第二部
「ねえ、八雲君。話聞いてるの?」
どこかむくれているような声にハッとして、顔を上げる。
机を挟んで向いに、愛玩動物のような可愛さだ、とこの水無月高校2学年でもっぱら有名な黄緑紅さんが座っている。こうして頬を膨らませている姿は、確かにリスとかを彷彿とさせなくもない。
その頬を膨らませる癖は、テレビ以外では見たことがないけど、一体どういったものなのか、と前に尋ねたことがある。そうしたら「可愛さアピール」とのことだった。……わざとやっているんだ。
久しぶりに黄緑さんのその癖をみたら、その頬を押したらどうなるのか気になってきた。
…………。
押してみた。
両頬を両手人差し指で押してみた。
「ぷすぅー」
口を縛っていない風船より簡単に空気が抜ける。
どうしてここまで仕草の一つ一つが可愛くできるのだろう。二次元の両親から生まれたりしたのだろうか。そんなことを思いながら、指で頬をグリグリと回してみる。
……おおっ、女子の頬ってこんなに柔らかいもんなのか。なんかだんだん楽しくなってきた。
「そ、そうじゃなくて!」
黄緑さんは僕の腕を振りほどく。
思っていた以上に柔らかかった頬から指が離れてしまう。黄緑さん本人にはさほど興味がなかったが、今、あの柔らかい頬には興味を覚え始めたころだったので、少しばかり残念だ。まあ、堂々とセクハラまがいのことをし続ける勇気は、当然僕にはないので、諦めるけど。
黄緑さんは頬を抑えて顔を赤くしている。急に触られて、嫌だったのだろうか。……まあ、普通そうだよね。
「それで、どうしたの?」
首元の十字架の存在を確かめるように弄りながら、先を促す。
「藤岡くんがさっき柳場公園で倉庫の鍵を落としちゃったんだって」
「それで?」
「一緒に探しに行こう」
「なんで?他の人に頼めばいいじゃん」
「だってみんな忙しいんだもん」
そう言って、黄緑さんは教室を見回す。その視線を追いかけるように僕も教室を見ると、確かにクラスメイトは全員忙しそうだ。
ある人達はベニヤ板に向かい、工具を片手に汗を流し、ある人達は画用紙を囲み、マジックで何かを描いているし、中にはあっちこっち忙しなく走り回っている人もいる。
「あれ、今日何かあったっけ?」
「何も聞いてないの?今日のLHRは文化祭の準備だって、前から先生言ってたよ」
小首を少し傾げ、尋ねてくる黄緑は、だから何故そこまで可愛くできるのか!黄緑さんには頬しか興味がないから、そういうのはやめてもらいたい。一体何が狙いなのだろうか。
「……そういや、そうだったっけ」
「いつも寝てるから、そうなるんだよ」
黄緑さんは可笑しそうに笑う。
「いつもは寝てないよ。記憶力がないだけ」
だからあの頬の感触も、すぐに忘れてしまうのだろう。
……すぐに忘れないのは、あの悪夢だけだ。
「まあ僕の仕事はないみたいだし、別にいいよ」
黄緑さんはパァッと笑顔になる。
「あの公園広いから、一人で探すの大変だなって思ってたんだ。ありがとう」
こういう女子の笑顔というのはズルい。こんなの見せられたら、大概男子はどう反応したらいいのか、わからないのだから。
「……どういたしまして」
どうにか苦笑いを形作る。
「でも何で僕なの?黄緑さんなら、男子は喜んで引き受けてくれるのに」
「だ、だって八雲君、サボってるから、こういうことくらいしてくれないとズルいなって、思っただけだもん」
黄緑さんはそう言って顔を背けるのだった。
そりゃ失礼しました。