第十話 新たな力
何時ものように目覚めた朝、ベッドに腰掛け宿屋が差し入れてくれた新聞を広げる。
新聞と呼ばれているが、量も内容も知っている新聞とは大分違う。
ページの少なさと内容の薄さは、あちらの世界でたまに配られている号外の方が近いだろうか。
内容は、この前の帝国軍について。
帝国が急に侵攻を取りやめた理由は、帝国にも魔物が現れ、今はそちらの対処で手一杯だと書かれていた。
流石に第二皇子が死んだからとは書かれておらず、皇子については右下の小さな欄に病で急死したらしいと載っていたのみ。
もし本当に帝国に魔物が攻め入ったのなら、目的は何だろうか?
気になるが、今は王国が助かったことを喜ぶべきか。
「どうした、なんか元気ねぇな」
と、ユイカが心配そうに顔を覗き込んできた。
「あ、いや……」
先日の一件、引きずっていないと言えば嘘になる。
押し殺しているつもりだったが、ユイカには気付かれてしまったようだ。
「そういえば、ユイカはいつまでこっちにいるの?」
話を逸そうと、新聞を畳んでから別の話題を振ってみる。
「オレはもう戻らねぇ」
「えっ」
「あんな奴らの所になんか、頼まれたって戻るもんかよ」
ぶっきらぼうに吐き捨てたユイカを前に、並んで座っていたナルクと顔を見合わせる。
命を賭して救おうとした場所をこんな風に言うとは、一体ユイカに何があったのだろうか。
「話すつもりは無かったんだけどな……」
ユイカは頭を掻きながら、渋々話し始めた。
「今あっちに戻ると、オレは村を救った英雄ってことになるんだ」
「でも、倒したのは」
「そうだ、ほたてだ。オレは何もしちゃいねぇ。けどな! あいつらは、オレが魔物を倒したことにするって言いやがったんだ」
亜人の村を救ったものが人間だなんて座りが悪い。
本人はあまり目立ちたくないようだし、ここはユイカが自分で魔物を倒したことにしよう。
頭目達はそう持ち掛けてきたらしい。
「いくら人間が気に入らないからって、そんなのおかしいだろ!」
だが、ユイカはそれを受けなかった。
大喧嘩の末、啖呵を切って頭目の家を飛び出してきたらしい。
屋根の上で俺と会話していた頃は、既に集落を出ていくと決めていたそうだ。
「ユイカが気にすることじゃ」
別に褒められたかった訳ではないし、集落の気持ちががそれで収まるなら問題ない。
「オレが納得いかねぇんだよ、やってもいないことで褒められたくねぇ」
どかっと背中を壁によりかからせつつ、ぶっきらぼうに返すユイカ。
そうか、ユイカは本当にまっすぐなんだな。
例え身内であったとしても、曲がったことや理不尽なことは許せない。
そんな性格だから、頭目達が決めたことをどうしても受け入れられなかったのだろう。
「じゃあ、これからどうするの?」
「お前等さえ良ければ、ついて行かせてくれ」
「俺達に?」
「お前等は種族がどうとかめんどくさいこと言わねぇし、何より一緒にいて……その、いい気分になるからな!」
褒めてくれるのは嬉しいが、いい気分って。
まあ、下手に言葉を飾るよりはユイカらしいけど。
「俺はいいけど」
ユイカと一緒にいて楽しいのはこっちも同じだ。敢えて断る理由も無い。
「……いいよ」
少し瞳を閉じて沈黙した後、ナルクもゆっくりと頷いた。
「ほんとか! ありがとな!」
ぱあっと表情を明るくしたユイカは俺達を包み込むように腕を回し、ぎゅうっと抱きしめてきた。
ナルクとユイカ、二人の体が密着し、かなり気恥ずかしい。
「んで、話は変わるんだけどさ」
数十秒経ってようやく腕を離したユイカは、唐突に話題を切り替えた。
「幽霊?」
「ああ、面白そうだろ」
一週間ほどまえから、王都で謎の現象が起こり始めた。
誰もいない筈の場所で声が聞こえたり、夜道にぼうっと浮かび上がる火の玉が目撃されたり。
最近では実際に襲われたとの証言まで出始め、噂は大いに盛り上がっているらしい。
現象の正体については、魔物の襲撃による犠牲者の魂が彷徨っているのかと言われているそうだ。
これが前の世界にいた頃なら、女神と同じくそんな非科学的なもの存在しないと切り捨てていただろう。
けれどこの世界なら、幽霊くらいいてもおかしくないな。
「もしかして、見に行く気?」
「勿論!」
こちらの問いに、何を当たり前のことをとでも言いたげな顔をするユイカ。
「他の奴に取られる前に、オレ達で退治しようぜ!」
「いるかいないかも分からないんだぞ」
「いーじゃん別に、いなかったらそれはそれでさ」
からっと笑うユイカは、さっきまでの葛藤をまるで感じさせない。
まっさらな笑顔を見て、沈んでいた気持ちが少しだけ軽くなる。
「しょうがないな」
いつの間にか、こっちの顔にも笑顔が浮かんでいた。
※
誰もが寝静まる丑三つ時、王都の裏通りは、弦のように細い月の頼りない光で照らされている。
ユイカの提案で、今は二手に分かれて幽霊を探索していた。
と、ある角を曲がったところで、目の前に白い壁が現れた。
どうやらここは袋小路の行き止まりらしい。
既に探索を開始して数時間が経っている、ここまで探してもいないんなら、そもそも幽霊なんていなかったのだろう。
落胆と少しの安堵を抱え、帰路につこうと振り返った、そのとき。
目の前に、見たことも無い白い塊が現れていた。
宙に浮かぶもやのようなふわふわとした姿は、立ち昇る陽炎のようだ。
これが幽霊なのか?
そう思う間もなく、白い塊は自身の周囲に火の玉を幾つも発生させ、不規則な軌道でそれを飛ばしてきたではないか。
表情どころか、顔も何も無い幽霊は何を考えているかさっぱり分からない。
が、こちらに敵意を持っていることは明らかだ。
「そっちがその気なら!」
命中しなかった火球が、背後の壁に当たって炸裂する。
それとほぼ同時に、腰に差した木刀を抜き放つ。
必殺の一撃が、瞬く間に幽霊の体に迫り――
「効かない……!?」
目の前で起こった現象を見て、思わず声が出る。
横一文字に振われた木刀は、半透明の体を何の抵抗も無くすり抜けていたのだ。
慌てて『けいさん』を使っても、相手に攻撃を通用させる手段が出てこない。
いくら攻撃力が高かろうが、攻撃が当たらなければ意味は無いのだ。
せめて魔法を覚えていればどうにかなったかもしれないが、どうやって覚えたらいいのかはさっぱりだ。
転職システムなり何か処置があるのかもしれないが、今の所そんな情報は無い。
まあ、幽霊相手に物理攻撃が効かない理屈は分かる。
けどそれなら、何らかの対抗処置を用意して欲しかった……
「考えてる場合じゃない、よな」
考え込んでいる間にも、容赦なく火球は飛んでくる。
敵の攻撃は『けいさん』で避けられるが、こちらの攻撃も敵には当たらない、これではいつまでやっても千日手だ。
さて、どうすべきか。
と、ズボンの右ポケットがまるで携帯カイロを入れたように熱くなリ始めた。
火球はかすりもしていないのに、一体何が起こったんだ。
少し慌てつつポケットに手を突っ込み、熱の原因を取り出す。
親指と人差し指でつままれたそれは、紅く瞬きながら発熱する遺跡の指輪だった。
帝国の襲来で有耶無耶になっていたが、指輪については相変わらず分からないことだらけだった。
詳細の分からないものを指に着けるのが躊躇われて、ズボンのポケットに入れっぱなしにしていたのだ。
――着けろってのか?
窮地を待っていたかのように輝き出した指輪は、明確に自分の存在を主張している。
何かに誘導されているようで気持ち悪いが、このままではどうにもならないのも事実。
「ええい、どうにでもなれっ!」
多少自棄な気持ちも含みつつ、輝く指輪を勢い良く指に嵌めた。
指輪から周囲一帯を包むような閃光が放たれ、視界が一瞬眩む。
光は数秒で収まり、指輪は右手にすっぽりと嵌っていた。
が、何も起こらない。
大仰な演出の割に、目立った変化は全く起こっていなかった。
と、動きの止まったこちらに向け、一際巨大な火球が放たれた。
人一人は軽く呑み込んでしまいそうな大きさの火球を前にしては、左右に避けることも出来ない。
縋るような気持ちでステータスを開き、スキル欄をタップする。
と、今まで『けいさん』しかなかった項目に、『きおく』という文字が追加されていた。
相変わらず何の説明も無いが、迷っている場合ではない。
迫り来る火球を前に『きおく』をタップした、次の瞬間。
「これ、は……!?」
何とはなしに宙に浮かせていた掌から、放たれたものと全く同じ火球が出現していた。
二つの火球は空中で衝突し、激しい炸裂音を伴って爆発した。
衝撃で空気が揺れ、飛び散った火の粉が頬を掠る。
もしや、『きおく』の力とは――
こちらが推測を巡らせている間に、幽霊の周囲に小さな火球が幾つも浮かんだ。
「やってみるか」
両手を正面に翳し、遺跡で戦った巨大な魔物の、二つの口から繰り出された火炎と電撃を思い出す。
程なくして、右と左の掌からそれぞれ炎と電撃が出現した。
空気を引き裂く稲妻と、轟々と燃え盛る紅い焔は、あのとき見たものとうり二つ。
黄と赤の線は空中で螺旋状に交錯し、放たれようとしていた幾つもの火球を巻き込んで幽霊に直撃した。
耳を劈くような断末魔の叫びを挙げ、幽霊が消滅していく。
魂を持っていかれそうな程おぞましい声は数秒で止み、周囲には元の静寂と暗闇が戻っていた。
「おーい!大丈夫かー!」
と、通りの向うから聞き馴染みのある声が聞こえた。
大きく手を振りつつ駆け寄るユイカに、こちらも片手を挙げて答える。
東の空は薄らと明るみ、街には夜明けの気配が漂い始めていた。