少女の受難
基本的に一人称なのですが、最初は三人称シリアスです。 暴力表現注意。
「ーーの、愚か者が!」
床に叩きつけられたのはティーカップ。
薔薇と蔦の描かれた、とても高そうな代物。
石で出来た床だったせいでカップは割れて、破片が飛び散る。
「魔法無しだと? この、ウィレズニア家の者が!」
カップを叩きつけたのは部屋の主。
昔は武勇で鳴らした事もあったかもしれないが、今はたっぷりと蓄えた脂肪と髭が目立っている。
高そうなカップを叩き壊しても怒りは収まらないようで、目の前に立っていた少女の髪を鷲掴みにした。
「貴様はなんという……なんという恥知らずな愚行を犯したのだ! よりによって魔法無しを、我が家から輩出するなどという不名誉な事態を引き起こしおって!」
掴んだ髪を無理矢理持ち上げる。
強く引っ張られたせいで少女の顔が苦悶に歪むが、それはその場の誰も気にしていなかった。
むしろ少女に対し非常に冷ややかな視線を送っている。
「この、この、この!」
主は少女を床に叩きつけるかのようにして髪を離した。
少女の軽い身体が床に沈む。 そこを更に主は、少女に向かって鞭を振るった。
少女の衣服が裂け、傷口に血が浮かぶ。
うめき声が広がるが誰も気にしない。
「分かっておるのか、この意味が! ウィレズニア家の恥が! 汚点が! なんと、汚らわしい!」
そして主は、少女の近くで床に頭を擦り付けるかのように下げている女を見た。
「貴様もだ、このような汚物を孕みおって……やはり平民の子を孕んでいたのだな!?」
「いいえ、わたくしは間違いなくウィレム様のお子を……」
「なんだと、ではワシが! ワシの中に流れる尊きマグドムの血が、卑しいと! そう申すか!?」
鞭がしなり、女を叩く。
「いいえ、いいえ! ウィレム様が汚れているはずがございません!」
「では何か、貴様の実家が! グディラズが汚れているのだな!? おのれ、男爵風情がこのワシを……ワシを謀るとは良い度胸だ!」
「お許しくださいウィレム様!」
女は泣きながらに許しを乞う。 しかし鞭は止まらず何度も何度も女を傷付ける。
「お許しを、お許しを、お許しをーー!」
「ではなんだ、何故このような使えぬ屑が生まれた!?」
「魔族がわたくしの腹に魔法をかけたのでございます! さもなくば本来の貴きウィレズニア家の血と、わたくしの実家、魔法使いパーリンのグディラズの血の溶け合った子供が、屑として産まれるでしょうか!?」
「ふん、では貴様の腹も汚れているようだな」
「ああ、ならばきっと、魔族がよく似た顔の子供と取り替えたのでございます。 わたくしの腹は汚れておりませぬ、この子供が……この肉が、わたくし達を騙そうとしているのでございます。 なんと、おぞましい事でしょうか……!」
「……なるほどな」
主は一呼吸いれて、落ち着かせるのように言葉を絞り出した。
「確かに、残りの子供……フェリスとリューシアには魔力がある。 なるほど、なるほどな……!」
主の鋭い眼光が、再び少女に向いた。
大きく鞭をしならせて少女を打つ。
「この魔族が……ウィレズニア家に潜り込み、ザリスレイン王国を崩壊させようとしたようだが、その目論見は失敗に終わったようだな!」
また少女を打つ。
少女が痛みの声をあげるのを聞くと主は満足そうに笑った。
「正義の鞭はどうだ? 痛いだろう? 痛いだろう? 魔族にしかきかぬ、正義の攻撃だからな! やはり我がウィレズニアは、正義なのだ!」
勝ち誇った笑顔。
少女は何も言わず、力無く倒れたままだった。
ーーーーーーーーーー
女は黙って石の螺旋階段を下りる。
地の底へとでも繋がっているかのような、暗く湿った階段。
少女は二人の覆面の男に挟まれて階段を下りる。
その表情は暗く、何を考えているのかも分からない。
行く先には広い空間。
柱の一本一本に松明が縛り付けてあり、赤い火を灯す。
「……おかあさま…………」
少女が恐る恐る口を開く。
すると女は歪んだ表情で少女を睨んだ。
「口を開くな、魔族が!!」
空間に女の甲高い声が響く。
「…………」
少女は沈黙する。
女は少女に近寄り、その頬を強く叩いた。
「ああ、ああ、ああ! なんて忌々しい、その髪、その目、その顔! わたくしの愛しいアリシアをどこにやったのかしら!?」
何度も何度も叩く。
少女の顔が赤く腫れようが気に止めない。
「そうよ、お前なんてアリシアじゃないわ。 だってわたくしのアリシアはとても優れた子だもの! なのに、お前のようなけだものがアリシアにとって変わろうだなんて、なんて恥知らずなのかしらぁ!?」
最後にはその爪で少女の頬を切り裂く。
頬に赤い線が走り、だが少女は何も言わずに耐えた。
「ほら! アリシアの真似をしたその顔の下にある醜い素顔を早くお出しなさい! さぞや醜いのでしょうねえ、いくら美しいアリシアの顔で覆ってもその醜い魂は誤魔化せなくてよ。 さあ出しなさい、魔族は正義で滅ぶのよ!」
「奥様……それ以上は。 清らかな手が汚れます」
覆面の男の一人が女を押さえる。
女は非常に興奮した表情で少女をにらみ、そして大きく息を吐いた。
「正義を欺こうとした報いを受ける時がきたわ。 お前たち、アリシアの仇を……この愚かな魔族の両手足を折ってしまいなさい!」
「はい」
覆面の男達は少女に手を伸ばす。
少女の表情が、初めて正しく歪んだ。
「ま、まって……まって……」
一人が少女を押さえ、一人は少女の右足を掴む。
足の関節の本来の曲がる方向、それとは真逆の方向に無理矢理曲げられていく。
「あ、ああ……!」
あまりの痛みに少女の目に涙が浮かぶ。
そして。
「ああああっ!!」
まるで、枝が折れたかのような。
そんな音がして、少女の口から絶叫が漏れた。
それに構わず男は違う足を掴み、もう一人が右腕を掴む。
遠慮の欠片も無い様子で少女の両足と右腕はへし折られた。
有り得ない方向に腕が曲がり、少女は痛みすら吐き出せない苦悶の表情を浮かべている。
「あと一本……首の骨や、指を切ってしまわないだけ、ありがたいと思いなさい」
「……の、…………っ!」
最後の腕が折られた。
床に倒れて動けない少女の頭を女は踏みつける。
「痛い? でもねえ、アリシアを奪われたわたくしの心の痛みはもっともっと深いのよ!」
床に押し付けられた少女の顔は見えない。
「本当なら殺してしまいたいくらいよ! お前のせいでわたくしが疑われたの! そうよ、全てが台無し! お前と双子として育ったリューシアが、お前の兄として育ったフェリスが、お前の婚約者のミラナデリ家のユリウス様が、全てが! 台無しよ! なんて可哀想なのかしら!?」
少女に話を聞く余裕なんて存在しない。
男達は黙って少女の両手足を縄で強く縛っていく。
「死体が残ると面倒なのよ。 本当に、最後の最後まで迷惑。 どうしてまだ生きているのかしら、不愉快だわ。 でも、もうお仕舞い。 お前がこれからどうなるか分かる?」
少女の返事はない。
「魔蝕の森……うれしいでしょう? お前はお仲間のエサになるのよ。 魔族は食べ方は汚いけれど全て平らげるの」
「…………」
「これが善に背いた罰。 受け入れなさい」
少女の瞳から涙がこぼれる事は、無かった。
ーーーーーーーーーーー
霧深い森の、そのまた奥。
背の高い木が広く広く葉を伸ばして影を作り、光を塞ぐ。
蔦や苔などが生い茂った倒木のその根元。
湿気に覆われた一角に、少女が倒れていた。
柔らかそうな銀色の髪と、絹に思える質感のドレス。
だがドレスは破かれ、髪は血に濡れている。
年齢は二桁もあるようには見えない、六歳ほど。
少女の両手と両足には縄が結ばれていた。
簡単にはほどけそうにもはいほど頑丈で、少女の肌の色が変わってしまうくらいに締め付けは強い。
「ニンゲン? ニンゲン?」
少女の周囲に濃い影。
少女と同じかそれよりも小さく見える大きさの、濃い色の肌に禿げた頭、角を二本生やしたもの達が集まっていた。
「ニンゲン? ウマイ?」
「ウマイ、クウ! オンナ! オンナ! コドモ! ヤワラカ!」
その口には鋭い牙。
五体ほどの小さな鬼は少女を抱えた。
「ウマイ! ウマイ! ヤワラカニク!」
「ウマイ! ウマイ! ウマイ!」
「ゴチソウ! ゴチソウ! ヤケ!」
「ヤッタ! ヤッタ!」
少女の小さな身体は簡単に持ち上げられてしまった。
小鬼は喜びながら少女の身体を巣へと運ぼうとする。
だがその時、空気が変化した。
空気は微量ながらも魔力を含んでいる。
その空気中の魔力が、濃さを増していっているのだった。
それを感じた小鬼は立ち止まり、声を小さくする。
「ナニ? ナニ?」
「クル? クル?」
濃密な、とても強い力がそこに近付いている。
『それ』が現れた瞬間、小鬼は叫び声をあげた。
「キャー!」
「ギャー!」
「イヤー!」
思わず少女の身体を放り出す。 だがそれに気付いているのかいないのか小鬼は一目散にその場から逃げ出した。
その場に『それ』と少女が残る。
光も映さないほど真っ黒な『それ』と、霧の中に溶けてしまいそうな髪色の少女。
「…………」
『それ』は少女を見下ろした。
放り出された少女が、それでも目を覚ます気配は無い。
だからしばらくの間無音で少女を見下ろす。
長い沈黙のあと、『それ』は少女に身体の一部を伸ばした。