第六話 サイタマーの追憶と悔悟
~~~~~「ブルーウッドの呪い」[王国怪奇話集]より抜粋~~~~~~~~
王国暦***年、旧ブルーウッド辺境領においては、
当時の領主が『異端の禁呪魔法』に関与した咎によって『火刑』に処され、
併せて領地は没収、王国本領へ編入されることとなった。
その処刑の後、その場に居合わせた諸侯・役人の全員、及び多くの見物人が、
『その後一年以内に原因不明の病死・変死を遂げる』
という不可思議な事件が発生している。
殊に、処刑の見物者の変死は最終的に約三百人にも及んだと云われる。
刑場周辺では、原因不明の怪死現象が次から次へと発生していったのだ。
そのため街は半ば恐慌状態へと陥り、住民が続々と逃げ出すことになったと云う。
そして、当時刑が処された広場付近の土地は完全に放棄され、
街全体が少し西へ移動することにすらなったと伝えられている。
この事件はのちに、火刑に処された『領主の呪い』であるという噂が
まことしやかに囁かれ、以来これらを称して
『ブルーウッドの呪い』
と呼ばれるようになった。
……現在に至るも、その原因は不明である。
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僕の生まれた『ブルーウッド領地』は、王国本領の遥か北にある小さな辺境領だ。
順次開拓は行われていて人口は増えているが、生産は未だ十分とはいえず領民の生活水準は押し並べて低い。
ここは発展途上の貧しい領地である。
さて、僕の名前は『アインライト・ミドルデン』。
領主様に仕える騎士の一人、『ミドルデン家』の一応跡取り息子である。
騎士の息子の割には、武芸の才能は乏しかったのだが。
しかし、そんな僕には別方面での才能が見出されることになる。
すなわち、魔法の素質である。
それも、数十年に一度クラスの大きな才能だというのだ。
家中より優れた魔法使いを見出すことは、貴族にとって大きなステータスとなる。
ゆえに貴族は、才能ある者を探し、育て、保護をする。
これにより、僕の世界は音を立てて変わってゆくことになった。
かつて父上は、僕に武芸の才能が無いことに心中で落胆していた。
かつて母上は、「田舎の騎士は難しい事など考えず、ただ忠勤にのみ励めば良い」などと言っていた。
だがその彼らは、法外な『天からの贈り物』にただただ歓喜し、それまでとはうって変わって僕の将来にあれこれ夢と欲を託すようになってしまった。
結果として、僕は領主様の城に預けられ、重臣たちの子弟に混じって一流の教育を受けさせられることになる。
知らない場所、知らない暮らし、難しい勉強と厳格な礼儀に彩られた、硬質な世界。
小さい僕は、環境の激変に戸惑い、悩み、塞ぎ込むことが多かった。
独り部屋の隅に隠れ、ただ息をひそめてじっと耐えているような毎日だった。
きっと心折れれば、そのまま消えてしまっていたのだろう。
そんな中、唯一の救いとなってくれたのが彼女の存在であった。
彼女、領主家のご令嬢リリアンヌ姫、通称リリア様である。
僕より三歳年上で、容姿端麗だが勝気で活発なお嬢様。
初対面以来、何故か僕のことを気に入ったと見えて、どこへ行くにも僕を連れ回すようになった。
小さかった僕のほうはといえば、ただ振り回されてばかりだったが。
「アインは可愛いから、もっと髪を伸ばしなさい。切ってはなりません!」
着せ替え人形のように、よくお下がりのドレスを着せられたものだ。
さすがに多少背が伸びてからは、ドレスを着せられることは無くなる。
しかし、振り回されるのは、相変わらずだった。
……でも、彼女は僕にとって、唯一の光だったのだ。
そしてリリア様には、幸運にも僕同様に魔法の才能が有った。
其れは主の賜りし、奇跡のような偶然の贈り物。
僕たち二人は、共に同じ道を歩み、まるで本当の姉弟のように一緒にすごした。
初級の魔法課程などは、あっという間に修了してしまう。
そしてブルーウッド領地のような辺境では学習環境などたかが知れていた。
故に、僕たちは王都へ留学することになった。
王都にある、『アカデミー』の上級魔法学校へと……
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
さて、『アカデミー』とは、敢えて表現すれば『魔法ギルド』だと言えようか。
だが、その支配の及ぶところは単にそれに留まるものでは無い。
この世界の『知的活動』は、須らく魔法と関連する理論を中心として成り立つ。
およそ『学問』『研究』『教育』といったもの全てについて、アカデミーの影響を受けずに済むものなど有りはしないのだ。
故に、『アカデミーはこの世のありとあらゆる知を支配する』とまで称される。
その影響範囲は、限り無く広い。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
王都の上級学校では、学生それぞれについて適正を細かく判定し、より専門的な教育が行われるのが決まりだ。
リリア様には黒魔法の、僕には白魔法の適正が有る事もこのとき分かる。
僕たちは、そう、鏡合わせの存在だったのだ。
其れは主の賜りし、幸運と幸せに包まれた贈り物。
故に僕たちは、それぞれの輝く平行な道をただひたすらに進む。
だが覚えておきたまえ、君はいつか理解するだろう。
進む道は必ずしも直線で平坦ではない、幾重にも絡みあい、曲がりくねる。
学ぶということはただ真似ることを意味せず、いつしか新しい歩みを踏み出す元となるのだ。新しいことを見付けるには、君は古いものを理解出来なければいけない。
君の立つその場所は、何処にあって、どんな形をしていて、何処へ繋がっているのか。
知識は確かに大事だが、何故それが成り立つのかを識るのはもっと重要だ。
君には自然のヴェールの向こうに隠された、秘めた真実を見出す資格はあるのかい?
……あのとき、先生の謂った言葉が、今も胸に残る。
知識を追い求めることが、これほど楽しいと思ったことは無かった。
知らないことを知ることは、確かに快楽だった。
このころは、アカデミーも、未だ、まともだった…………。
僕たち二人は、魔法使いとして成長していく。
成長するにつれ、アカデミーでも王都でも、名が知られるようになる。
魔法使いとは、そういうものだ。
いつの間にか僕たちには、『ブルーウッドの姫と従者』という渾名が付いていた。
殊にリリア様の人気は絶大で、王都の名士様方にお誘いを受けること度々である。
「ああ面倒くさい! 夜会の壁の花ならば、他を当たって欲しいものだ!」
……ご本人は、時々迷惑そうな様子ではあったが。
「……いえ、僕如きがでしゃばるのは僭越に過ぎるというものでしょう。」
一方僕自身は、あくまでも影に徹することにする。
なんとなれば、僕は『従者』なのだから。
リリア様の要望にて、僕は相変わらず髪を肩の辺りまで伸ばすのが続いている。
まあ、ドレスを着せられないだけ、ましなのかも知れないが。
さても『姫と従者』は、社交界の人気者。
お偉い方々にも、如何にも覚えは目出度い。
いずれリリア様は、あの華やかな世界の中で、より輝く位置へと至るのであろう。
そしたら僕は、故郷に凱旋して、魔法を教える教師にでもなろうかな。
そのときやっと、僕は髪を切ることが出来るのだろう。
王都の日々は、華やかで煌びやかだった。
そこには希望があって、平和があって、安らぎがあって、
そして、二度と還らない時間があった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
……転機は、突然にやって来る。
王都より遥か北、ブルーウッド領地で疫病が発生した。
大勢の人が、死ぬことになった。
多くの領民、領主夫妻、家中の人々、そして……僕の両親。
みんな、みんな死んでしまった。
リリア様は、白面の相貌にて告げられた。
「どうやら、選ばれし者の義務を果たす時が来たようです。もとより覚悟は出来ていますよね?」
僕に否やは無い。
なんとなれば、僕は『従者』だからだ。
「……このような事になるのであれば、私も白魔法を学ぶべきでした。」
ここで、僕は幸いにも治癒の魔法を活かすことが出来た。
疫病になった領民の、命を救う手助けぐらいにはなれた。
……全部は救えない、犠牲も多かった、でも、それでも。
それでも多くの人たちに感謝され、嬉しかった。
初めてリリア様の役に立てたような気がしていた。
やがてリリア様は、領内を立て直すのに忙しい日々を送る。
だが政治のことは、僕には良く分からない。
大したことは、出来なかったのだ。
「良いのです。お前がいてくれることが、私にとって一番の慰めなのですから。」
リリア様は、優しい、でも寂しそうな笑顔でそう言って下さった。
僕は、何かをしてあげたかった。
僕の唯一の取り得は、白魔法だ。
白魔法で、リリア様の為になることをしよう。
……いや、それだけでは駄目だ。
二度とあんな疫病が起きないよう、薬や医学も研究するのだ。
農業を改良するのだ、工業を発展させるのだ。
北の領地の厳しい自然に、立ち向かうすべを手に入れるのだ。
そうだ、学校を作ろう、そう思った。
読み書きを教えよう、計算も教えよう。
いろんなことを教えたい。
そしてリリア様も、賛成してくれた。
アカデミーの手によらない、学校が出来上がっていった。
……いずれは、魔法も教えたいな。
魔法使いが増えれば、きっと領地の、リリア様の助けになるから。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
領地の復興は進んでいたが、リリア様が塞ぎ込むことが多くなっている。
何かがあるのだろうか、気がかりだ。
「……アイン、私は婿を取ることになりました。この領地の、発展のために……」
中央の王家から、婿となられるお方が来るそうだ。
貴族に、結婚の自由など無い。
……そして、僕に否やは無い。
なんとなれば、僕は『従者』でなければならないからだ……。
でも、この胸の痛みは何なのだろう、この胸の空虚な穴の感覚は、何なのだろう。
何かに没頭していないと、どうにかなりそうになる。
そうだ、『魔法』だ、『魔法』の研究をしよう。
誰も知らない、知られていない『魔法』は、何処にある?
……それは、奇妙な呪文だった。
通常の呪文より遥かに長く、複雑で、そして不可解なもの。
領地の古老が口伝でのみ伝える隠された存在。
死者を操り、生者を謀り、霊を呼び出し、命を弄ぶ忌まわしい魔法。
……その名を『死霊術』と云う……。
これはいい、これは、面白い。
空虚なココロに、魔力が沁みわたる。チカラは、痛みを忘れさせる。
僕は、その研究に、ひととき没頭した。
いままで蓄えた知識が役に立つ。
いままで修めた学問が役に立つ。
そのままでは使い物にならない呪文。
そのままでは使う事も出来ない魔力。
使ってはならないはずの魔法
違う違うこんな長い呪文は無駄なのだ。
大切なのはイメージさイマジンだクリエイションせよ。
改良すれば使い物になる。
改造すればもっと便利になる。
なんだこんなに簡単じゃないか。
ほら、マスターした。
……私こそが、『死霊術士』だ!
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
どうやら遊び過ぎたようだ、いい加減仕事に戻るとしよう。
リリア様の夫君、いや新しい領主様は、優しげで、誠実そうなお方だ。
政略結婚とはいえ、夫婦仲は良さそうに見える。
仲良きことは、美しき哉。
私の本来の役目は、領主様の補佐役である。
意見し、補い、知恵を出し、力を尽くす。
非才なる我が身の及ぶ限りに、誠実なるご奉公をせねば。
節度ある距離を保ち、己を律せねば。
でも、この胸の痛みは何なのだろう、この胸の空虚な穴の感覚は、何なのだろう。
最近はリリア様を避けることが多くなってしまった。
無理も無い、今やあの方は領主夫人、私如きと親しく口を利くなど。
それは、本来許されるものでは無いのだ。
私の役目は領主様の補佐役であり、公私混同は許されない。
リリア様が、時折遠くよりこちらを見つめている。
何かを言いたそうに見えた。
最近領内で、モンスターが暴れているとの報告があった。
領地の民の安寧は、何より大事。
討伐の兵が、差し向けられることとなった。
「さほど危険なモンスターでは無いようです。旦那様ご自身が兵を率いるのが良いのでは? きっと領民も喜ぶでしょう。」
リリア様は、夫である領主様にそう勧める。
領民に領主様の頼もしい姿を見せることは、統治に役立つであろう。
妥当な判断である、私如きからは、口を挟むべきでは無い。
何故かリリア様が、一瞬こちらを見つめる。
何かを言いたそうに見えた。
……悲劇が、訪れた。
討伐に向かった領主様が、モンスターの襲撃を受けてあえない最後を遂げられた、というのだ。
リリア様は、それでも気丈に振舞っておられた。
動揺を鎮めねばいけない。
対処のため、忙しくなる。
ふと、リリア様がこちらを見て微笑む。
私を元気付けようというのだろうか。
リリア様が、ふと、呟く……。
私は、何も答えられない。
私は、感情を殺す。
……いや、とうの昔にそんなものは壊れていたのかな?
領主様は討たれたが、遺品は何とか回収出来た。
私は手早く、魔法を使う。
ただそれだけつぶやく。
そして、声が、聞こえてきた。
この魔法は、残留思念を呼び起こすもの。
物に宿った想い、遺された意思、遂げられなかった想い、心残り。
残り、宿っていた思念は、静かに語り出す……。
領主様は、ただ謝っておられた。
討伐に失敗したことを謝罪し、部下を死なせたことを後悔する。
そして、妻を一人残して死ぬことを悔いていた。
「愛している」、と言い遺して、儚い言葉は、消える。
リリア様は、泣いて、その場に崩折れた。
私はこうべを垂れ、ただ佇むのみ。
私は、感情を殺す。
……いや、とうの昔にそんなものは壊れているはずだ。
でも、この胸の痛みは何なのだろう、この胸の空虚な穴の感覚は、何なのだろう。
近頃リリア様は、自室に篭られることが多くなった。
部屋に居て、何をするでもなく、ただ『それ』を眺める。
私は時々呼ばれ、あの魔法を使う。
声が、リリア様に語りかける。
そんな日々が続いている。
リリア様が命じた。
私に否やは無い。
なんとなれば、私は………………!
近頃リリア様は、何もしない。
部屋に居て、ただ『その声』を聞いている。
最近城内が騒がしい。
領地が荒れた、統制が上手くいっていない。
……そして、『例の魔法』がアカデミーにばれた。
どうやら『死霊術』は、アカデミーで『禁呪』に指定されていたようだ。
最近のアカデミーは、そういうことに煩くなった。
中央の意に沿わない理論を、積極的に『異端』と指定し、そして、弾圧する。
暗い時代は、既に始まっていた。
王国中央から討伐の軍が来る。
もう、避けられないようだ。
目端の利く者は、既に逃げ出している。
リリア様は最後まで残るようだ。
兵士には無抵抗を指示し、ただ沙汰を待つ。
私も、もうどうでもいい、このままただ時を待つ。
城内は奇妙に静寂だった。
討伐の軍が迫るころ、リリア様は私を呼んでこう言う。
「その代わり頼みがあります。異端の刑は『火あぶり』です。でも私は苦しんで死にたくはありません。」
「私が火刑台に上ったら、ただちに私を殺しなさい、外からは分からないように。『あの魔法なら』、出来るはずです。」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ここからは街の広場も良く見える。
距離は十分に離れている、邪魔が入る心配は無い。
広場の中央には火刑台がある。
女が、引き立てられてゆく…………。
イメージを想起せよ。
あの人の心臓を掴め、血脈を掴め、神経を掴め。
糸を捜せ、意識の糸、呼吸の糸…………命の糸。
糸を指で引き寄せ弾く、切断せよ!
ただそれだけつぶやく。
女は既にこうべを垂れていて、何が起こったかはもはや判然としない。
火刑台に火が着き、煙が立ち昇る。
「……ああああああああああああああああああああああああ!!!!」
オレは激しい怒りに身をまかす。
なぜオレは生きている何故あいつらは生きているあの人は死んだのに。
全て壊れてしまえすべて無くなってしまえあの人はもういないのだから。
オレはこんなことは望んでいないただあの人が幸せでいれば良かったのだ。
オレは逃げたくはなかったあの人と一緒にいたかったあそこにいたかった。
誰か答えてくれオレは間違っていたのかあの人が間違っていたのか。
憎い憎い全てが憎い世界が人間が王国が敵が憎い!
みんな滅びよ、破滅せよ、破壊せよ、抹殺せよ!
…………ミンナ壊シテヤル!!
血液が沸騰するような感覚がして、既に危険な状態だ。
でも命の全てを魔力に注ぐのだから当然だ。
目の前が黒くなって良く分からなくなるがもうどうでもいい。
リリア様、僕は最後にあなたの言い付けを破ります。
次に会うときは、十分に叱って下さい…………
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ふと、目を覚ました。
ぱかりと目を開けると、そこには満天の星空が広がっている。
地獄ってこんなところだったのかと思ったが、そうではない。
起き上がって周りを見渡せば、私は何処にも行けていなかった。
最初からずっとこの場所にいた。
……死に損なった、要はそういうことだ。
泣きたい気分であったが、水分を失い過ぎたのか涙も出ない。
ついでにさっきから腹の音もうるさい。
死にたい、死にたいと思っても、体は生きようともがいている。
私は故郷を後にした、もう戻ることは無い、戻ることは出来ない。
私は帰る場所を失った、どこへ行くのか、流れるのか。
私は壊れたものを抱えたまま何処かへと向かう、
……もう此処にはいたくなかったから、いられないから。