第二話 サイタマーの『いらんことしぃ』
~~~~~~~「蛮族の詩」[王国古詩選集]より引用~~~~~~~~~~~
やばい、蛮族やばい。まじでやばいよ、まじやばい。
蛮族やばい。
まず毛皮、毛皮着てるの。
毛皮って、ウチらなんか*の羽衣二つ作れなかったから
しょうがないんで王子に回して王女にミ*クのコート
買ってあげるぐらいしかしないのに。
お金貯めるのスゲー大変だからえんえんと**神官倒して
稲*の杖売って稼ぐんだけどそれ何周もやんないといけなくて。
向こうもいい加減テメー俺を何べんも殺すんじゃねーよ
とか思ってても事前の打ち合わせ通り
あなたの魂を邪神復活のイケニエにしてあげましょう
ぐらいしか言えない立場だったりして。
しかも回ってる最中にうっかり痛恨の一撃で全滅とか
くらっちゃってお金半分になったりするから
かえって回数増えて面倒だったりとか。
そんな毛皮こいつら普通に着てる。やばい。
しかもヤリ持ってる、すごい、ヤリだよヤリ。
ヤリって言ってるけど本当はヤリは槍かもしれなくて、
でも槍ってことにしたらどの槍だってことになって、
鉄の槍ってことにしようと思ったら本当は石の槍で、
威力弱そうと思ったら実は左ナナメ上で金剛石だったりして
あっさり返り討ちにあったりする。なにそれ怖い。
とにかくオマエラ、そんな蛮族のやばさをもっと知るべきだと思います。
そんな蛮族とケンカした辺境開拓兵団とか超すごいと思います。
もっとがんばれ、超がんばれ。
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……私は今、小川のほとりで途方にくれています。
戦士が、己が主人を見定め、忠誠の誓いを立てて臣従の礼を取る。
……字面は、大変に美しい。
しかし、実際に私の目の前で展開された光景は、後世の劇作家にいささか失望を与えかねないものであったようだ。
すなわち……
『彼女は、居住まいを正した……。』
のは良いのだが、そもそも今の格好が森の獣の生皮を剥いで作った大雑把な貫頭衣に何かのツル草をベルト代わりに締めた姿であるので、全体的にしまらない。
……早い話が由緒正しき『バーバリアンスタイル』。
『彼女は、髪をかき上げた。』
と同時に、なにやら黒っぽい粒子が撒き散らされる。
撒き散らされた粒をよく見ていると、飛んで行った先でもさらに不規則に飛び跳ねる動作が見て取れる。
……つまり、『ノミ』だった。
その他、未だ体を洗わせるには至っていないので、例の『あまりおよろしくない臭い』はそのままである。
思わず、「えひゃい」と変な場所から声を出してしまいそうになったのだ。
そういった状況なのに、彼女ことアルスラの態度と表情は真剣そのものであり、こちらとしても対処に非常に困る事態である。
「……まずは汚れているのを何とかしよう、そこの川で体を洗ってくれ。」
細かいことは無視して話を先に進めよう、うん、そうしよう。
「汚れ……(すんすん)失礼しました、確かに臭っているようです。私は未熟者ゆえ、礼儀がなっておりませんでした、どうかお許しを。」
アルスラは自分の腕を鼻に近付けた後、軽く顔をしかめた。
こういう人達ですら顔をしかめるのですから、その実際はお察し下さい。
細かいことは敢えて無視して、とりあえず『石鹸』を渡す。これはお手製だ。
「それは『石鹸』というものだ、それで洗うと汚れが良く落ちる。」
彼女の口調は相変わらず堅い、そのうち直るだろうか。
……ああそういえば石鹸の残り少なかったな、また作らないと。
あれは材料揃えるのが結構大変なんだよな。
石鹸はあまり普及していないので、買うとものすごく高いのだ。
自分で作るに限る。
油はオリーブのでいいだろうか、それより問題は鹸なんだよな天然の鹸はいい加減貴重品だから前に聞いたトロナ石と石灰から作るほうを試してみようかああでもやり方が又聞きだからちゃんと調べたほうが良いのか、こういうときには故郷のあの図書館の重要性が感じられる…………
「……主様! これはどう使えば?……ああこうやってこすればいいのですね……おお! これは凄い、汚れがどんどん落ちます……!」
こちらがどうでもいいような思考に沈んでいる間に、彼女が質問してきた。
が、独りで自己解決してしまったようだった。しかし、
「それは手でもむようにこすると泡がでるからその泡で……ってああすまないっっ!!」
一方私は反応が間に合わず、答えを返そうとしてアルスラのほうを見てしまう。
そして彼女は既に『服を脱ぎ捨てて』川の中だった。
裸体が眩しい。あわてて後ろを向く。
一瞬だったが、彼女の裸体はやはり印象に残るものだった。
均整の取れた肢体に、小麦色の肌。鍛えられた筋肉は良く似合う。
女性の象徴である胸の双丘は豊かに実り、存在を強く主張してくる。
腰のくびれもその下に続く曲線も、十二分に目を引き付けて来た。
美しい……と思った。
……だが同時に、なおさら左頬の大きな傷が痛ましい。
彼女はそうして体を洗っている。
その間私はあれこれさらに思考に沈んでいたが、
と言ってきた。
あれそういえば着替えのこと教えてたっけ?
と思ったがとりあえず振り向いてみると…………
彼女は全裸だった…………!
「我が部族とは違いますが、よそでは主従の誓いを述べるときに敢えて裸で儀式を行う部族もあるそうです。『一切飾ること無い己自身』を主に示す為であるとか。」
……いやあの私そういう部族じゃないんですが。
彼女は、まずは立ったまま右手を胸に当て、軽く頭を垂れて、
アルスラが問いを行う、でも全裸。
「私はアインライト、アインでいい……ってのはいいから服を!」
こちらは混乱気味だよ。
「ではアイン様。我が主様、このアルスラがお側に御仕えすることをどうかお許し下さい。」
アルスラがひざまづく、やっぱり全裸で。
全裸でひざまづいたりなんかしたもんだから普通は見えてはイケない大事な場所がなんていうかその、な状態になってしまってこちらはさらに大混乱である。
「……どうかお願い致します! 私は既に村を出た身、もはや戻る場所は無いのです! まして御恩を受けたまま返せないとあっては私はもはや……!」
沈黙を否定的と受け取ったのか、さらにすがりついて来る、全裸で。
文字通り捨て身だ、全裸だ。
「分かった! 分かったから、とにかく服着てくれーーーっっ!」
結局、押し切られてしまった……。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
……すったもんだの末ようやくサイタマーに帰ってこれた。
彼女、アルスラは流石に街が珍しいのか、ときどきキョロキョロと辺りを見回す。
ただ、それでも決して気が緩む様子はない、すぐに警戒の姿勢を取っている。
街を案内しながらふとたずねてみる。
「……はい、もともと私は、腕には自信があったので『戦士』として身を立てようと思ったのです。それで一人村を出ました。」
「……それで森を進んでたらダイアウルフに襲われた、と。まあ流石に一人ではなあ……」
「まず、知らない森に入ったので油断して知らない『毒虫』に刺されました。三日三晩生死の境をさ迷いました。」
※毒虫:種類不明。普通の人間なら毒で死亡すると思われる。
「なんとか自力で回復しましたが、その間飲まず食わずで空腹だったので、狩りをして『グレートディアー』を仕留めました。」
※グレートディアー:大型の鹿に似たモンスター。結構強い。
「これが失敗でした。体力が落ちたときはヘビや野ネズミでまず我慢しろと言われていたのを忘れていました。グレートディアーの血の臭いで『ダイアウルフ』を呼び寄せてしまったのです。」
※ダイアウルフ:前回参照。狼を大きくしたモンスター。群れが怖い。
「疲れて体力も落ちていたので『ダイアウルフを十頭ほど倒した』あたりで武器を失くしてしまい、あとは逃げるしかなかったのです。不覚です。」
…………私なら軽く『十回は死ねる』な……
他に何が言えようか。
「いえ、全ては私の未熟さが招いたこと。それよりも主様のほうが凄いです! ダイアウルフを六頭も同時に倒すなど、私にはとても出来ません!」
「ひょっとして、あれが噂に聞く『魔法』というものなのでしょうか? 素晴らしいです、流石は主様!」
まあそれはいいか。本当は口止めしたほうがいいのだが。
『秘密』というのは限られた人が知るから秘密なのである。
『知らない』と言うのならそのほうが良い、そういうものだ。
……そうやって話し込んでいるうちに目的地が見えて来た。
此処が冒険者の宿、『白山亭』だ。
さて、『冒険者の宿』というものは単なる『宿屋』ではない。
『酒場』と『職業斡旋所』という側面をも持っている施設である。
冒険者たちにとっては重要な存在であり、冒険者ギルドが直営しているものなのだ。
私もこの街に流れて来てからは、専らここ斡旋の仕事を行う日々である。
「……ようやく戻って来たか旦那。話は聞いていたが、大変だったな。」
白山亭では、そこの主人、シンメイ氏が声を掛けてきた。
「報酬のほうはこれだな……額はいつも通りだが確認してくれ。」
彼はお金の入った袋を取り出した。続いて、
「ありがとう、確かに受け取りました。……それと、彼女の名はアルスラ、とりあえずよろしく頼みます。」
紹介すると、シンメイ氏はさすがに怪訝そうにアルスラをうかがう。
「(ひそひそ)……なんだったら『転売』の仲介してもいいぞ、旦那も迷惑だろうし……」
「(ひそひそ)……そんなこと出来るわけないでしょう……結構です。」
シンメイ氏は改めて彼女のほうを見て、
「俺の名はシンメイだ。冒険者仕事の事なら相談にのるぜ。……で、あんたの名前はアルスラ、だな?」
ややぶしつけな、値踏みをする視線。
一方のアルスラは、無表情。
「……ふむ、確かに、腕は立ちそうだな……。仕事は出来るかい?」
彼女はやや表情を硬くする。
「……あーー、ええと、ギルドには入っていた方が良いかもしれないな。」
私は割り込むように言葉を挟むと、
「街には慣れてないだろ? 彼からもいろいろと教えてもらえるよ。だから、よろしく頼む。」
アルスラのほうを向いて諭すように言う。
急に表情が晴れる。
「じゃあそういうことで、シンメイさん。アルスラも、頑張ってくれ。」
その後は適当に世間話をして、白山亭を後にした。
「……さて、この街で丸腰というのは危険過ぎる。まずは武器をなんとかしよう。」
続いて武器屋へと向かうことにした。
サイタマーは伊達に『悪徳の都 サイタマー』とは呼ばれていない。
犯罪率は高く、ケンカ、殺人は日常茶飯事で話題にもならない。
最初のころは、私は街を歩くのにも最大限の緊張を要していたほどだ。
とはいえ、「魔法使いならいちいちケンカを売ってくるヤツはいないよ」という話を聞いて、日常それらしい姿(ローブ着用)を努めるようにして、ようやく慣れた次第である。
そして肝心の治安であるが、実態は噂ほど酷いものでは無い。
冒険者ギルド、商人ギルド、職人ギルドに城の兵士達、非公式には盗賊ギルドや密売人ギルドなどなど。
この街ではそれぞれがそれぞれの領域を守り、互いの干渉をなるべく避けようとするなかで、自然其処には一定の秩序が保たれるようになっているのだ。
……もっとも、たまにその秩序から排除される人間がいて、それが結果として裏路地で死体で転がっていたりもするわけだが。
『好奇心は猫をも殺す』とは、この街のためにあるような言葉なのである。
* * *
武器屋に着くと、すぐにいろいろ得物を見てみた。
彼女は短めの槍、短槍や手槍と呼ばれるものを手に取っている。結構嬉しそうだ。
命を預けるものであるから、真剣に選んでいる。
「……槍は取り回しの問題があるから、予備の武器も持っておくべきだよな……」
「……おっしゃる通りです。私も、ナタぐらいは普段から持ち歩くべきでした。」
これは、前に武器を失ったことを言っているのだろう。
最終的に、鉄製の短槍と短剣を揃えた。
そして彼女は、仰々しくひざまづいて受け取ろうとする。
どうも彼女は、意気込みというか熱意が空回りしているように感じられた。
基本、真面目な真面目過ぎる性分なのだろう。
もう少し、緊張を解いてあげたいものだが。
ふと横を見ると、見知らぬ男がこちらを見て驚いていた。顔が真っ青である。
誰だったろうかと記憶を探っているうち、彼の視線の先に気付く。
そう、この男は、アルスラを見て驚いている。
より正確には、その『左頬の大きな傷』を見て……。
流石にアルスラも視線に気付いて男に一瞥をくれる。
警戒心の混じった、剣呑な表情だ。
その男は、そう言い残し、慌てて逃げて行く。
何か、嫌な予感がした……。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
その後、着替えの服、日用品、その他諸々の買い物をして再び白山亭に戻った。
さきほどの武器屋での話をすると……
「……『スカーフェイス』、か。ちとやっかいな事になりそうだな……」
さしものシンメイ氏も、表情が歪んでいる。
彼の説明によれば……
「これは"お城"関係だから冒険者ギルドじゃ詳細は分からんのだが……」
数年前、王国としては北方辺境街道の周辺だけでも安全を確保すべく、兵士達を投入して近くの密林のモンスター退治を行った。
だが、一部の部隊が強力なモンスターによって返り討ちに遭ってしまったという。
当然、それに対して討伐の兵が差し向けられることになったのだが……
なんとそいつは、
『作戦数は合計四回、のべ人数百五十人以上』に渡って部隊を撃退し続けた。
ついには王国も、その退治を断念したというのだ。
そのモンスターは『人型』で、『左頬には大きな傷』があったと云われている。
……そのため、その名は『スカーフェイス(傷顔)』と呼ばれ、恐れられた……。
沈黙が怖い。
「……確かに以前、兵士?とかいう奴らとは戦いになったことはありました。」
アルスラはやや不機嫌そうな様子であった。
その表情は不承不承。
「そもそも奴ら、我等の土地に無断で入ったゆえ、まずは追い返しました。」
彼女は、特に事も無げな顔、そして、
「が、そのあと奴等、なんと『白旗』を持って使者を出して来たのです!!」
その言葉を発するとき、彼女の瞳には憎々しげな色が浮かぶ。
「白旗と云えば、『この旗をお前たちの血で紅く染めてやる』という意味で、問答無用の宣戦布告のしるしなのですっ!!」
「……我等部族の誇りにかけて、許すわけにはいきませんっっ!!」
……嗚呼、『コミュニケーションギャップ』って、本当に怖いと思います。
私は今、なんとなく理解した。
彼女自身は、『熱意に溢れ、実行力も十分に備える』存在ではあるのだが……
いや、それであるがゆえに『往々にしてかえって状況を悪化させる』妙な巡り合わせを持っているのだ。
こういう人間のことを『いらんことしぃ』と呼ぶと、昔読んだ外国の文献には書いてあったような気がする。
……せめて、彼女の行く末に、幸多からんことを。
さて、なんだか困った雰囲気はいきなり現れた集団によって破られた。
一見普通の街人風だが、視線は鋭く所作にも隙が少なかった。
格好こそ普段着のようであるが、物腰や言葉遣いから判断するに、彼らは『城の兵士』と思われる。
全部で七人、鎧などは身に付けていないが、剣は帯びていた。
「お前が、スカーフェイス、だな? ちょっと一緒に来てもらおうか。」
「……知らんな、私は"すかーふぇいす"などという名ではない。」
周囲の緊張が増してゆく。
男の一人から強く払われる、尻餅をつきそうになった。
その瞬間!!
彼女が動いた。
一番近い位置の男の顔面に肘が入る。
隣の男のアゴに掌底が叩き込まれる。
その隣にはヒザ蹴り。
続いての者には後ろに回りこんで腕を脇に回し、肩を突き上げて脱臼させる。
瞬間の早業だ。
派手に殴ったり蹴り飛ばしたりはしない。
最短の距離と最高の効率で複数の相手を無力化してゆく。
数瞬の間に、兵士たちはことごとく倒れ伏していた。
アルスラはしばし、無表情でそれらを眺めた後、腰の短剣を抜いて逆手に持ち替える。
倒れ、うめいている男のひとりに近付くと身をかがめて……
心臓に短剣を突き立てようとした。
危ういところだった、彼女は動きを止める。
「……主様、一端手を上げたからには止めを刺すのが"ならい"というものです。でなければ遺恨となります。」
私の言葉に、彼女はひざまずいて畏まる。
この場はどうしたものか……
「……ここは俺がなんとかしておく、旦那たちは早くどっか他所へ……」
とりあえず、白山亭を出よう、ここに居るのはまずい。
私達は足早に、その場を後にした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ようやく自宅に帰って来た。
もともとの心積もりでは、アルスラは白山亭に宿を取らせようかと思っていたのだが、まさか今更そういう訳にもいかず、結局自宅に連れ帰ることになった。
私の家は近所の子供たちから『幽霊屋敷』とか呼ばれる場所だ。
あまり来客向きではないが、今の自分にはふさわしいと思っている。
帰りの道中、私の不機嫌さを彼女も察したのか、ほとんど黙っていた。
ともかく、まずはアルスラと話をしよう。
彼女は、特に反論する事も無く応えを返す。
「あの男たちは『城の兵士』だ。私たち冒険者というのは、なるべく彼らと関わるのを避け、干渉を最小限にしなくてはならない。」
それが『この街』『冒険者』の不文律。
「まあ確かに、先にルールを破って来たのは彼らのほうだけど、それでも自分のほうからそれに乗っかっていくのは、やはり感心は出来ない。」
私はらしくも無く、規範的な『おためごかし』を述べる。
「アルスラ、君の部族に掟や決まりがあるように、この街にもこの街なりのルールがあるんだ……分かるよね?」
そして彼女はうつむく。
「それを理解してもらわないと、君をここに置いておくわけには……」
無言、続いて
「……どうか……どうか…お許しを……私は『戦士』になるより他は途が無いのです、村には帰れないのです……」
彼女が震える。
「……私は『女』にはなれないのです……だから、だから、見捨てないで……」
彼女は、涙を、流していた……。
『女の涙』というのは、なるほど反則だなと、ふと感じる。
そう、私には、分からないことだらけだ。
アルスラは、やがてぽつぽつと話し始めた。
「……この傷は、小さい頃に魔物と戦った時に付きました。その頃の私はやんちゃで、『女の顔に傷が付く』ということがどういうことなのかを理解していませんでした……。」
彼女は、ふと、左の頬に手を触れる。
「私は狩りが好きで、鳥や獣を追い駆け回してばかりでした。……狩りの腕は村一番になれましたが、ただそれだけでした。」
彼女の追憶は、ただ、寂しげに。
「私の村では、娘は十五か十六歳になると、外の村に『嫁』に行きます。跡継ぎがいない家を除けば、女は他の部族の所へ出て行くのがならわしです……。」
血が濃くなり過ぎるのを防ぐためだろう。似たような話を聞いたことがある。
言葉が、ここで途切れる。
「私はこの『傷』のせいで、何処にも嫁ぎ先が無かったのです。」
そして彼女は、そっと傷に手を当てる。
「私はもう二十歳です。嫁き遅れで、もはやどうにもならない。そんな女には村での居場所はありません。」
「……ですから、せめて『戦士』として身を立てようと思ったのです。」
彼女はかつて、決意した。
「村の男で力有る者は、望めば『戦士』となって村を出ることが許されます。託宣により方位を決め、旅に出るのです。」
彼女はせめて、それにすがる。
「旅で力を付け、名誉を得て、やがて故郷に戻る者もいれば、或いは知らない土地に根を下ろす者もいる。そういう生き方に、私は憧れました。」
なるほど、彼女の事情は何となく理解出来た……ような気がする。
と同時に、一つ確認する事柄が出来た。
私には可能な、私ならば可能な、或る事柄が……
「……アルスラ、それで君は、『戦士』に成りたいのかい……?」
一瞬の空白。
彼女は小さく答える。
「ではもし、代わりに『傷のほうを治してあげる』、と言ったらどうする……?」
彼女は戸惑う。
「最初から気になっていたんだ、その傷、女性の顔に、そんな大きな傷があるのは可哀想だ、とね……」
私は、言葉を紡ぐ。
「アルスラ、私なら、その『傷』は治せる。治療を受ける気はあるかい?」
アルスラの目に、希望と戸惑いの色が浮かぶ。
そして……
彼女は、強く答えていた。
* * *
傷に直接触れて感触を確認する。状態は、あまり良いとは言えないようだ。
「……これは、一度に全部は無理か、二、三回かけて綺麗に治してあげるから、しばらく我慢してくれ……。」
打算は否定しないが、私はそれでも誠実に対処しようとした。
イメージを想起せよ。
傷口の肉を掴め、血管を掴め、骨を掴め。
さあここのにくとほねをもちあげたらやさしくサイセイさせる。
糸を捜せ、神経の糸、筋肉の糸………再生の糸。
あせってはいけないいちどにぜんぶはムリだよできるところまで。
糸を指で引き寄せ弾く、復活せよ!
ただそれだけつぶやく。
傷口が、元の姿へと戻ってゆく。
肉が、骨が、皮膚が繋がってゆく。
…………治癒術の御術に依りて。
醜い傷跡は、今はもう、無い……。
「……まだかすかに跡が残っているか、とりあえず今日はここまでだ。さあ見てごらん……!」
私はもう一度息を吐き出した。
少し疲れを感じたのだ。
鏡を指差すと、アルスラがそちらへと歩いて行った。
アルスラはその手で触りながら、鏡を見ながら確認しているらしい。
後姿なのでこちらからは良く見えないが。
彼女が振り返る。
悲しいような、困ったような、戸惑ったような、でも嬉しくて、楽しくて、私は彼女のそんな表情は初めて見た、彼女は何かを言おうとして、でも言葉にならなくて、もどかしくて、やさしい顔をしていた。
アルスラはこちらに近付いて来て、すがりついて、抱きしめて来た。
彼女は涙を流していた、ずっと、ずっと…………。
* * *
流石に疲れた。
今日はもう頭が働かない。ベッドの中は居心地が良い。眠りにつく。
…………夢を見た。
気が付くと誰か居て、擦り寄って、抱き付いて来た。
女だった。
何か言ったように聞こえたが、よく分からない。
答える代わりにくちづけをする。女も舌をからめて来た。
体を絡み合わせて、汗を混じらせる。
抱き合うのは、とても心地良い。
この顔は誰だ?と思ったが、よく見るとさっき見たアルスラだ。
傷が治って良かったやはりアルスラは綺麗な顔をしている。
もっと堅いものかと失礼なことを思っていたが、彼女の体はとても柔らかくて、
そして、心地良い。
自分はそんなに欲求不満だったのだろうかと考えた。
確かにアルスラの体は美しかったからこんな夢を見るのだろうか。
でも彼女はあんなに必死だったのだからこんなふうに欲情の対象にするのは、
罪悪感を感じた、でもオレはとても興奮して、興奮して…………
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
目が覚めると、隣に誰かが寝ていた。
身じろぎすると彼女が目を覚ました。
アルスラが起き上がる。
私も起きなくては。まだ頭が上手く働かない。
アルスラは居住まいを正す。
頭を深く下げてきた。
彼女の相貌は、ただ明るく。
「私は、主様に命を助けられ、食事も与えられ、そして……傷まで治して頂きました。」
彼女の言葉は、ただ朗らかに。
「この御恩……いえ、もはや御恩などという言葉でも言い表すことは出来ません。」
「これよりこのアルスラ、主様を我が"背の君"とし、身も心も捧げるつもりです。」
「どうか、いつまでもお側に置いて下さい。一生、お供します!」
そして彼女は、希望に満ちた笑顔を向けていた、私に。
ええと、"背の君"というのは『夫』の古い言い回しだったっけか……。
「子供は、『五人以上』産むつもりです。最初の子は、なるべく男の子を産みたいと思います。それから……」
……どうやら真に『いらんことしぃ』だったのは、自分のほうであったようだった。