第一話 ここってもしかして……
たった数時間前の日常が、今は遥か昔の出来事に感じられる。
見渡す限り砂と岩の風景が広がる荒野には、草木一本も生えていない。容赦無く照り付ける太陽の光が、気力をじわじわと削っていく。
木陰に入って一休みと行きたいが、今はそんな余裕もない。
目の前で蠢いているのは、青白い粘ついた体を持つ化け物。一見可愛らしいが、既に何度も命を奪われている身としては恐ろしさしか感じない。
両手で持った木の棒を振りかざし、青白い粘体に叩き付ける。攻撃を受けた粘体は、体の一部を槍のように尖らせて反撃を繰り出した。
何度かの交錯の後にようやく動かなくなったモンスターは、ほの明るい光を発して消滅していった。
「八十五戦、三勝か」
誰に聞かせるでもなく呟いた言葉が、砂塵に紛れて消える。燦々と太陽が照り付ける空を見上げて、思考を少し前へと巡らせた。
そもそも、どうしてこんな場所で化け物と戦う羽目になったのか。
※
何とはなしに訪れた年季のある中古ゲームショップで、入口近くに貼りだされた広告が目に入った。黄色の紙に大きな赤い字で、『中古ゲーム10本で100円!!』と書かれている。
10本で100円って、安すぎるだろ。と思わず手が伸びたものの、内容を見て値段に得心がいった。輪ゴムで止められたゲームの中身は、100円どころか10円でも売れないようなゲーム、いわゆるクソゲーばかりだったのだ。
里をみる人、ウルトラモンキー冒険譚、オプティマスの謎、炎上野球パーフェクトピッチャー……等々。古い機種から最新まで様々な種類があるが、どれもクソゲーなのに変わりはなかった。
恐らく、売れ残ったゲームを在庫処理の為に纏めて捨て値で売っているのだろう。
百円貰っても遊びたくないゲームばかりだったが、俺は手に持った束をレジへと持っていった。普通のゲームには飽きたし、プレイ動画でも撮れば何かのネタになるかもな。そんな軽い気持ちで、クソゲーの束を手に家へ帰っいていた。
家に帰って束を解いたゲーム達をよく見てみると、一本だけ全く見覚えのないゲームがあった。
色褪せたパッケージには『ウルトラファンタジー』という安っぽいタイトルロゴが描かれている。全く知らないゲームだが、あの束に入っていたのならやはりクソゲーなのだろう。
丁度対応する機種を持っていたこともあり、ものは試しにとディスクをセットして電源を入れる。テレビ画面にゲームのタイトルが映し出されたそのとき、突如目の前が真っ白になって――
それからの事は、あまり思い出したくない。
気が付けば何もない荒野に放り出され、事情を察する間もなく化け物に襲い掛かられて死亡。また荒野に放り出され、何が起こったのかを考える前にまた死んでの繰り返し。状況を把握できたのは、2、30回死んでからだった。
※
何もない空中に手を伸ばし、右手の親指と人差し指をくっつけてから開くと、レベルやHPが分かるメニュー画面が表示された。偶然この仕様に気付くまでは、ここが何なのか全く見当もつかなかった。どうやらここは、ゲームの世界らしい。それも、多分クソゲーの。
アニメや、それこそゲームで異世界に行く話は知っていたけど、よりによってこんな場所に来る羽目になるとは。どうせ別の世界に行くなら、もっと面白そうなゲームの世界が良かった。
メニュー画面の先頭には『ほたて』と表示されている。本名と全く違う名前に、最初はそれが自分の事だとは分からなかった。名前一つとっても、いちいちこっちの気力を削いでくる。変更しようにも、その方法が全く分からない。せめて、説明書があればなぁ。
「まだレベル1……」
数時間戦っても代わり映えの無いステータス画面を見て、思わずため息が漏れる。百回近く死んでようやく戦闘にも慣れてきたが、次のレベルまでの経験値は後150。一回の戦闘で得られるのがおおよそ10だから……
途方も無い道のりに気が遠くなりそうになったとき。周囲に鼓膜を震わせる咆哮が響き渡った。慌てて振り向けば、牙を剥き出しにした狼型の魔獣が砂塵を巻き上げて迫っていた。反応する間もなく、魔獣の爪が視界を覆って――
気付けば、何度も見慣れた荒野に横たわっていた。ステータス画面を確認し、死亡数の欄にしっかり一足されているのを見てから。溜息を付いて立ち上がる。
近辺で出現するモンスターは5~6種類、その内倒せるのはスライムのような粘体のモンスター1種類のみ。それ以外のモンスターと遭遇すれば、命を落とすのは必至だ。回復魔法もアイテムも無い状況では、例え一回勝利したとしても次の戦闘で死亡。
立ち寄れる村か街を探そうにも、二、三歩進む度にモンスターに襲われる状況で、まともに周囲の探索も出来ない。
ここがゲームの世界なら、どう考えてもバランスが狂っている。が、それを抗議する相手もいない。運良く倒せるモンスターと遭遇することを願いつつ、ひたすら荒野で死に続けていた。
唯一の救いは、死んでも経験値やアイテムがリセットされないことと、戦闘に痛みや恐怖を殆ど感じないことだろうか。
とにかくこんなゲームさっさとクリアして、元の世界に戻らないと。こんなクソゲーよりもっと面白いゲームが俺を待ってるんだから。
ようやくレベル2に上がっても次のレベルまでの経験値に気が遠くなったり、レベルアップしても勝てる敵が対して増えないことに絶望したりしながら、300回以上の死亡を経てようやくレベルは5に達していた。
既に日は地平線の彼方へ沈んでおり、荒野は昼間の暑さとは打って変わった寒々しさに包まれている。
「これは……?」
と、ひらがなのみで書かれた稚拙なメニュー画面に、新しい項目が発生していた。
『とくぎ』と書かれた項目をタップすると、たった一言『けいさん』とのみ表示されている。
が、特技欄の『けいさん』に触れてみても、全く反応が返ってこない。
常時発動型の特技なのかとも思うが、特にさっきまでと変わったことも無い。
バグなのか仕様なのかは分からないが、意味のない項目のようだ。
一つ溜息を付いて、辺りを見渡す。この何も無い荒野も、流石に見飽きた。レベルも上がったことだし、そろそろ別の場所へ行ってみるか。
「神様の言うとおり、っと」
武器として使っていた木の棒を地面に立て、静かに手を放す。支える者のなくなった棒は、自然に倒れて一方向を指した。何の手掛かりもないが、このまま留まっていても仕様が無い。取り敢えず先に進んでみる事に決め、荒野を当ても無く歩き出した。この世界に神がいるかどうかは分からないが、せめてゆっくり休める寝床があることを祈りつつ。
と、しんみりとした空気が突如破られ、目の前に三体のモンスターが現れた。
「少しは、そっとしておいてくれ、よっ!?」
反応する間もなく一斉に襲い掛かられ、四方八方から攻撃が殺到する。
また死亡するのかと諦めて、目を瞑ろうとしたとき。
「あれ?」
体が自然に動き、攻撃を全て躱していた。攻撃が及ぶ範囲、速度、敵の行動全てが理解出来た。
同時に、敵のどこを攻撃すれば最も有効にダメージを与えられるのか、どのタイミングで攻撃を繰り出せばよいのかも、一瞬で察せた。
何かに導かれるように体を動かせば、呆気なく三体のモンスターは全て地に倒れ伏していた。
青白い光に包まれて消えていくモンスターを前に、事情を呑み込めないまま立ち尽くす。
空に輝く満月が、呆然とする俺の姿を照らしていた。