ロッカーから出てきたもの
深沢が調べてくれないなら、放送室に残してきた宗田を呼ぼうと、島田も潔くないことを口にする。よほど心に平静を失っていると見える。そんなもので一度は拒否したものの、やはり自分がするしかないと深沢も腹を括る。ズイッと島田を押しのけ、ロッカーの前に立ってやると、
「あら、そう、やってくれるの?」
なんてことを言う。まるで男を利用する女の腹黒さのようである。思うところ、噂の彼氏もこうして掌の上で転がしているのだろう。騙される男が悪い。男というものは大概、女に騙される生き物に違いない。こう思い、嘆息を漏らして、深沢はロッカーの取っ手に手を掛ける。恐る恐る開いてみると、ドサリと音を立てて、大きな塊が床に横たる。
「うわっ!」
自分でも情けなくなるほど怯えた高い声が喉を突いて出て、彼は思わず後ろに飛び退いた。
「何よ、これ?」
見れば人である。膝を抱え込むように折り曲げられ、丸くされてロッカーに押し込まれていたようである。服装はグレーのスーツ、顔をよく見れば、
「これって、教頭先生なんじゃ…」
いつも七三に分けて、コッテリ固めた白髪まじりの髪がボサボサと手入れ不精の芝の如くに乱れ、頭頂部からは額にかけて血も流れている。瞳は閉じ、口はだらしなく開いて、ピクリとも動かない。生きているのか死んでいるのか、すぐに確かめればよいものを、血を目にした深沢も島田もすっかり怖気ついて固まってしまっている。深沢は横たわる教頭から目を離すこともできず、見た目で十中八九の死を直感すると、では一体誰が、何のためにと、ここで起きた一連の場景を手前勝手に想像してしまうのであった。いや、犯人が誰かなんて愚問である。この学校をこの訳のわからない世界に引きずり込んで、命を掛けた脱出ゲームを強要する先ほどのアナウンスの人物こそが、教頭の頭を固いもので殴ったに違いないのだ。安全区域だとか言っておきながら学校の中でこう殺人が行われてはルール違反であろう。何やら怒りが深沢の胸に燃えだす。その怒りの炎が、それまでの恐怖も何処かに押しのけていく。確かに深沢は、同じ毎日の繰り返しに飽き飽きとして、そのような日常を覆す刺激的な世界を夢見ていた。正直に告白すれば、この学校が別の世界に運ばれたとわかったとき、彼の心の半分は高揚していたのである。アナウンスの人物に秘かに感謝したくらいであった。だが、それもあくまでルールがあっての話。刺激を願っても完全無秩序の混沌とした世界は彼の欲するところではない。まして自分でルールを設けながら、それを裏切った嘘つきな人間には我慢がならない。
「ちょっと、深沢君?」
深沢は教頭先生に近づくと、頭部の側で屈んで、首筋に手を伸ばして脈の有無を確かめる。すると予想に反して微かに脈がある。
「先生、生きてる! まだ、生きてますよ!」
振り返ると、目を引ん剥く島田がすぐに駆け寄って、同じく脈を調べ、生きていることに相好を崩す。
「教頭先生! 大丈夫ですか! 大丈夫ですか!」
島田の声にもいつもの張りと厚みと強さが戻る。その呼びかけに教頭も一瞬、意識が回復して、僅かに唸る。まだ死んでないものは、しかし、処置を施さなければ死んでしまう。島田は、保健室にて保健主事の先生を呼んでくるように指示する。深沢もコクリと頷き、すぐに立ち上がって駆け出し、職員室を出、側の階段を下った。一階、玄関入り口から廊下を挟んで正面に見える保健室へと向う。怪我と病気に無縁の彼はその場所も入学当時のオリエンテーションで案内されて以来、入ったことがない。保健室の先生の顔も、どんなものであったかあまり憶えていない。異世界へと運ばれた現実とあわせ、彼は保健室の引き戸を慎重に開けた。
「すいません、誰かいませんか?」
半分ほど開いたところで、申し訳なさそうに声を出す。返事はない。誰もいないのかと、もう半分を開いて、敷居を跨がず、丁度線の上から中を見渡す。左手にはカーテンで覆い隠せるベッドが二つ、奥の窓際にデスクが一つ、右手には冷蔵庫や、薬品が並べられた背の高い棚と、医学関係の本が並んだ、こちらは幾分低い棚が見える。深沢はもう一度、誰かいないかと室内へと声を出す。先ほどよりも大きな声で聞いてみたが、やはり返事はない。仕方なくゆっくり足を踏み入れ、中に入って留守を確かめる。デスクの下やベッドの陰にもいない。それでも照明はついたままである。デスクの側の窓に目を移すと、鍵が掛かっていない上に僅かに開いている。保健室の先生はどこへ行ったのか、もともとこの世界に連れてこられていないのか…
「いや、誰もいない!」
そう言い捨てて、深沢はまた走り出して職員室へと向う。二、三分も経っていないこの短い時間の中で、職員室で何かあるとも思わないが、何も起きていないことを願いながら、勢いよく給湯室へと滑り込む。息を荒げて突然戻ってきた彼に、
「びっくりした。驚かさないでよ。あれ? 深沢君、先生は?」
「いや、保健室には誰もいなかったです。今日、非番だったとかって聞いています?」
「いや、聞いてないわよ」
「教頭先生のほうは?」
「さっきから呼びかけているけど、目を覚ましてくれない。このままにしておいても駄目だと思うから、とりあえず保健室に運びたいわね」
島田は給湯室にあったタオルを濡らして教頭の頭の傷口にあてがっているが、そんなものでは応急処置にもならない。
「俺たち二人で、ですか?」
「宗田君も呼んできて。男二人もいれば一階まで運べるでしょ」
深沢はまた無言で頷いて、走り出す。宗田がいる、すぐ近くの放送室へと向うその短い時間の中で、はて、先ほど学校中に犯行宣言にも似たアナウンスがあったとき、宗田は教室にいただろうかと、そんな疑念が突如と湧く。記憶を深く辿ろうとすると、放送室の扉が開いて丁度宗田が出てきた。
「おお、宗田君。丁度いいところに。教頭先生が怪我しているんだ。保健室に運ぶから手伝ってくれないか」
「教頭先生が?」
放送室で調べた成果等々にもあえて触れずに、すぐに踵を返してまたまた職員室へと走って戻る。深沢の後を宗田も走ってついてくる。宗田の足は御世辞にも速いとはいえない。
続きます




