第十六話 彼女の夢と俺の目的
全ての窓に布が掛けられた部屋は真っ暗で、頼りない蝋燭の明かりだけが室内を照らしている。
机を挟み、毛布を被ったまま椅子に座るセーリット。
ぞわぞわした黒い毛に覆われた姿は、中身が只の人間だと分かっていても少し不気味だ。
「本題に入る前に、どうしても言いたいことがあります」
「もしかして、罠の事?」
分かってるなら話が早い。
「どうしてあんな罠を仕掛けたんですか、普通だったら死んでたところですよ」
「うん、まさか越えてくる人がいるとは思わなかった。凄いのね、君」
怒りを含んだ抗議を伝えた筈が、素直な称賛が返って来た。
「いや、じゃなくて」
噛み合わない会話に、抱えていた怒りが霧散しそうになる。
「で、でも、ちゃんと警告してたし……」
こちらの声に怒気が含まれているのがようやく分かったのか、セーリットはしどろもどろに弁解を始める。
「そういう問題じゃないでしょう」
「ご、ごめんなさい……」
こちらがはっきり怒りをぶつけると、素直な謝罪が返って来た。
あれが悪意による行動ではないとは分かったけど、セーリットの認識が常識と根本的にずれていることも分かった。
シェイル姫のように内心が全く伺い知れないのも苦手だが、こういう良く分からない性格も扱いにくい。
帝国って、変な性格の人間しかいないのか?
「シェイル姫からの要請で、あなたを迎えに来ました」
「う、うん、知ってる」
「一緒に来てくれますか?」
「ちょ、ちょっと考えさせて」
と、玄関の扉が勢いよく開かれ、屋内に大声が響き渡る。
「物の怪相手とはいえ、ほたて殿を置いて逃げ出すとは武人の名折れ、助太刀致すぞほたて殿!」
大きな足音を立て、ガルが大声を出しながら現れた。
両手は既に砲塔へ変わっており、十分過ぎる戦意が見て取れる。
「いや、ちょっと待って」
「まさか、遺跡の……!?」
「ゴワッ、物の怪が人の言葉を!?」
突如現れた物体に反応するセーリットを見て、慌てた様子で武器を向けるガル。
「だから、この人は物の怪じゃ」
ただでさえ面倒な状況で更に面倒が重なって、頭の中がぐるぐると混乱する。
「聞かせて」
と、今までのか細いものとは違う、はっきりとした声が聞こえた。
「えっ?」
「貴方の話を、聞かせて!」
セーリットは勢いよく毛布を振り払い、もう一度声を上げた。
初めて目にしたセーリットの姿を見て、驚愕に息を呑む。
それは、余りに美しい女性のものだった。
※
「その指輪も、遺跡で?」
伸び放題になった銀の長髪が、会話の度に軽く揺れる。
年は少し上くらい、身長はおよそ170㎝で、体の線は触れれば折れてしまいそうなほど細い。
無造作に纏った白いワンピース状の服には、アンバランスな大きさの胸を含めた体の線がはっきりと浮き出ていた。
顔の大部分は前髪に隠されているが、うかがえる部分だけでもそれと分かる整った顔立ちをしている。
想像していたものと大分違う姿に、まだ脳内は混乱していた。
こんな女性が、本当に名を知られた軍略家なのだろうか。
「正確なことは分かりませんけど」
セーリットは、遺跡について並々ならぬ関心を抱いているようだった。
先程までの静かな様子とは違い、はっきりとした声でこちらの話に反応していた。
特にガルと指輪に関しては興味をそそられたようで、何度も質問を繰り返していた。
「成程……」
こちらの話を聞き終えたセーリットは、俯いたまま黙り込んでしまった。
「あのー」
そのまま数分が過ぎただろうか。
痺れを切らして呼び掛けたこちらに、セーリットは元のか細い声に戻って話し出した。
「あ、貴方は……私の事をどこまで?」
「かつては凄い軍略家だったが、今は隠居していると」
今思えば、せめて女性なことくらいは伝えて欲しかったな。
「聞かないの?」
主語の無い質問を投げ掛けられ、こちらの頭に疑問符が浮かんでしまう。
「わ、私がどうしてこんなところにいるのか、とか」
「聞いて欲しいんですか?」
「貴方は……優しいのね」
まあ、こんな場所にいる理由は多少気になる。が、今それを聞いた所で何かの役に立つわけでもない。
頼まれごとを優先しただけで、別段優しい行動を取ったつもりは無い。
でも、こちらに微笑んだセーリットの顔は、ため息が出そうな程美しくて。
「や、優しい訳じゃ」
今度は、こちらが言葉に詰まってしまう番だった。
「そう言えば、何でシェイルは私を?」
「今更聞くんですか……」
きょとんとした顔のセーリットに、シェイルの頼み事を伝える。
順序が変になってしまったが、ようやく本題に入れそうだ
「そんな、事に、なってた、の」
俗事に興味の無さそうなセーリットでも流石に反乱の知らせには驚いたようで、小さな声を何度も詰まらせている。
「姫は、あなたの力を必要としています」
今はまだ小競り合いばかりだが、いずれ帝国軍とは正面からぶつかり合うことになるだろう。
やがて訪れる、革命軍と帝国軍それぞれが大部隊を率いた大戦。
それに華々しく勝利する為、姫はセーリットの頭脳を求めていた。
「こんな私でも、役に、立てるのかな」
「……分かりません、俺は貴女の事を知りませんから」
今まで見た限り、セーリットが名高い軍略家だとはとても思えない。
性格は変で、何故か毛布にくるまっていて……纏っている雰囲気はとんでもなく暗い。
「率直に、言ってくれるのね」
でも今は、セーリットの事が気になっていた。
シェイル姫の頼みを抜きに、人間としてセーリットの事を知りたくなっていた。
今までこんな人に会ったことはなかった、多少変わった人はいたが、ここまで変なのは初めてだ。
「一つだけ、聞いてもいいですか」
セーリットは少し驚いた表情になってから、ゆっくりと静かに頷いた。
「どうして、ガルに興味を?」
女神の遺跡が帝国にとって戦略上欠かせない、とても重用なものだとは知っている。
元々帝国軍に所属していたセーリットなら、遺跡の出土物であるガルに興味を持つのは頷ける。
けどさっきのあれは、仕事以上の強いものを感じた。
「も、元々私は、考古学者になりたかったの」
「学者に?」
こちらの問いに、セーリットは俯きながら頷く。
「その筈が、いつの間にか軍に入って、挙句の果てにこんなところに……」
言葉を紡ぐ度に、セーリットの表情が曇っていく。
望まなかった道で評価されるというのは、どんな気分なのだろう。
「その子は、昔見た本に載ってたの」
「ゴワッ?」
帝国は前々から遺跡の研究が盛んであり、遺跡に関する学術書が幾つも発行されている。
その中の一冊で、ガルに似た遺物が紹介されていたという。
「後、貴方の指輪」
「これ?」
セーリットの言葉で、指輪を目の前に翳す。
「もしかするとそれは、帝国がずっと探していたものかもしれない」
疑問符を浮かべるこちらに、セーリットはおずおずと説明を始める。
「て、帝国は前々から遺跡を発掘して、色々な技術を利用してきた。で、でも、全てを使えている訳じゃない。遺跡から、は、発掘されたものの中には、どうやっても使えないものがあった。まるで、鍵が掛けられて、いるように」
そこまで話してから、セーリットは改めてガルに顔を向けた。
「私が読んだ本でその子は、単なるガラクタとして書かれていた」
露天商もそう言っていた、何をしても反応しない只の鉄くずで、置物くらいにしか使えないと。
セーリットの話が正しいのなら、ガルが動き出したのは……
「わ、私は遺跡の謎を解きたい。何故あんなものがあるのか、あれを残した人達は何故滅びたのか。もしそれが分かれば、この世界についての全てを知れる……気がするから」
今までにないほど凛々しく強い声で、セーリットは自身の夢を語る。
それは、彼女が心から発した言葉だった。
「同じだったんですね」
まさか、こんな所で繋がっているとは。
世の中広いようで結構狭いな。
「……え?」
言葉の意味を掴めないセーリットが、きょとんと首を傾げる。
「”俺達”の目的を果たす為、貴女の力を貸してくれませんか」
「ほたて、さん」
セーリットが驚いたようにこちらを向き、ずっと覆われていた顔が初めて露わになる。
見開かれた二つの目は、宝石のように透き通った群青色をしていた。