第六部
それから15分ほど黄緑さんと話をしながら、鍵探しをした。
だいぶ時間がかかってしまったが、ようやくコンビニまであと半分というところまで来れた。時間がかかった理由が、黄緑さんが道まで伸びた枝に何回も引っかかったからというんだから、笑えない。僕が連れて来た理由が、黄緑さんを手伝うではなく助けるになっているようにしか思えない。
道の右手には相変わらず自由に育った草木。左手には柳場公園唯一にして、体育館が二つは入るくらいの大きな池がある。水鳥が水面を漂い、浮かぶ水草は微かな波に揺れ、トンボが何匹も飛んでいる様子は、ある人は清々しいとか言うのだろうが、僕にとってはいつ見ても面白くない。やっぱりというか、ポイ捨てされたゴミもあるしね。
そしてつまらない風景を視界の隅に置きながら道を歩いていると、すぐに鍵を見つけることができた。はたしてこれは僕の苦労のかいがあったと言うべきか、黄緑さんの予想通りと言うべきか。
立てて留められているが、遠目からでも痛んでいるのがわかることから、おそらく不法投棄された自転車なのだろう。
「いやはや、まさか自転車のサドルに鍵の紐を引っ掛けているとはね……」
明らか芝居がかった仕草で呆れてみる僕。
でもこんな反応も仕方ないだろう。普通、引っ掛けるなら枝みたいな、低いところにある細い棒だろうに。どう考えても腰より高くて、細いペットボトルと同じくらいの太さの棒に、いったいどうやったら引っ掛かるというのか。
先に見つけた黄緑さんも、まさかそんな理由でなくしたとは思っていなかったらしく、
「さすが不運な藤岡くんだね」
くらいしか言葉がないみたいだ。
自転車からそう遠くない位置にいる僕達は、呆れ顔を見合わせるばかりだ。
「で、何するんだっけ?この奇跡現象を写メッて印刷して、教室の前に張り出せば良いんだっけ?」
「それをしたいのはよくわかるけど、やめてあげて!藤岡くん引き籠っちゃうよっ」
いやでも、これすごいよ。藤岡委員長の武勇伝のためにも、映像を残しておきたいところだよ。でも本当に引き籠られたら、罪悪感で押し潰されてしまうからやらないけど。
「わかってますって。回収すればミッションコンプリート、でしょ」
「そうだよ。だから早く取って教室に帰ろう」
「帰りも誰かさんが枝に引っ掛かって時間を喰うだろうしね」
「もうそんなことしませんっ」
僕の皮肉というか、ただの意地悪に、黄緑さんは耳まで赤くして先に行ってしまう。いつもと違う丁寧な口調や、すたすたと早歩きする後ろ姿は演技でなく、黄緑さんの素の反応のように見える。今の反応といい、素の方が可愛いから、いつもの可愛子ぶっている仕草はもったいない。
そんなことを思いながら黄緑さんの後を追う。
思ったより黄緑さんの足は速く、僕が追いつくより先に自転車の前に着いた。何気なく伸ばした手が、鍵の紐に触れようとする。その手が握られる前にその音は鳴り響いた。
ピー!!!
鳥の鳴き声を極端に大きくしたような音だった。そして、そういった感想を思うより早く、突風が吹き荒れた。
草木は激しく揺れながらしなる。ガサガサと悲鳴をあげる。
土は巻き上がり、目に砂が入りそうになる。
池の水面は荒れ、波が起こる。
首にかけた十字架が風になびく。
向かいから来た風は、僕達が通った道に向かって突き抜けていった。黄緑さんは、制服のスカートを抑える為に両手を塞いでしまい、鍵は黄緑さんの手に翳めもしないで、突風に巻き込まれるように、紐をきりもみさせながら飛んでいってしまった。
「あ……」
惚けた声はどちらのものか。
視線だけ鍵の後を追うが、すぐに見えなくなってしまう。
鍵が視界から消えるコンマの差で、無意識に体が動いていた。
黄緑さんの体が。
「待ってーーーー!!」
言っても何も変わらない、無意味な台詞のひとつを叫びながら、黄緑さんはダッシュで来た道を戻っていく。
てか本当に猛ダッシュだった。
よく子供が蝶々を追いかけるときのように両手を挙げているのに、走る速さは僕の全速力より速い。ギャップ萌えというか、可愛さアピールが一周回って恐くなっている。軽く引いてしまいそうだ。
10秒に満たない時間に起きたことに、僕は呆然とする。
突風の余韻が治まり、再び静寂が訪れる。
「あ、待っ――」
ピー!!!!
思い出したように後を追おうと、体を返そうとする僕の気勢を殺ぐように、また鳥の鳴き声が聞こえる。そして前と同じように突風が吹き荒れる。
音は先より大きく、風は水流のように力強かった。風上に背を向けようとするのも恐ろしい。体を動かせば、そのままどこかへ飛ばされてしまう気がしてならないのだ。
「……ぅぅ」
舞った砂が目に入らないように、両腕で覆った目を固く閉じざるを得ない。
さっきより長く風は吹いた。そのせいでなかなか目を開けることができない。
だからだろう。
その声を聞くまで、僕に向かって飛んでくる物体の存在に気付くことができなかったのは。
「―――けて~~っ」
風がだんだんと弱まり、周りが静けさを思い出し始めた頃、微かな声が耳に届いた。
砂がまだ舞っていないとも限らないので、恐る恐る目を開けると、目の前は真っ黒だった。
真っ暗ではなく、真っ黒。
その正体は、黒いマントをはためかせて飛んでくる、黒いワンピースを着た、長い黒髪の少女だった。
気付いたときには、もう彼我の距離は1メートルもなかった。
僕は反射的に少女を抱きとめてしまう。バットでかっ飛ばされて来たのではないかと思うような速さだったが、少女の体は思ったより軽く、少しよろめく程度で受け止めることができた。まるでだっこしているような姿勢になる。
少女は、焦るように僕の腕を振りほどく。地面に降りるときに僕の胸あたりの制服を掴んだ。体格差で僕は少しばかり前屈みになる。
そして少女は、一連のことに困惑する僕に顔を近づけ、僕の日常を壊すほどの威力の爆弾を落とす。
「お兄ちゃん、魔法使いだよねっ」
「……え」
「悪い人におわれてるのっ。たすけてっ」
少女は両目に涙をいっぱい溜めて懇願する。
だがそれにどう反応するべきか、わからない。
この子が魔法使いのことを知っているなら、肯定してもかまわないだろう。でも、関係者であっても、肯定することで今の生活を乱すことに繋がる可能性がある。関係者でなければ、なおさら危険である。
可能性を考慮し、今の生活を守るに徹するか。あるいは少女の言うことに耳を傾けるか。
はたして僕は困惑してしまい、思考に霞がかってしまう。
僕は女の子が目に入っていても、頭に入らなくなっていた。
あるいはこのとき、冷静になって少女から離れ、黄緑さんの後を追っていれば、僕は日常に戻れたかもしれなかった。
だけど非日常は、そう都合よく待ってはくれない。
ガサガサ!!
少女が飛んで来た方の遠くから、たくさんの木の葉が擦れるような音が聞こえた。その音に少女はビクリと震える。
「……っ。あの人たちが来るっ。おねがいだから、たすけて、お兄ちゃんっ」
いつの間にか後ろに隠れた少女が、指差す方に顔を上げる。道の向こうから2人、走ってくるのが見える。が、それよりも目を引くものが、2人と並んで移動しているのが視界に入る。
それは、コンクリートのような色をした人の姿。まるでゲームの中でしか存在しなさそうなその物体は、まさしく、
「ゴーレム……?」
ゴーレムは人目から隠すように、道の端の木々の間に立っている。子どもが作った泥人形みたいな不恰好な姿が木の間から垣間見える。
その壮大さに驚いていると、2人が叫んでいるのが聞こえる。
「………………!」
「……………………!」
何を言っているのかはわからないが、声の様子からして2人とも男だろうか。
「…………!」
「…………!」
短いやりとりが続けられる。そして僕が冷静さを取り戻す前に、非日常は進行する。
「…………!!」
会話を打ち切るように片方が大声を出すと、それまで不動を保っていたゴーレムが再び動いた。
ゴーレムはまるで肩のコリをほぐすかのように、片腕をグルリと回す。質量を感じさせない速さで回すと、そのままこちらに向かって拳を投げてきた。戦国時代の石投げ機の要領で、その拳を飛ばしたのだ。
奇麗な放物線を描くそれは、ピンポイントで僕達に飛んでくる。
相当な質量がありそうなそれは、今から逃げても飛び散る破片で重傷を負うだろうことが、一目でわかった。
「お兄ちゃんっ」
展開の早さに付いていけない僕は、少女の悲鳴のような声も届かない。
ただ、殺意に満ちた塊を呆然と見つめるだけ。
そして、その殺意は僕が5年前に捨てた世界を思い出させる。
その途端、音は消え、世界は止まった。
ただ単に僕の集中力が研ぎ澄まされた結果、周りの動きが遅く感じるだけなのだが、僕には世界が止まっているようにしか感じられない。懐かしい感覚に僕は高揚感を覚える。
その感覚が、かつて捨てたものだということも忘れるほど、思考の霞が濃くなる。何も考えられなくなった僕は、本能と経験に任せて身体を動かしていく。
僕はポケットの中のジッポライターを取り出した。火を点け、その火を飛んでくるゴーレムの拳に向ける。当然火は重力に反して上に向かい、親指に熱を感じるが、気にしない。
まるで拳銃を構えて、小隕石を撃ち落とそうとしているような姿だが、僕の手にあるのはただのジッポライターだ。当然このままでは大怪我だけでは済まない。
そうこの世界の常識なら当然だ。
だが他の世界の常識だったら、当然でなくなる。
「狭間に在る世界よ、親しき我を以てその道を繋げ」
イメージしやすくした呪文を唱えると、僕の体が淡い緑色に輝く。
「我が肉に親しき世界よ」
声に合わせて、全身を包む光がライターを持つ右手に集中する。そして、
「その理を以て、我が炎を肥大させよ!」
呪文とともに、ライターの火が膨れ上がる。その勢いで炎は拳に向かって伸びる。5メートル近く伸びる火柱を吹き出すライターは、さながら火炎放射器のようにも見える。
そして巨大な火柱が拳に触れる。
それだけで塊を押し返せるはずもなく、依然こちらに向かって落ちてくるのに変わりはない。
「我が胆に親しき世界よ」
だが、それだけで押し返せないというなら、もう1つ常識を付け足せばいいだけのこと。
「我が炎の存在を以て、全てを焼き払え!」
目前まで迫っていた塊は、火柱に触れているところだけを消失する。軽く腕を振ると燃え残りもきれいに消えさった。
右手の光が消えると、それに合わせて炎の勢いも弱くなる。ライターの蓋を閉じると、そこにはゴーレムが腕を投げる前と、なんら変わらない風景に戻った。
久しぶりにしては十分以上の成果を発揮できたことに、思わず口元が綻んでしまう。
達成感や充実感が内から溢れてくるが、
「やっぱり魔法使いだったんだ、お兄ちゃんっ」
後ろの少女の言葉にハッとする。
ゴーレムの傍らに立つ2人の男が、喋るのもやめて呆然としているのが、この距離でもわかる。
僕は先ほどの自分の行動を思い返し、後悔した。
過去に幾度となく感じた高揚感に酔ってしまい、今まで隠そうとしていた「僕が魔法使いである」という事実を、軽薄にも晒してしまった。たとえ魔法使いについて知っている人が相手であっても、それを知られてしまえば今の生活を手放すことに繋がりかねないというのに。
どうやって背後にいる少女が僕が魔法使いだとわかったのか、理由はわからない。しかし思わず助けるような格好になったが、今この場から逃げれば、少女との関係は顔を知っている程度で済むはずだ。
だから。
だからまだ間に合う。
つたない思考がそうまとまると、行動はまた迅速だった。
再びライターに火を灯し、
「狭間に在る世界よ、親しき我を持ってその道を繋げ。我が肉に親しき世界よ、その理を以て、我が炎を肥大させよ!我が骨に親しき世界よ、我が炎に全てを焼き尽くす力を与えたまえ!」
早口に呪文を唱えると、その火柱を再び出現させる。その火柱はさっきのとは違い、ライターを持っている腕から顔の右側にかけてを、ジリジリと熱する。
久しぶりのその熱さに、右目を閉じる。
「熱いっ」
後ろからそんな悲鳴が聞こえる。僕より遠い位置にいても、熱に慣れていないから熱気にあてられたのだろう。
前方では2人の男が、火柱の再出現に構える。
「ふんっ」
そんな人たちを無視して、僕は池に向かって火柱を振るう。
ジュウゥ!!
炎が池に近づくだけで、池の水は爆発的に蒸発していく。
そして大量の水が蒸発したことによって、蒸気となって周りに広がっていく。
その結果、この場にいる全員の視界が真っ白のカーテンに覆われる。
「きゃぁっ」
「……っ!」
「……っ!」
引き起こした当事者は、三者三様の驚きの反応(前にいる2人は何言ってるか知らないが)を尻目に、目的の場所に走り出す。
十歩も走ることなく何かにぶつかる。目的の場所、不法投棄自転車を見つけたのだ。
手探りでそのサドルを見つけると、急いで自転車に乗り、勢い良くペダルをこいだ。
もちろん進む先は、ゴーレムがいるのと逆の、黄緑さんと歩いて来た道へ引き返す方向だ。
僕はとにかくペダルを漕いだ。
ただ非日常から逃げ出すために。
締め方が微妙でしたね。まだまだ初心者なので拙いところも多々あるので、何かアドバイスをいただけたら嬉しいです。
ちなみに、これは自分が別に執筆中の作品の派生作なので、設定がわかりにくかったりしてたら、それについても教えてほしいです。本編に活かさせていただきます。