生意気な生徒たち
外の景色は見たこともない夜の平野である。一体、我が身に何が起きたのか、この学校は、この世界はどうなったのか… 何一つ解せない不安ほど人の心に恐ろしいものはない。外に出ていこうとする生徒たちを、大声を張り上げて教師の島田は教室へと呼び戻す。他のクラスでも同じように担任が生徒を呼び戻しているが、どれもこれも怒鳴るようである。一つのクラスに約四十人。それらをまとめ上げるのに生半可な接し方では通用しないのである。生徒たちもこの現状の説明を求めて渋々戻ってくる。それぞれの教室へと集めて、しかし担任たちはどうするとも告げない。何がどうなっているとも理解できていないのだから、点呼を取ることくらいしかできないのであった。大人たちの心中の不安もすぐに生徒たちに覚られる。女子の一人は涙を流し、男子の一人は頼りにならないと舌打ちをし、中には再び外へと出ようとする者もいる。
「こら、やめなさい!」
「でも先生、ここにいてどうするっていうの? どう見ても、どう考えても、これ、タダ事じゃないぜ。学校はそのままなのに、外の世界が別物に変わってしまっている。どうやったのか、誰がこんなことをしたのか、それとも自然災害なのかわからないけど、異常事態と、そう考えるのが普通じゃない? そんな状況なら、外の様子を調べに行くほうが合理的だと思うぜ」
こう生意気を言うのは羽田という男子である。クラスでも成績優秀で所属するサッカー部でも将来を嘱望されている文武に長けた奴である。普段より天狗の鼻を伸ばして、しばしば方々に癪に触ることも口にする。彼がニヤニヤしながら担任の島田に楯突くのも、クラスでは見慣れた光景である。偏に彼の自惚れによるものであるから、友達も多いが彼を嫌っている者も多い。深沢はといえば、その羽田を敵視したことはない。僻んだこともない。自分自身をエリートと勘違いしている輩は可哀そうで、でも付き合うには面倒で、いつも一定の距離を置いている。
「普通だとか、合理的だとか、どこにそんな根拠があるっていうのよ! 訳のわからない自分の理屈で勝手をされると困るわ!」
「でも先生だって、この状況を説明できるわけでもないんだろ? 何がどうなっているのかわからないなら、俺たちと同等じゃないか」
「同等って、あんた生意気な口の利き方するんじゃないわよ!」
「それでもこの世界がもうあの世に落ちているなら、先生も生徒もないと思うけどね」
「あの世って… あんた、何か知っているの?」
この問答にクラスの中が騒然とする。あの世と聞いて連想するものは、自分たちがすでに死んでしまっているか、もしくは生きたままあの世に運ばれたかである。どちらにしても穏やかにはいられない。皆の視線が羽田に集中する。
「まさか。何もわからないから調べに行くんじゃないですか。俺の理屈、間違っています?」
答えながら彼の顔が笑っている。
「間違ってはいないかもしれないけど、それでも勝手は許せないわ! この学校が、あなたの言うとおりあの世に行ってしまったとしても、私は教師として、このクラスの担任として、最後まであなたたちを見る義務があるの! あなたも生徒だったら、教師の指示に従うのが筋でしょ!」
「先生、それは俺たちが住んでいる世界の学校での話でしょ?」
羽田は、なまじ頭がいいから目から鱗と他人の意見に耳を傾けず、自分の理屈ばかりを通そうとする。その理屈というものもどれも屁理屈である。そして負けん気の強い島田も、屁理屈を屁理屈と聞き流そうとはしない。
「外がどうなっていても、ここが学校で、その校舎である限りは私が先生で、あんたは生徒よ!」
これには教室内も「おおっ」とどよめいた。羽田の今の態度を疎ましく思うのは結構多い様である。深沢も実はその一人である。担任・島田の切り返しに胸が晴れる。
島田は女性としては声が低い。声量もあるから迫力もある。背は高くなく、髪も短く、いつも綿のパンツ、白いスニーカーを履いて、後ろ姿だけなら背の低い男子高校生と見間違うこともある。これでも恋人がいるという噂があるから、世の色恋は不思議である。深沢も島田を女性として見たことは一度もない。それでも芯のしっかりとした性格と、生徒に媚びない態度、圧倒的な強気、加えて気弱な生徒には気配りもできる緻密さ、それらに教師として信頼を置いている。
「それでも俺は外を調べに出るぜ。やっぱりここにいたってしょうがない。俺の考えに賛同する奴、他にいるか?」
羽田もまた頑固に我が道を進もうとする。この声に、三人ほど挙手している。その面子は野球部やバスケットボール部、彼と同じくサッカー部といった運動部に所属して、普段から羽田と仲が良い喧しい奴らである。彼らは羽田のいる窓際に集まって今にも外へと出ようとするので、いよいよ島田も頭に血が上る。
「あんたら、いい加減にしなよ! 教室にいろって言ったら教室にいろ!」
すると丁度そこで、突然教室のスピーカーよりいま流行りの女性シンガーの歌が流れ出す。何事かと、黒板の上、右端に設置されたそのスピーカーに誰もが振り返る。羽田たちも足を止めた。曲の上からノイズが重なると、
「皆さん、ご機嫌いかがですか? さぞかし驚き、さぞかし不安に駆られ、さぞかし恐怖していることでしょう。いま自分たちの身に何が起きたのか、この学校はどうなったのか、自分たちが住んでいた世界はどうなってしまったというのか… 皆さんの心の中は、今こんなところのはず。わかります、わかりますよ、その気持ち。僭越ながら、私はその皆さんの不安を一つ解消いたしましょう。ですが、同時に別の不安を皆さんに与えることになりますが、ご了承ください」
何者かがスピーカーを通して学校中に話しかけてくる。その声はボイスチェンジャーを通して不自然に高いが、口調から自分に酔っているのがわかる。教室内はまた騒然とする。
「お前は誰だ!」
誰かが叫んだが、返事はない。スピーカーからの声は話を続ける。
「ここは私が作り出した、皆さんが住む世界とはまた別の次元の世界です。あの世だとか、魔界だとか、天変地異が起きて、世界が崩壊したといった話ではありません。ご安心を。ただ、だからといってすでにこちらへの入り口を閉じてしまいましたので、皆さんはここから出られません。また、あの世や魔界とは違うと言いましたが、外には恐ろしい獣や魔物もいますので、あながち間違ってもいません。皆さん、勘の鋭い方ならもうわかるかと思いますが、これはゲームです。自分たちが住む世界へと帰るゲームなのです」
続きます