十人近くの魔導士の魔力を全て結集し、召喚獣は戦場に舞い降りた。
女神の意志を地上に伝える、天使の姿を模って。
※
「ほたて、さん」
俺の後ろで座り込んだシェイル姫は、珍しく気弱な顔をしている。
流石の姫も、この訳の分からない状況には混乱しているのだろうか。
姫を助けるためとはいえ、さっきは殆ど衝動的に『きおく』を使ってしまった。
最近レベル上げをしてなかったけど、また上げ直さなくては。
「でも、どうして?」
姫が聞いているのは、何故ここに辿り着けたかだろう。
巨大兵器を倒した場所からは、歩いて軽く半日以上は掛かる距離だ。
「ガルの手を借りたんです」
兵器が完全に動きを止めたのを確認した後、俺達は姫のいる平原へ向かおうとしていた。
この時点ではまだ、ゆっくり歩いて戻ればいいやと思っていたのだが。
「あれは……!」
進行方向の遥か先、シェイル達が戦いを繰り広げている平原の上方を覆っていた暗雲が、消しゴムで擦られたかのように消失していた。
明らかに異常な光景を目にし、心の中で大きく警報が鳴る。
「一体何が起こってるでゴワスか!?」
隣に立つガルも、目の前の光景に大きく驚いていた。
「……あそこに行かないと」
何が起こっているかさっぱり分からないが、ここにいる場合ではないだろう。
瞬時に『けいさん』を発動し、平原に行く方法を探す。
答えは、呆気ないほどすぐに出ていた。
「ガル」
「何でゴワス?」
「俺を、思いっ切り投げてくれ」
「ゴワッ!? いきなり何を」
「いいから、早くあそこに投げてくれ!」
本気を出したガルの力は、常人を遥かに凌駕する。
人間を投擲するのも、ガルからすればボールを投げるのと大して変わらないだろう。
「……どうなっても知らないでゴワスよ!」
ガルは片手で腰を掴み、掲げるように体を頭上へ持ち上げた。
「よし、方向を間違えるなよ」
「分かったでゴワス!」
その体制のまま、ガルは土煙を上げて走り出す。
「ゴワーッ!」
咆哮と共に、ガルは槍投げの要領で身体を放り投げた。
押し寄せる凄まじい反動も、今のレベルでは大した問題ではない。
一直線に身体は宙を進み、程なくして途轍もない勢いで山肌に突き刺さった。
その場所は、丁度シェイルが陣を築いた場所の程近くだったのだ。
「って訳です」
「む、無茶苦茶な」
話を聞き終えたシェイルは、大きく口を開けて呆れ返っていた。
「その顔を見れただけで、ここに来たかいがありました」
「……っ」
たちまち頬を赤く染めた姫を見て、思わず顔がほころぶ。
いつもお高く止まっていたから、こういう姫を見るの初めてだ。
「貴様、何者だ!?」
と、体勢を立て直した天使が再び真上に現れた。
「お前のせいで、俺の努力が台無しだ」
平原の惨状は、こっちに飛んでくる最中に見えていた。
地味な下働きを重ねてようやく辿り着いた決戦を、たった一撃で無茶苦茶にされるとは。
「訳の分からんことを、貴様も葬って――」
再び翳された天使の両手に、光が集まっていく。
が、その光は程なくして霧散した。
「あが……っ!?」
投擲された木刀が天使の全身を覆う分厚い鎧を突き破り、一気に胴体を刺し貫いていた。
断末魔を上げる間もなく天使の動きは止まり、空中で赤黒い光を伴って消失する。
「天使相手って、魔物と同じ扱いでいいのかな」
落下した木刀を受け止め、誰ともなく呟く。
「全く、本当に出鱈目ですね」
ゆっくりと立ち上がったシェイル姫が、穏やかな視線をこちらに向けていた。
このときの俺達は、まだ知る由も無かった。
帝国に教国が宣戦布告し、次々と戦力を送り込んでいるということを。
その戦いが、帝国を更なる混迷に導くことを。