第七話 サイタマーの苺騒動
~~~~~~「トチメイデン賛歌」[王国名物録]より引用~~~~~~~~~
そんな事よりさ、今さっき王都の市場行ったんだけどさ、
取引台で『トチメイデン』出したら住み込みの店員が慌てて
「こ、これは『トチメイデン』!!
しょ、少々お待ち下さい、只今オーナーを呼び付けます!!」
って叫び出したんだよ。
そしたら半刻もしないうちにオーナーと店長と市場長が
駆け付けるなり俺の目の前にひれ伏して、
「高い地位と身分を証明するステータス苺である『トチメイデン』を
お持ちのお客様に御来店頂けるとは光栄です!」
って汚い床に額を擦り付けてもてなされたよ。
店内の他の客も、
「まじかよ、『トチメイデン』なんて凄いよな!」
って大騒ぎ。
俺の後ろで自慢げにトヨノッカーを出して並んでたオヤジも
顔を赤くして恥ずかしそうに荷馬車にこっそり戻していたよ。
店の奥に通されて高級ウイスキーまで出された。
高級菓子の詰まった菓子折り持たされて、
帰りは高級馬車で家まで送ってくれて最高だったよ。
改めて『トチメイデン』のステータスを実感したよ。
ホント、どえらい苺だよ。
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……私は今、自宅で工作を行っています。
私が声を上げると、アルスラ、キット、それにノノワの三人も反応する。
……アルスラ、君はそれしか言えないのか。
私は、目の前のそれ、すなわち中ぐらいの背嚢に無色晶と黒曜石を敷き詰めて内張りをした特別製のカバンを示してみせる。
「ノノワ、これに『氷』の魔法を掛けてみてくれ、小さいやつでいい。」
すると氷の魔法の冷気が『容器』に充填されてゆく。
全員に内部を触らせてみる、すると……
……アルスラは相変わらずブレない。
「……これは、言うなれば『魔力維持器』とでもいったところかな。」
私は気分を出し、少し勿体ぶった声を出してみる。
「魔法を掛けると、その力をしばらく維持することが出来るんだ。今回は氷だったけど、火の魔法を使えば熱を保つことも出来るはずだよ。」
……アルスラはやはりブレない。
「……魔法の補充は一日一回。これで内部の冷気が保てるはず。」
そして、これを作った理由は、
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
さて、トチギー辺境領は『トチギー』『トチギー』と呼ばれてはいるが、実際のより原音に近い表現にすると『トォッツィギィー』というのが正しい。
アクセントまで考慮するとさらに、トォッ(→)ツィ(↑)ギィー(↓)ということになる。
……地元民以外は激しくどうでもいいことだが。
前述の『トチメイデン』というのはトチギー辺境領名産の『苺』のことである。
大変に甘く、適度に酸味もあって非常に美味であるが、痛み易いため地元以外で生の果実を食するには相当の困難が伴う。
実際に、トチメイデンのシーズン中においては、馬車に氷を満載して強行軍で荷を運ばせる、という相当無茶な贅沢が王侯貴族の間では行われている。
ゆえに、旬のものを王都周辺で味わおうと思ったら同じ量の黄金に匹敵する金額を払う必要がある、という結果になるのだ。
そこに私は目を付け、我が特製の『魔力維持器』を開発したのだ。
魔法で『冷気』を維持すれば、氷を使うよりもずっと手軽で扱い易いはず。
『馬車に氷で強行軍』では費用が馬鹿にならないし、手間も相当のものだ。
しかし、『馬に魔法の冷気で少人数』ならば大したことにはなりようもない。
所要時間もぐっと短縮可能だ。
これならば、私たちでも十分に実現可能であろう。
そう、機会は、逃すわけにはいかないのだ。
扶養家族も増えたことであるし、今の我々には一攫千金は永遠の命題である。
……私もだんだんキット辺りに毒されてきたな。
* * *
さあ、クエスト開始だ。北方辺境街道を一路、トチギー辺境領へ向かう。
北方辺境街道は今は春、花は咲き乱れ、鳥は唄う。
光溢れる長閑な風景の中、馬を進める。
あまりにも暇なので、雑談がはかどる始末だ。
「……ところで師匠? 師匠はときどき、呪文の詠唱が極端に短いことがあるようですが……?」
大した観察力だ、私はとっさには返答出来ない。
「今の所私だけが可能な『特技』のようなものだ。出来れば秘密にして欲しい。」
とは言え誤魔化すのは多分無理だろう、とりあえず口止めだけしておく。
「私としては……出来れば成果を公表して欲しいと思いますわ。これは画期的なことですもの、大変な発見だと思いますわ。」
「きっと、中央からも高く評価されるはずですわ、師匠の名が残る……」
その言葉に至ったとき、ノノワがあることを思い出す。
「残念ですわ」とノノワが言葉を続けた。
……そう、私は目立つわけにはいかないのだ、今の生活を守るためにも。
「……ついでに言えば、この『特技』は余りにも危険過ぎる。既存の魔法と呪文の関係性を大きく覆すものだ。」
後は言うまでも無い。
ノノワは再び「残念です」という言葉を飲み込む。
彼女はより前向きに考えることにしたようだ。
こちらも、せめて建設的に考えることにしよう。
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さて、私が『呪文詠唱は短縮可能』という事に気が付いたのはアカデミー在学中のことではない。
それはもっと後、『死霊術』の研究を始めたことが切っ欠けとなっている。
と言うのも、もとより『知られざる魔法』である死霊術は、その呪文が『やたらと長い』という特徴を持っていた。
短いものでも十数分、長いものだと一時間近くに及ぶ、というとんでもないものばかりである。
そして、その研究途中において私は、
『詠唱が完了していないのにもかかわらず、魔力の発現が行われていた』
という隠れた事実に気が付く。
すなわちそれは、
『呪文の完全な詠唱が必ずしも魔法の発動に必須という訳では無い』
という『常識の転回』を指し示すものだったのだ。
このことをきっかけに、私は『魔法の発動に於いて必須の要素とは何か』という命題を検討し始めた。
当初は、『呪文には成立過程に於いて相応の冗長性が含まれているのではないか』という仮定で検証を行っていた。
裏を返せば、各魔法には謂わば『必須呪文要素』のようなものが存在するのではないか、と考えていたのだ。
それに対して、『時代の変遷と共に余分な雑音が付加されてしまうのではないか』、という仮定だ。
ところが、そうやって呪文の最適化を試行錯誤するうちに、私は気付いてしまう。
『魔法は、その発動イメージを想起することのみでも起動可能である』
という事実に。
すなわち『魔法』とは、術者の精神の力が、身の回りの物質や魔法素と相互に関係し、干渉することによって成り立つ。
『魔法には、術者のイメージこそが最も重要な要素なのだ。』
これが、今の私が得ている結論である。
ただし実用上、魔法の使用に於いて『イメージの想起のみ』によって発動を行うのは少々難易度が高い。
人の『想像力』『創造力』というのはそこまで安定したものでは無いからだ。
精神の集中は意外と難しく、イメージの想起のみでは不安定で失敗することも多くなってしまうのだ。
ゆえに私は、これに少しばかりの改良を加えている。
魔法のそれぞれに、固有の『詞』を設定し、イメージと効果と効力を相互に関連付けたのだ。
それはあたかも、長大なる文章のあちこちに『付箋』を挟み、それを探し出すだけで目当ての事項を直ちに取り出すような仕組みに近いだろうか。
これにより私は、『詞』を唱えるだけで望みの魔法を発動させることが可能となったのだ。
すなわち、『たとえ上級魔法であっても最短一音節で起動可能』ということ。
これが、現在の私の『特技』の概要である。
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結局大して危険なことも無いままトチギー辺境領に到着した。
アルスラには、道中の警戒の負担を押し付けてしまっていたかも知れないが。
門をくぐって広場に入ると、そこは既に多くの人々でごった返していた。
地面が、あまり見えないのに気付かされる。
さて現在、『トチメイデン』の季節であるためトチギー辺境領は人が多い。
王国各地から、かの美味なる苺を目当てにやって来ているからだ。
痛みやすい果実を王都近くで味わおうと思えば相当の出費を覚悟せねばならない。
では、それを産地で直接手に入れるのならばどうであるか?
その答えが、眼前の沢山の人々というわけである。
さしものトチメイデンも、産地で食するのであれば値段は大したものではない。
中小の貴族や、少し余裕のある平民などの場合、こうして直接食べに来たほうがかえって安上がりである。
俗に『苺狩り』などと呼ばれる娯楽の一つだ。
ゆえにこの季節は、トチギー辺境領は人が多いのだ。
「さて、せっかく来たからには少しゆっくりしたいところだが……。」
「駄目ですね。馬は借り物なので日にちを掛けるとお金が馬鹿になりません。」
キットはどこまででもしまり屋であった。
「サイタマーへ行くときは通り過ぎただけでしたから、結構楽しみですわ。」
トチギー辺境領は農業が盛んであり、食べ物がとても美味しい。
実はアルスラもノノワも、その辺を楽しみにしていたようだ。
とりあえず、目に付いた適当な飯屋に入ることにする。
食事の後にもやることがあるので、飲酒は控えたほうが良い。
となると選択肢が限られるのだが……。
「それでしたら、『乳レモン』なんかはいかがですか? "トォッツィギー"の名物なんですよ。」
流石地元の店員、発音が本格的だ、ってそんなことはどうでも良くて。
しばしのひととき、美味しい食事を楽しんだ。
そして問題の『乳レモン』であったが……。
基本は牛乳であった。
だが僅かに甘味が感じられ、砂糖が少量加えてあるらしい。
さらにほのかな酸味とかすかに柑橘系の香りが感じられる。
「師匠、牛乳にレモン汁入れたらチーズになってしまいます。それは有り得ませんわ。」
……悪かったな非常識で。
「しかしそうなると不思議だな……、どうなってるんだこれは?」
店員の人に尋ねてみる。
「……申し訳ありません。『乳レモン』の秘密は口外してはならない掟なんです。もしそれを破れば……」
妙に深刻そうな店員さんの表情に、私も不安になる。
トチギーの闇は意外なほど深いらしい。
余所者は、余計な詮索をしてはならないようだった。
* * *
問題の『トチメイデン』は、確かに見事な苺であった。
輝くような紅色で、艶のあるおもて、いかにも食欲をそそる。
甘い香りが、何となく気分を高揚させてくれた。
さて、目的の『トチメイデン』を調達したらすぐにもサイタマーに戻らなければ。
ここからは、時間との勝負だ。
目に付いた、適当な農家を訪れる。
「おや、ずいぶん買い込むねえ。トチメイデンは痛み易いから、早く食べないとすぐ駄目になっちまうよ。」
これを商売にする、というのは出来れば秘密にしておきたい、誤魔化しておこう。
しかし、何やら皆の視線が痛い……。
お前、このまま持って帰るだけかよ、みたいな意思が目から感じられた。
とりあえず、これで懐柔を図ることにする。
すると皆に笑顔が溢れる。意外とチョロかったようだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
さあ、帰り道だ。北方辺境街道を一路、サイタマーへ戻る。
辺境の街道は今は春、花は咲き乱れ、鳥は唄う。
光溢れる長閑な風景の中、心持ち急いで馬を進める。
でもやっぱり暇なので、雑談がはかどる始末だ。
「……それにしても、キットは成り行きで『奴隷』なんてことになってしまったけど、それで良かったのかい?」
暇つぶしのついでに、気になっていたことを聞いてみる。
だが、意外なほど強く彼女は答えるのだった。
「あたいは、薄汚い元盗賊職だけど、それでも『なけなしの誇り』ってモンが在るんだ。自分の始末は、自分で付けてみせる。」
キットは私の元に来て以降、努めて丁寧な口調をするようにしている。
しかし今、彼女は少し興奮しているのかそれが崩れていた。
彼女本来の、ハスっぱでぶっきらぼうな言葉が放たれていた。
私は一瞬、答えに詰まる。
苦味が走った顔で、ちょっと肩をすくめて、
「それでも、アンタと一緒なら、とりあえず『食いっぱぐれる』ことは無さそうだし、居心地は悪くないってモンさ。」
晴れ晴れとした顔で、彼女はそう言った。
キットはそして、深刻な顔。
「アンタ分かってるかい? アンタときどき、『目が死んでる』んだ……」
キットはそうして、深刻な声。
キットはやがて、必死な表情。
「そんな……そんなのって無いじゃないか、あたいは、あたい達はアンタに……えっと何て言ったらいいんだ……その……何か、何か大切なものをもらったっていうのに、大事なものだっていうのに、ああちくしょう、上手く言えないよ!」
キットはまるで、叫ぶように。
「どうしてなんだよ、アンタはもっと幸せになっていいはずなんだ、いいはずなんだよ!」
「そんなの放っとけないよ、あたいは……あたいはアンタが心配だ、心配なんだ!」
「……ああちくしょう、あたいは馬鹿だから、上手く言えないよ!」
「あたいはアンタが心配なんだ、だから、そばに居たいんだ!!」
言葉は少し混乱していた、でも、気持ちは伝わってくる。
私は一瞬何を言おうか戸惑う。
でも言葉は、こんなときにはなんて無力なんだろう。
口に出すと、全てが嘘臭く感じられてしまう。
私は、何を言おうか戸惑う。
だから私は、今の自分に出来る精一杯の笑顔をして、
ただ、それだけを返すことにする。
皆も何言わず、笑顔で返してくれた……。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
そしてサイタマーに到着した。
結局大したことは起きず、半分観光気分の気楽な道中だったのは幸いだった。
今は『取引所』に急ぐことにする。
「……こっこれは…『トチメイデン』! しょ、少々お待ち下さい!!」
取引所の職員さんの応対があまりにも典型だったので、つい笑ってしまったが。
値段がその場では決められず、ひと騒ぎの後、夕刻ぐらいにようやく『一万ゲルダー』で決着した。
一週間と少しで一万ゲルダーは悪くないと言えるが、手間はそれなりというところだろうか。
それなりに豪華な夕食を取り、今夜はゆっくり休むことにしよう。
湯浴みも済ませてあとは寝るだけだと思ったら……。
「師匠……えっとその…やはり師匠と弟子は一心同体ですのでその……」
一人一回でも三人だと三回になります。
翌日の朝日は、やはり黄色かったです。
……起きてからもいろイロあって、其の日は結局休みにしました。
* * *
明けて、ようやく白山亭に顔を出す。
早速シンメイ氏が、声を掛けてきた。
「……よう旦那、なんかご指名で依頼みたいだよ。あとはそっちの人に聞いてくれ。」
「やあどうもどうも、私は王都のほうで商売をしております――」
依頼人の話によると、やはり例のトチメイデンがらみだった。
商人ギルドでも既に評判になっていて、もう一度荷運びをしてもらいたいらしい。
「……あまり目を付けられたくないので、これっきりですよ。どっちにしても、シーズンももうすぐ終わりでしょうし。」
そういうわけで、再びトチギー辺境領を目指すことになったのだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
北方辺境街道は、相変わらずこのときはとても平和であった。
「……グンマー族が最近大人しいのは有難いんだが、何か不気味なんだよな……」
「主様、"森の奥の民"は今の季節は『成人の儀式』で忙しいので、森の外には出ないのです。」
「はい、今頃は森の奥で、盛大に『祭り』が開かれているはずです。」
それは初耳だった。当たり前だが。
ともあれ、意外な事実を知ってしまった。
「しかし、その辺はさすがアルスラだね、『戦士』だけのことはある。」
「い、いえ……何度か『祭り』に招待されたことがあるだけですので。」
アルスラがちょっと照れていた。
「ところで……『成人の儀式』ってやっぱりアレなんでしょうか? なんでも高い櫓を作って足に縄結んで飛び降りるとかいう……。」
アルスラが、ややぼかした表現をする。ちょっと珍しい。
「実のところ、儀式は神聖なものですので余所の者が見ることは許されないのです……直に見た訳ではありません。」
「ええとつまり、儀式それ自体は見てないけど、その後の宴には呼ばれたことがある、ということなのかい?」
そもそもそんな『宴』に呼ばれるということ自体が、意味ありそうなんだが……。
気にしない方が良いんだろうな、私の精神的安寧のためにも。
* * *
そして無事トチギーに着いて、
……キットにいくらか負担が掛かったようだ。
前回同様軽く食事をして、前回同様トチメイデンを購入した。
今回も時間に余裕は無い、直ぐにサイタマーに取って返さないと。
* * *
帰り道は気持ち、馬の足を速めていた。
「……しかし、この仕事が元で変な所から目を付けられないと良いんだが。」
冒険者ギルドはともかく、他のギルドに目を付けられるのはなるべく避けたい。
「師匠、そんなことよりこの『魔力維持器』をどっかの商会に売り込んではどうです? きっと大儲けですわ。」
ノノワ、キットの意見が一致する。特にノノワが魔法絡みなので熱心だった。
「そんなこと無いですわ、これの素晴らしさは私には分かります!」
……アルスラはやっぱりブレません。
等々と下らない話をしていると、アルスラの様子が急に変わった。
顔付きが引き締まり、馬上の姿勢が緊張を帯びる。
そして馬を寄せてきて、小声で知らせて来た。
グンマー族がいなくても、やはり此処は危険地帯。
道中、注意を怠る訳にはいかないようだ。
しばらく馬を走らせる。振り切れただろうか。
少し息を抜く。だが……
アルスラの言葉は堅かった。
やがて前方の一団が見えて来る。
人数は十四、十五人だろうか、道に広がって塞ぐようにしている。
最悪の事態に備えるべきか? 私は魔法を使う準備に入る。
全員の緊張が高まる。
だがそこに、
「……ああ、お待ちをお待ちを! 我々は怪しい者ではありません!」
なにやら男が大声を上げて走って来たのだった。
こちらが速度を落としたので、或いは魔法の使用などを警戒されたのだろうか。
そうなると、ただの追剥ぎや山賊の可能性は低くなるのか。
少なくとも相手は、こちらの事を知っているようであるから。
先ほどの男が、再び声を張り上げる。
私の名を知るということは、やはりゆきずりの強盗などでは無いようだ。
男が名乗る。
この男『バルマー』とやらは、商人であるらしい。
さて、目の前の『バルマー』氏は背丈は普通程度、やや太り気味か。
髪は赤っぽい茶色で、瞳は濃い茶色、人は良さげな感じの中年男性だ。
商人の例に漏れず、周りには『護衛らしき男達』も連れている。
その屈強そうな男達に比べると、いかにも弱そうな印象であった。
こちらを警戒させないためか、作った笑顔が見て取れる。
さて、どうしたものか、対応を考えねば。
「……最近の商人は、山賊の真似事もするようになったのかい?」
まずはキットが問いを投げてみる。
「こっちには、『腕利き』もいるんだ、妙な事はしない方が良いよ。」
キットは、アルスラを指差す。
アルスラのほうは、既に戦闘態勢を整えている。
馬上で槍を構え、警戒態勢を取っていた。
彼には緊張はあるようだが、それでも商人らしい作り笑い。
「私は、アインライト様にご相談、いえ『商談』に参ったのです。どうか、お話だけでも聞いてはもらえませんかっ!」
こんな危険な場所にまで『商談』とは、大した商人魂であろうか。
バルマー氏に相対しているうちに、護衛?の男達に距離を詰められてしまった。
既に、こちらは半分包囲された状態になってしまっている。
アルスラだけなら一人でもなんとかなりそうな気がするが、いかんせんこちらは『私及びノノワ』という足手まとい付きだ、条件が不利である。
まずは、相手の出方をうかがうしかない。
「はい、アインライト様、『商談』にございます。それも、あなた様に有利な。ええ、大変に『お得』な取引でございますよ!」
商売口上にしても、随分と唐突な言い草に思える。
「正直に申しましょう。アインライト様、今あなた様がお持ちの『トチメイデン』、それを是非私共に売って頂きたいのです。」
「もちろん、値段については考えさせて頂きますとも。……とりあえず、一万二千ではいかがでしょうか?」
商人にしては、ずいぶんとストレートに交渉をしてくるものだ。
普通こういうやりとりの場合、まず適当に関係無い話をしながら出方をうかがい、値段の話などは最後になるものであるのだが。
「……こちらとしてはそうはいかないな。これは『ギルドの』仕事としてやっているものなんだ。勝手に相手を変えたら、こちらの信用問題になる。」
対する私達の立場は、言葉の通りだ。
無頼の『冒険者』といえども、信用や信義というものはやはり重要である。
予想は出来たが、やはりバルマー氏も引かない。
条件を譲歩してでも、食い下がろうとしてきた。
そして周囲の男達も、心持ち包囲を狭めてきたような気がする。
これは……余り良い雰囲気ではないな。
私は、皆を集めて作戦をまとめる。
「(ひそひそ)キット、値段交渉なら君の方が得意だ、任せる。」
「(ひそひそ)アルスラ、最悪のときは囲みを突破する、用意を。」
「(ひそひそ)ノノワ、場合によっては君だけ逃げろ、助けを呼ぶんだ。」
皆はうなずく。
「……おっと、そういうことならあたいが話を引き継ぐよ。ご主人様は人が良いお方だから、汚い交渉事は任されているのさ。」
キットは声を張り上げた。交渉事は彼女であれば、実に頼りになる。
「で……一万三千? 話にもならないね! わざわざギルドにまで逆らおうってんだ、二万はもらわなきゃ!」
「それから! 商人ギルドから仁義は切ってもらうよ! そのへんちゃんと出来るんだろうね!?」
彼女は、まずは強気で当たるようだ。
「そ…それはもちろん…こちらとしましても、最大限努力を……。」
キットに注意が移ったようだ、私はその隙に手を打とう。
あれから時間もたった、あの魔法『恐怖』も今度は何とかなるだろうか。
暴走させないことを意識しつつ、私は精神を集中する……。
イメージを想起せよ。
暗闇、恐れ、悲鳴、根源のもの。
わたしは…………
「"アインライト君、君がその魔法を使うと約九割の確率で暴走する。出来れば止めて欲しい。"」
だが突然、『その声』は響いて来た。
胸元の『通信器』から、おなじみの声が聞こえてきたのだ。
「"そこの彼、バルマーは私も懇意にしている商人でね。何度か世話になっているんだ。"」
「"彼にも難しい立場があってね。私からも礼はするから、どうか頼みを聞いてあげてはくれないだろうか?"」
そう、その声は『ダル・ウィン氏』だった。
例の仕事が終了して、貴重な品であるから返そうとした。
だが彼は、「何かまた頼むこともあるだろうから」と平然と言ってのける。
結局、この『通信器』は持たされたままだったのだ。
それが、今日突然動き出すとは思わなかった。
「……そ、その声はダル・ウィン様ですか? 良かった、どうか是非ともお力添えを!」
そしてダルウィン氏の声に、バルマー氏も反応する。
ダル・ウィン氏の突然の介入で、両者お互い気勢が削がれた形となる。
交渉については、どうやら『前向きに検討』せざるを得ないようだった……。
* * *
「……では、値段については配慮しましょう、言う通り一万五千で良いです。その代わり、商人ギルドからの口添え、よろしく頼みます。」
「はい、はい、ありがとうございます! これでウチの商会も面目が保てます。本当に、ありがとうございました!」
終わってみると、バルマー氏は随分と嬉しそうであった。
取引としては、だいぶ損をしているようにも感じられるのだが。
「……何かありましたときは、いつでも手前共にお声を掛けて下さい。最大限、お世話させて頂きますので……!」
バルマー氏とその護衛達は、やたらと恐縮しながら帰って行く。
ダル・ウィン氏はそう言い残して通話を(一方的に)終えた。
この人もあい変わらずだ。
「……甘いですよ、ご主人様。一万八千までは引っ張れる感じでしたのに。」
そしてキットは、最後にそう締めくくるのだ。
自然、私達には笑いがこぼれた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
さて、サイタマーに帰り着いて早速白山亭に行ってみる。
すると、そこには意外な人物も待っていた。
何故かゼフィから、額をテーブルに擦り付けんばかりの謝罪を受ける。
こちらは当惑した表情のままでいると、
「この件、多分ウチの"クソ城主"の差し金だ! 本当に済まない!!」
これには流石に驚かされる。
というか、この人は人前で"クソ城主"とかよく平気で言えるな、大した豪胆さだ。
「ハラーグロ公爵かアックトック侯爵だったか、とにかくその辺向けの『贈り物』の手配でトラブルがあってね、その穴埋めでこんなマネを仕出かしたらしい。」
「……それにしたって普通に商人ギルドを通せば良いものを……」
「どうも焦った余り、子飼いの手下使って直接御用の者に捻じ込んだらしい。」
ゼフィは肩をすくめる。
「はあ……こんな事されたら後で現場が大騒ぎになるってのに……!」
そして今度は、忌々しげな顔。
「とりあえず、アイン殿の"仕事"については期間延長扱いで問題無いようにしておくから、もう一遍頼めるか? 片付いたら、費用については配慮もするから。」
幸い、皆異論は無い。
ゼフィが慌しく出て行く。
彼女も中々大変な立場のようだ。
……そして、後には難物な御仁が依然残る……。
「彼女も含め『宮仕え』というのも中々大変なようだね、同情するよ。」
人ごとのように、ダルウィン氏は飄々とした風情。
そして、余裕の笑顔。
「好き勝手に知識を探求して、ときどきその成果を『陛下』に披露すれば良いだけなのさ、実に、気楽なものだよ。」
今"サラっと"とんでもないセリフが出たような気が。
「……では、とりあえず私からも個人的に『お礼』をしよう。これを受け取ってくれたまえ。」
ダル・ウィン氏は、ふところから何かを取り出した。
それは魔法の『呪文書』に見えたが……
今度こそ、本当に驚かされた。
「高い魔力を持つ者ならば、使いこなせるだろう。私の見立てでは、アインライト君なら可能なハズだ。」
それだけ言い残し、彼は立ち去る。
残された私達は、呆けた表情。
「とりあえず、言われた通り有効活用を検討してみよう。本当に使えるかも含めてね……。」
しかし、軽い口調で渡されたが、『もしこれが本物なら』これはとてつもない貴重な『呪文書』なのである。
少し、気分が重くなった。
* * *
『転移』の魔法の試行を白山亭でやるわけにもいかないので、自宅に戻ってきた。
この魔法は、その名の如く『任意の場所への瞬間移動』を可能とする魔法である。
実際には、これは『術者の記憶』を引き金として発動させるので、自分が行ったことのある場所しか行くことは出来ない、という『説が伝承されている』。
魔法としては古来より有名なものだが、私も実際に見たことは無かった。
何故ならば、これは"古きもの"『天使』『魔族』だけが使う魔法とされるからだ。
人間には使うことは出来ない、と謂う話すらある。
当然、研究など殆どされていない、はずであるのだが……。
……ダル・ウィン氏の謎が、ますます深まったように思えるな。
……呪文書と格闘すること数時間、何とか使えることの目途がついた。
そもそも、多くの魔法使いは長い呪文を無理に全部覚えようとするから本質を読み違えるのだ。
魔法にとって、大切なのは『イメージ』なのだから、それを意識して……。
試しに、隣の部屋に『跳んで』みる。上手くいったようだ。
「……こんなものか。魔力消費が激しいから、多用は出来ないな。便利なのは確かだが……。」
実際に使ってみると、普通の魔法よりも強い精神的疲労を感じる。
……アルスラは相変わらずブレない。
キットは、もう難しいことは考えたくないようだ。
私も、目の前のことだけに集中したい。
転移の魔法の、発動を準備する。
目標はトチギー辺境領。
目的は『トチメイデン』の購入。
皆も、私の周りに集まる。
全員手を繋いだら、発動だ……。
……そういうわけで、世間に大っぴらに出来ない秘密が、また増えてしまった。