壱話
夜の闇を全て照らす様に、満月が辺り一面をその光で照らしていた。
高いビルが立ち並ぶ街の中、街下の眠らない喧騒とは裏腹に、人気のなくなったある高層ビルの最上階に立ちつくす二つの影が伸びる。
月の光を背にしながら、二つの影の主たちはただ目の前の白い灰の山を見つめていた。その灰の山はやがて一陣の風が吹くと、それに乗って流され消えていく。全てがきえさったのを見届けて、ややあって影の一つが深いため息を吐いた。
「…終わったわね」
少々疲れた様な女の声がもう一つのしゃがみ込んでいた影に声を掛けると、それは笑みを含んだ満足気な声で答える。
「当然だろ。こんなの楽勝だ」
そして二人は今一度、先程まで白い灰の山があった場所を見つめた。それから視線を互いに合わせ、背中を向けた。
「帰るわよ」
「了解、……ご主人様」
街下ではそんな事も知らずに、眠らない喧騒が続いている。月だけがそれまでの事を知りながら、ただ静かに世界を照らし続けていた。
*
ガヤガヤと賑わう高校の教室内。授業の合間の休み時間には、生徒の緊張も緩み話も弾む。
その中で一人真剣にスマホとにらめっこをしている男子高校生の姿があった。時に眉をしかめ、時にその額に青筋を浮かべ、はたから見たら何をそんなに怒れるのかと思うほど。規定の制服を程々に崩し、ピョンピョンと跳ねさせた短めの黒髪の下、赤銅色の瞳を長い睫毛が縁取っている。やがて彼はスマホを壊しかねない勢いで睨みつけるとチッ! と盛大な舌打ちをしてからイスを蹴る様にして立ちあがった。
そのままツカツカと窓際で眠る女子の所まで来ると、彼はその前の席を陣取って座り、彼女の頭を盛大に小突いた。
「真紅。真紅起きろコラ」
少しして真紅と呼ばれた彼女が軽く身じろぎをしてから頭を持ち上げる。拍子に彼女の栗色の長い髪の毛がサラリと流れ落ちた。現れた紫混じりの黒瞳がぼんやりと彼を見つめると、煩わしいとばかりに青年を睨みつける。
「………何よ、紅。折角の休み時間なのに」
「全くお前いっつも寝てるよな。少しは働けよ」
そう言って彼―紅はスマホをヒラヒラと見せながら呆れて真紅を見た。こんなに寝てていいのかよ、ってくらいコイツは寝ているが、勉強もそこそこなのに大丈夫なのか。紅の心配なぞどこ吹く風か、真紅は面倒くさそうに呟く。
「…何よ。もうこの間働いたばっかじゃない」
「…何言ってんだクソが。また事件のお知らせでーす」
「ええええええ…」
文句を言う間もなく紅が面白そうに唇を吊り上げ、スマホを動かしてネットの画面をずい、と彼女に見せつける。真紅は仕方なくそれを受け取り事件の概要に目を通し始めた。
―とはいっても概要は至極簡単なものだ。ここの所続いている連続殺人事件。三か月前から夜に発生し、それがすべて死体が原形を獣に損傷されたような跡があるというもの。それにも関わらず犯人に関する手掛かりがまるで皆無だという事だった。警察は野良犬が暴れまわっているという線も持ちあげているらしい。何だソレ、バカバカしい。
そこまで確認して、真紅は力尽きた様に再び机にボスン、と突っ伏した。スマホを持つ手を伸ばしたままにしていると、紅が呆れたため息と共に真紅の手からそれをもぎ取る。
「真紅」
紅が再度彼女に呼びかけるが反応は無い。彼は構わずに真紅の髪に手を伸ばして触れ、そっと持ち上げる。クセのないストレートロングの髪の毛は日の光に当たって淡く輝く。紅はその美しさが好きだった。
少し持ち上げて、重力に任せるまま落とす。その動作を繰り返しながら、紅は机に顔を埋めている真紅に話し続けた。
「今の話見ただろ。ここ最近の連続殺人事件。二週間に一度発生し、どれも夜の時間帯、獣の咬み痕に似た痕が遺体に残ってる。ある情報ではホントぐちゃぐちゃで見る影も無いらしい。それでつい先ほど、今見た情報バカのHPで、その情報を提供した相棒野郎からはさっさと片付けて来い、とのお達しが出た」
「そう…仕方ないわね」
寝ていたらしいとは見た目だけで、案の定彼女はぼんやりとした声で返してきた。紅はふん、と鼻から息を漏らすと、いじり続けていた彼女の髪の毛から手を離す。すると彼女はゆっくりと顔を動かし、視線だけを紅に向けた。
「この事件はアレの仕業だと彼が断定した。彼の鼻の良さは信じてるもの。じゃあ次の犯行日はおのずと分かる訳ね…ああ」
何か思いついたのか真紅がハッとした顔をすると、紅はご名答、と愉快そうに笑った。
「そ、満月だよ」
「次の満月はいつなの。最近の事件が起こったのって昨日今日じゃないはず…」
「ご名答。次の満月は月齢によると明後日」
立ちあがった紅はニンマリと口の端を吊り上げながらそのまま前方に身を乗り出し、隙だらけの真紅の耳元に唇を近づけて囁いた。
『お・仕・事・だ・ぜ、真紅』
「……っ!!」
その途端真紅が首筋を手で押さえながら真っ赤な顔をして跳ね起きた。その反応が面白くてついいつも余計に構ってしまう。紅は緩む口元を押さえながら真紅を見つめた。
「…っ! いつも言ってんでしょ! それ止めてよね!」
「ケケッ、だからやってんだろ。お前が耳弱いって知ってるからな。あ―楽しー」
「紅!」
今度は怒りで顔を赤くしながらこちらに向かってくる真紅を楽しく見ていると、タイミングよく次の始業を告げるチャイムが響いた。
その途端真紅は睡眠時間…と絶望的に呟きながら力尽きてその場でうなだれたのだった。