第一話 サイタマーの行き倒れ
~~~~~~~「サイタマーの章」[王国風土誌]より抜粋~~~~~~~~~~
自治都市『ウラワンオーミャ』は王都の北に位置し、
『北方辺境街道』の起点にして古来よりの交通の要衝なり。
往来盛んにして、人心千々に乱れ、治安甚だ悪し。
悪徳の栄え、罪人どもは今世を謳歌し、憂慮留まる所を知らず。
而れども民には勢いあり、活力あり、故に国は其の力持てあます。
『ウラワンオーミャ』は罪多き街なり。
されど、其の街を其の名で呼ぶものは少なし。
人はこう云う
彼の地の名は『サイタマー』
『悪徳の都 サイタマー』、と……
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
……私は今、街道の上で馬車に揺られています。
『北方辺境街道』は王国本領と辺境領とを結ぶ重要な街道の一つであるので、道そのもの及び周辺地域はよく整備されていると言えよう。
とはいえ、道中幾つかの箇所には、正しく"難所"とでも言うべき危険な地点が点在しているのだ。
例えば、今私が隊商の馬車上にて揺られている『此処』などがまさにそれに該当する。
辺境領『トチギー』と王国本領の入り口『サイタマー』とを結ぶこの場所は、街道周辺こそある程度切り開かれているものの、少し目を西に向ければ、視界の端から端まで広がる『一面の密林』が見て取れるだろう。
人間を寄せ付けぬ、濃密な自然のかたまりが其処にはあった。
私はしばし、その光景に目を止める。
「……どうしたんだい? アインの旦那、あんまりぼーっとしてると馬車から落っこちるぜ?」
「いや、大丈夫。今日は幸いにして平和だな……と思っただけです。」
「まあそうだな。何にも無いのは良いことだぜ、何事もな……。」
さて、私の名は『アインライト』。
通称は『アイン』、現在この隊商で『癒し手』として雇われている、しがない『冒険者』である。
冒険者とは云っても、あまり腕っぷしには期待しないで欲しい。
ローブ系のゆったりした衣装で一見は誤魔化されているが、私は見事なまでに華奢な体躯と室内作業向きの色白の肌、繊弱とした外見である事は間違いないのだ。
対して私の眼前に座るこの人物、見事に盛り上がった筋肉と日焼けした髭もじゃの面構え、傍らには巨大な戦斧、明確な程に対照的であると言えよう。
彼の名前は『ジム』、私は『ジム親方』と呼んでいる。
見て判る通り、歴戦の冒険者でクラスは戦士であった。
さて、先ほど彼は私のことを、「旦那」と呼んだのにはお気付きだろうか。
正直、彼は自分などよりはるかに経験豊富な『強い存在』である。
にも関わらず、彼は「旦那」などと大袈裟に呼んでくれるのだ。
全く、実に面映い事この上無い。
この仕事を始めた最初の頃のように『白魔法の兄ちゃん』と気安く呼んでくれて、私は一向に構わないのだが……。
彼が私のことを仰々しく「旦那」「旦那」と呼ぶようになったきっかけは、それほど大した話ではない。
あれは今日のような『隊商護衛』の仕事途中のこと……。
親方率いる護衛パーティーがたまたま強いモンスターと遭遇戦になり、結果として重症を負った彼を私が治療した。
実にただそれだけのことなのだ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
「……くっ! やられた! 片腕もっていかれちまった……!!」
転がるように隻腕になった親方が逃れて来る。
出血多量のようで顔色も良くない。
こちらは手早く『治癒呪文・小』を掛ける。
次の処置だ。手早くやればまだ間に合うはず。
「早く持って来て下さい、今ならまだ間に合います! さあ早く!」
親方のパーティーメンバーが慌てて駆け出して行った。
切られた腕を回収に行き、ほどなく転がるように戻って来る。
「……では、いまから腕を接合します。ちょっとむずがゆいかもしれませんが、なるべく動かさないで!」
今度は本格的に『治癒呪文・大』、これで何の心配もいらない。
一瞬光があり、骨が繋がり、肉が盛り上がって、皮膚が閉じてゆく。
切られる過程を逆戻ししたような、不思議な光景。
少し効きが良過ぎたか、昔無くしたとか言っていた指まで再生させてしまった。
まあ、たまにそういう事はある。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
……とまあ親方は、以来私のことを「旦那」「アインの旦那」などと呼ぶようになったという次第である。
ちなみに、そのときも今も自分は隊商の『癒し手』、別に親方のパーティーのメンバーではない。
というか親方のパーティーにもちゃんと治療役の白魔術士がいることはいる。
それが一般的な『パーティー』というものだ。
しかし、こういう隊商護衛の仕事の場合、継戦能力と安定性を高めるために専用の『癒し手』を付けることがある。もちろん戦闘には参加しない。
つまり私は、『生きた傷薬』の役目を持っているのだ。
こういう体制を敷くことで、危険な道中でも生存確率を上げ、成功の可能性を少しでも引き上げる。
これは冒険者ギルドが考えた戦略である。
『生き残ること』を、何より優先するのだ。
何しろ此処は、街道を少し離れれば、王国に『まつろわぬもの』が跋扈する弱肉強食の、慈悲無き世界である。
大密林、地獄の森、人外魔境、白骨街道、帰らずの森、黄泉路の波止場、大魔界、その他諸々、実にろくでもないアダ名が乱れ飛ぶ王国屈指の危険地帯。
無理も無いだろう、この密林の奥に広がるのは、あの『グンマーランド』。
誰もが恐れる恐怖の(二重用法)、『グンマー族』が支配する土地なのであるから。
自然、其処を通行する商人達は『隊商』を作って集団で行動し、専門の護衛も雇う。
その護衛を務めるのが、『冒険者』と呼ばれる者たちである。
公に所属せず、自由に各地を渡り冒険に身を投ずるもの、それが冒険者。
何者にも縛られず、己の信念と心の赴くままに行動するもの、それが冒険者。
一当て幾らの報酬に己が身を賭け、命を的の博打に挑むもの、それが冒険者。
……故に冒険者は、危険が生業となる……
とはいえ流石の冒険者も、そうそういつもいつも危険な事ばかりでは堪らない。
今回の旅は、比較的平穏に過ぎている。
本当に平和だ。たまにはこういうこともあっていいはずだ。
親方もうなずく。
だが、風に乗った『ある気配』が現在の風景に混ざった。
親方が何かに気付いたようだ、わずかに緊張が走る。
私も周りを確認してみようとする。
平穏無事な時間は、やはり長続きしてくれるものではないようだ。
それが、『この場所』のならいというものであろう。
やがて彼がにらむのは右ナナメ前方、密林から開けた草原の辺り。
改めて自分でも確認してみる。見ると、中型の獣が六、七頭。
ダイアウルフというのは狼を大きくしたモンスターで、この辺りでは『比較的弱い』ものに分類される。
夜中に一人で群れに襲われでもしない限り、そう怖いものではない、らしい。
※ただし慣れた冒険者パーティーに限る。
「……ダイアウルフだ。一応警戒はしておくが大したことにはならんだろう。テランは魔法の用意、近付いたら脅かしてやれ。」
親方はテキパキとメンバーに指示を飛ばす。
親方は余裕を見せて凄むと、他のメンバーも白い歯を見せて返した。
何か違和感を感じた、よく見てみた、そして判明したのだ。
……人だ。
毛皮らしきものをまとっているから一見ダイアウルフに見えた。
間違いない、人が追われている。
親方がいぶかしげに確認する。
少しにらんで、
『蛮族』――とはこの近辺の密林に住んでいる原住民達のことである。
彼ら自身が呼ぶ、正式な呼び名もあったはずだが何と言ったか忘れた。
ちなみに彼らは、グンマー族とも少し違う……らしい。
密林の中に住んでいるうえ、王国人とは大した交流もないので、正式な『王国民』とは見なされていない。
いずれにしても厄介者扱いで、王国人は積極的に関わらないのが常であった。
私は彼らの姿を見ることすら、これが初めてだったのだが。
「オレには、自分トコの奴らと、この隊商に対する『責任』があるんだ。軽率な事は出来ないぜ……。」
冷静な見方をすれば、親方のほうが正しいのだろう、彼には、確かに責任がある。
命の危険がゼロでない以上、余計な事、危険な真似をするわけにはいかない。
論理的には、それが正解だ、でも……
そして親方は突き放す。
一瞬の逡巡、そして何かの感情。
刹那、私は馬車から飛び降りた、走り出した。
止める声はすぐに過ぎ去っていった。
風を受ける、何故か気分が高揚する。
……後から振り返ると、自分が何故この時『こんな行動』を取ったのか。
上手くは言えないが、何と言うか……うん、やはり上手く説明出来ない。
私は『あのとき』、これ以上他人にはかかわるまいと決意した筈だったのに。
接触は極力避け、静かに『あの街の底』で隠れて暮らそうと思った筈だったのに。
駆け出す、風景は後ろに遠ざかる。
きっと、親方には無謀な行動に見えるのだろう。
ダイアウルフの五、六頭といえど、"普通の"白魔法使いでは手に余る存在だ。
素手では言うまでもない、攻撃魔法も白魔法では手段が限られる。
奔る、空気を切り裂いて、後悔を何処かに捨て去って、奔れ。
……ああそうとも、"普通の白魔法使い"なら、ね…………!
立ち止まる、距離はこのへんで十分だ、私の魔法は射程が長い。
イメージを想起せよ。
獲物の心臓を掴め、血脈を掴め、神経を掴め。
ああいけないいちばんめのこれはヒトだからこれをはずさないとだいなしになる。
糸を捜せ、意識の糸、呼吸の糸………命の糸。
よしつかまえたあいてはぜんぶでむっつだマチガイないよ。
糸を指で引き寄せ弾く、切断せよ!
ただそれだけつぶやく。
獣たちは、静かに倒れる。
辺りに静寂が満ちる…………。
……死霊術の御術に依りて。
追われていた『その人』は、一瞬何事かと周りを見回した。
そしてダイアウルフは、全て死んでいた、死んでいたのだ。
しばらく戸惑っていたようだが、こちらを見付けると軽く片手を上げ、そして近付いて来た。
私もゆっくりと歩を進める。
警戒されてもいけないだろうから出来るだけ平静に声をかけてみたのだが……
その人は見てるうちにばったりと倒れてしまった。
慌てて駆け寄る。
ひょっとして怪我でもしていたのだろうか? とにかく確認して治癒魔法を。
しかし……
そういい残してその人は気絶した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
……それからが少し『大事』であった。
とりあえず『彼女』に肩を貸し、引きずるようにして連れて行く。
……というか引きずっていった、結構重かったので。
そう、彼女……よく見るとその人は、なかなかにご立派な二つの胸の膨らみをお持ちであったのだ。
髪の毛が伸び放題で顔のほうは良く確認できなかったが。
で、ようやく連れて来たのは良いが護衛のジム親方はおろか商人達からもあまりいい顔はされなかった。
……というか……なんと言うかその……
はっきり言って臭いがあまり『およろしく』無い。
自分でも顔をしかめたくなった。明らかにみんな迷惑顔だ。
しょうがないので、なんとかサイタマーの入り口近くまでは乗せて行ってもらい、安全そうな小川の側で降ろされる。
ここで洗ってくれ、ということらしかった。
「……ま、まあアインの旦那が助けたんだから『旦那のモノ』ってことにしといてくれよ……。」
……色々と気を使わせてしまったようだ。
さて、ほどなくして彼女は目を覚ました……
のはいいが同時に重低音のカエルの鳴き声みたいな音が響く。
響く響く、それはもう響く、腹の虫の鳴き声が。
彼女は伸び切った前髪の向こうからこちらをうかがっていた。
少しぎらぎらした視線は、ちょっと落ち着かない気分にさせてくれる。
とりあえず、パンを与えた――瞬殺だった。
ワインもあげた――光速で消え去った。
そして再び響く響く響く、重低音のカエルの鳴き声の、其れは腹の虫。
トチギー辺境領は農業の盛んな土地だ。
食料品がサイタマーで買うよりずっと安いので、個人用にいろいろと仕入れている。
・豚のもも肉のハム、塩胡椒をたっぷり効かせて熟成させた絶品の味。
・肩肉のベーコン、脂が多いがどっしりとした味は腹持ちが良い。
・豚バラ肉の燻製、オーク材でたっぷりと燻した独特の風味が最高。
・腸詰ソーセージ、軽くゆでてあるのでそのままでも食べられる、贅沢だ。
・鱒の干物、軽くあぶってからかぶりつくと天にも昇る心地になれる。
その他キャベツの浅漬け、林檎、ワインにエールにシードル。
どれも非常に素晴らしい。
……背嚢一つ分買い込んでいたのだが、全部喰われた。
とりあえずさっきまでの不気味な重低音は収まったから、腹は膨れてくれたのだろう。
と、次の瞬間彼女はこちらを向いて立ち上がり、髪をかき上げ、居住まいを正す。
次に、ひざまずいて畏まった。
其処にあるのは、小麦色の肌、長身の体躯。
しっかりした筋肉が感じられるが、決して太過ぎない腕。
強いバネを思わせる足は、鍛えぬかれ、研ぎ澄まされたカタチ。
手入れは行き届いていないが、それでも何処か美しさが感じられる赤毛。
整った顔立ちと、強い印象を与える意思の眼差し。
……だが、それよりも何よりも、どうしても目が行ってしまうのだ。
彼女の左頬には、獣の爪で付けられたらしい『大きな傷』があった。
後の処置が余り良くなかったのか、少し引きつれていて痛々しい……。
彼女が声を発する。
それは、しかとした、良く響く声音だった。
「主様には命を助けて頂いたのみならず、食事まで与えて頂きました。」
それは、凛とした、良く響く声音だった。
「斯くなる上はこのアルスラ、御恩に報いるべく、命を賭けて主様に御仕えすることを誓います……!」
彼女、アルスラは深々と頭を垂れる。
そして、再びこちらを見つめてくるのだった。
あっけにとられる、ええと、どうしよう。
混乱した頭で、ふと、今は亡き母親に言われた事を思い出した。
「……いいですか、一度エサをあげたからには、一生面倒を見る覚悟がなければいけませんよ……。」
お母様、確かにあなたの言う通りだったようです……。
ただ、『ソレ』が人間にも適用されるというのは完全に『想定外』だったのですが。