第十七話 決戦
帝国軍が革命軍に苦戦していた理由は、大きく分けて二つあった。
一つは、帝国軍内の士気の低さ。
長引く戦いは末端の兵だけでなく、一般の帝国軍人にも厭戦気分を広げていた。
もう一つは、高い山々が連なる帝国辺境部の地形。
平地が極端に少なく、必然的に大軍を運用するに向かない。
また、普通に行軍するだけで体力を消耗する環境では、重装備の魔導兵は扱い辛かった。
各個撃破による辺境の制圧を諦めた帝国軍は、決戦にて決着を付ける策を模索していた。
帝国南西部に位置するロコイスト平原は、起伏の多い帝国領内において、珍しく広い平地が存在する場所である。
辺境から帝国中心部に進出するには、地形的にどうしても通過しなければならない場所でもある。
帝国軍はこの場所に大軍を集結させ、決戦にて一気に革命軍を葬る作戦に打って出た。
仮に革命軍がこれに応じず、辺境に引きこもるのならばそれでも良い。
膠着状態の中でいずれ熱狂は去り、帝国全土を揺るがすほどの勢いは保てなくなっているだろうから。
連戦連勝によって戦力を増していても、革命軍の力はまだまだ帝国に及ばない。
しかし革命軍は、敢えてこの誘いに乗った。
平原の近く、臨時に築かれた陣地の中では、兵士達が装備を整えていた。
小さな村ほどの陣地の最奥に、立ち並んだものよりも明らかに豪華な天幕が立っていた。
「いよいよ始まるのですね」
天幕の中、最低限の装飾が施された椅子に座ったシェイルは、緊張した面持ちでその時を待っている。
「ほ、本当に、いいの?」
その後方には、黒いローブで全身を覆ったセーリットが簡素な椅子に座り、不安を隠そうともせずに震えていた。
「大丈夫です、私は貴女を信じていますから」
「でも、わ、私は、あのとき……」
「あれは貴女の責任ではありません、他の誰かが何を言おうと私は気にしませんから」
顔を俯かせたセーリットに、ゆっくりとシェイルが近づき、その体を優しく抱き止める。
「あ、ありがとう」
セーリットの震えは、いつの間にか収まっていた。
軍に作戦を伝えに行ったセーリットを見送り、シェイルは一人椅子に座りなおす。
「頼みましたよ、ほたてさん」
宙に視線を彷徨わせたシェイルは、誰に聞かせるでもなく呟いていた。
※
帝国軍が革命軍と戦端を開こうとしていた頃。
戦場から少し離れた帝国軍の軍事基地から、一機の魔導兵器が発進しようとしていた。
全高およそ30m、三階建ての兵舎を軽く超える高さと、内部に十数人の人間が搭乗可能な大きさを合わせ持つ。
大地を踏みしめる太い四本脚と、生半可な攻撃では傷一つ与えられない鋼鉄の肌を持ち、丁度顔に当たる部分には巨大な魔導砲がその威力を誇示するように搭載されていた。
「革命軍がどれ程の物か、このペンタグリューエルさえあれば鎧袖一触ぞ!」
胴体部の操縦席で、中央の席に腰掛けた髭面の軍人が高揚したように叫ぶ。
巨体が歩を進める度に、大地が揺れ、空気が震える。
魔導兵器を知らぬ人間がそれを見れば、鋼鉄の獣が大地を闊歩しているように見えただろう。
一機で並みの兵士百人に相当するとまで言われたこの兵器は、帝国軍がその技術の粋を尽くして作り上げた巨大兵器である。
前部に備え付けられた巨大魔導砲は、一撃で一つの城を破壊するとまで言われる凄まじい威力を持っている。
それ以外にも、各部に魔導兵器が隙間なく搭載されており、まるで針鼠を思わせる重武装だった。
調整の遅れから決戦には間に合わなかったが、馬車を軽く追い抜くとされる速度を持つこの獣は、数十分も経たずに戦場へ到着しているだろう。
「前方に何かが……人と、何だあれは?」
と、周囲の警戒に当たっていた兵士の一人が、間の抜けた声を出した。
「報告は正確に行え!」
「それが、何とも言い難いものでして」
片方は確認するまでも無い、木刀を持った只の男。
だがもう片方は、人間とも動物とも区別のつかない奇妙な物体だったのだ。
「訳の分からんことを、構わん! 踏み潰してしまえ!」
兵士を怒鳴りつけ、髭の軍人は容赦なく前進を命じる。
一刻も早く戦場に馳せ参じなければならない今、小事に構っている暇は無いのだ。
「はっ!」
命令を受け、獣は更に速度を増す。
唸り声を挙げるように全身を軋ませ、白い蒸気を噴き出して進んでいく。
正面に立ったままの男が、冷徹に歩を進める巨体に呑み込まれんとした、そのとき。
「どうした!?」
何かが砕けるような音が周囲に響き、竜は突如歩みを止めた。
急制動で席から投げ出された髭の軍人が、慌てて周囲の兵士に問いかける。
「あ、脚が折れたようです!」
「何っ!?」
兵士の指差す方向を見れば、一本の足が中央から真っ二つに折れ、もうもうと黒煙を上げていた。
「ええい、こんなときに動作不良だと……!」
ペンタグリューエルはまだまだ試作段階であり、この戦いが初の実戦投入だった。
そうでなくとも、魔導兵器に事故は付き物だ。
元々原理の良く分からないものを無理やり動かしている為、原因不明の事故が起こることも多かったのだ。
「早く修理を行え! 我らが一分遅れれば、その分命を落とす同朋が増えるのだぞ!」
髭の軍人は、動揺する兵士達を鼓舞しつつ命令を伝える。
このときまでは、誰もが只の事故だと考えていた。
が――
「今度は何だ!」
再び衝撃音が響き、辛うじて均衡を保っていた獣の体が地に倒れ伏す。
それに伴い、操縦席の中も平衡を失う。
何人もの兵士が折り重なって倒れ、その中から首を出した髭の軍人が激高しつつ叫んだ。
「さ、さっきの男です!」
踏み潰された筈の男が、傾いた獣の上に立っていた。
体には傷一つなく、悠然と木刀を構えている。
信じ難い光景に兵士たちの思考が停止し掛けた時、前方から一際大きな破砕音が響き渡った。
ペンタグリューエルの誇る巨大魔導砲が、根本から吹き飛んでいたのだ。
「我らの……誇りが」
彼らが状況を把握するよりも早く、先程までのそれとは桁違いに大きな爆発音が轟く。
天地が引っくり返るような衝撃と共に、獣の体が空中に浮き上がった。
衝撃で操縦席の窓が割れ、兵士達の体が外に投げ出される。
宙に舞った彼らが目にしたのは、胴体後部にある動力炉を完全に破壊され、無残な残骸に変わった獣の姿だった。
「全く、人使いが荒いんだから」
木刀の青年がぽつりと呟いた言葉も、彼らの耳には届いていなかった。
※
「何が起こっているのだ……」
重厚な鎧に身を包んだ帝国軍の指揮官は、茫然と目の前の戦況を見つめていた。
先程までの戦況は、どう考えても帝国側有利に働いていた。
15万の兵力を集めた帝国軍に対し、革命軍側はどう多く見積もっても5万程度。
圧倒的な戦力差の前では、策を弄さずとも決着が付く筈であった。
状況が変わったのは、つい半刻程前のこと。
快晴だった空が突如曇りだし、戦場全体に激しい雨が降り注いだ。
程無くして、帝国軍が立っていた大地が濡れた紙のように融けていったのだ。
彼ら帝国軍は知らなかったが、ここは元々大きな湖だった。
数十年前に起こった地殻変動で地形が変化したのだが、その影響で地盤が脆弱になっている。
普通に通行するのなら問題ないのだが、十数万の人間が絶え間なく衝撃を与え続け、更に雨までもが振り注げばどうなるかは自明だろう。
決戦の地がロコイスト平原であることを知ったセーリットは、土地の伝承からこの事実を知った。
天候を予測し、帝国軍が最も勢いに乗った時分で雨が降るように戦況を調整していたのだ。
戦力の中核を担っていた魔導兵はその重量が祟って汚泥に腰まで沈んでおり、それ以外の兵士もぬかるんだ足場に足を取られまともに動けない。
この指揮官を含め、帝国軍の中には革命軍に対する驕りがあった。
選ばれた帝国軍人が、軍事的知識に乏しい平民の集まりに負ける訳がないと。
その慢心が、無謀な突撃を誘発していた。
気付けば帝国軍は、平原の中央で完全に孤立していたのだ。
「全軍、後退!」
殺し間に誘い込まれたと悟った指揮官は、必死の声で退却を命じる。
だが、時既に遅し。
退却に見せかけて円を描くように陣形を整えていた革命軍によって、帝国軍は完全に包囲されていた。
全方向から矢や魔力弾が飛んでくる状況では、厳しい訓練によって培われた鉄の規律も意味は無い。
情けない声を上げて逃げ惑う帝国兵達は、次々と命を落としていった。
平原を見渡せる高台に設置された天幕の中には、シェイルやセーリットが集っていた。
「この分だと、じきに決着が着くでしょうね」
「ま、まだ安心できない」
戦況が自軍有利に進んでいると知り、ふぅっと安堵の溜息をつくシェイル。
警戒を呼び掛けるセーリットの顔にも、少しだけ安堵の色が浮かんでいた。
と、不意に天幕の外が騒がしくなり、護衛の兵士達がざわめき始めた。
「どうしたのですか?」
「そ、それが」
入口の近くにいた兵士に問いかけたものの、ただ困惑するのみ。
要領を得ない兵士の様子に、シェイルは堪らず天幕の外へ出る。
見渡した平原に広がっていたのは、信じられない光景。
ぶつかり合っていた筈の帝国軍と革命軍が、一様に動きを止めている。
両軍の兵士達は、半ば呆然とした様子で空を見上げていた。
視線の先を見れば、先程まで一面分厚い曇に覆われていた空に、コンパスで線を引いたような真円状の穴が開いている。
差し込む光をまるでスポットライトのように浴び、一つの影が悠然と空中に浮いていた。
それは一見、鎧を纏った騎士にも見えた。
全身を纏う美しい銀の甲冑には、遠目では判別不可能な程細かな意匠が刻まれていた。
鎧の人物は重力を感じていないかのように、ぶれることもなく空中に静止している。
それだけでも驚愕すべきことだが、集まった兵士達の表情を驚愕に染めたのは、それ以外の事象にあった。
鎧の背中からは、鳥のような羽が生えていたのだ。
×の字を描くように生えた四枚の羽は、少しの穢れも無い純白に染まっている。
「天……使……」
呆然としたままの兵士達の一人が、誰ともなく呟く。
それは、女神教に伝わる神の使い。
かつて女神が自らの分身として造りだしたとされ、人知を超えた力で人々を導くという。
神話の中でしか有り得ない光景が、目の前に広がっていた。