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断罪の夜と廃都への左遷 #002



 星灯りを削る北風が、馬車の帆布をゆらした。


 エリシアは革張りの座席にもたれ、深呼吸を刻む。胸の内へ潜り込んだ緊張を、規則正しいリズムで薄めるためだ。


 膝上に揺れるホログラムが深紅へ変わり、耳を突く甲高い音石が三度鳴る。


《リバーサイド領――推定財政余命:96日》

《人口:6,500》

《歳入比率:河川交易28/酒税19/特産0》


 数字は敵ではない、素材だ――そう念じた矢先、こめかみに焦げた鉄針のような痛みが走る。脳熱負荷の警報は容赦なく続いた。


《警告:脳熱負荷 74%》


 視界の端が白くかすむ。指先の温度が奪われ、額には冷たい汗が一粒ずつ浮いた。


 彼女は息を吸い込み、ゆっくりと吐きながらホログラムを霧散させる。


(過労で止まった心臓の鼓動を、もう二度と止めさせない)


 思考はすぐさま立体網へ変わる。


 川の流速逆転と水車群による魔導発電。地熱を使った低温倉庫で穀物損耗を50%カット。魔力結晶〈マナクレスト〉の臨時通貨化


 連想が閾値を越えると、再び警告色。胸が圧縮されるように痛む。心拍が跳ね、視界が波打った。


 「……っ」


 指でこめかみを押え、荒い息を湿った空気に吐き出す。苦味を帯びた唾が舌に広がった。


 馬車が石畳を離れて未舗装路に跳ねた。木のホイールが軋み、帆布にたたきつける砂利の音が鼓膜を叩く。警報は闇とともに消え、代わりに冷たい夜気が肺を満たした。



 御者台で手綱を握るヴァン・クレイドは、片腕の残る筋肉で馬の首を抑え、月のない空へ視線を滑らせた。湿気は薄れ、硫黄と土の匂いが鼻を刺す。リバーサイド盆地が近い。


 街道脇の茂みがざわりと揺れた。鈍く光る刃が闇に浮かぶ。手製クロスボウを構えた山賊が四、五映る。


 ヴァンは手綱を弾き、馬の蹄鉄で小石を蹴り上げる。火花が飛び、次の瞬間、右袖から抜いた短刀が月の代わりに白光を描いた。刀身が闇を裂き、弦を切られた矢は濁った音を立てて地面へ突き刺さる。


「下手な奇襲だ」


 老騎士は呟き、車輪を守るように馬を横滑りさせる。山賊たちは伏せたまま、影へ溶けた。


 その場に残ったのは、弦を失ったクロスボウと震える土埃だけ。だが時間は稼げた。


 腰袋から白布の封印符を取り出し、車軸へ貼る。古竜文字で“静”の一字。


「竜脈が唸れば、此度の符こそ最初に砕ける」


 低く漏らした独白は夜霧に呑み込まれ、遠くで犬が長く吠えた。街道沿いの農村で、ひとつ、ふたつ、戸を閉める音も重なった。闇が深まるたび、辺境の脈動が骨へ響く。



 揺れは続くが灯火は揺らがず、レオナルド・グラントが両膝上にミニチュア水車を置いていた。木製の羽根は歯車を介し、カリカリと乾いた音を立てながら惰性で回る。歪んだ回転が幌灯の光を散らし、座席に影の水輪を描いた。


「起きてたの?」


 エリシアは額を拭い、低く尋ねる。


「この音が好きでね。川の前奏曲さ」


 レオは模型を指先で弾き、歯車が長く鳴った。


「寝たら逆流計算を忘れそうだった。追放は研究の自由券、使わなきゃ損だろ?」


エリシアは手袋を脱ぎ、白い掌を差し出す。


「都市を歴史に刻みたいなら、私と契約して」

「賃金条件は?」

「黒字化成立と同時に前払いの三倍。加えて命の保証」

「合理的だ」


 彼の手は熱かった。二つの掌が重なる瞬間、静電の火花がぱちりと弾け、薄赤い光糸が指の間を走る。レオは驚きに目を瞬き、掌に残った温度を確かめた。


「刻印インクを仕込んでるのか?」


 エリシアは懐から小瓶を取り出す。銅色のインクが月光のない闇で淡く脈動した。


「契約の証は目に見えた方が互いに安心でしょ」


 インクで描かれた極小ルーンがレオの掌に溶け、朱の刻印へ変わる。


 馬車が谷を下り、遠雷のような地鳴りが底で唸った。ホログラムが青から橙へ揺らぎ、新たな数値を灯す。


《地熱圧上昇 12%》


 窓外に淡く立ち昇る蒸気雲。鼻腔を濁す川の腐臭と、湿原が吐き出す冷気が層を成し、肌を刺す。遠くで再び犬が遠吠えし、湿った空気が震えを伝えた。


「時間が縮んだわ」

「面白いじゃないか」


 レオが歯を見せる。


「都市は息をしている。なら、蘇生術を施すだけさ」


 朽ちた関所が闇の中に姿を現す。木標に剥げ落ちた文字――《リバーサイド領》が、車灯の炎に浮かび上がった。


 戸板の隙間から漏れる灯が一つ、二つ。だが迎える者はなく、川の底から吹く冷気だけが馬車を包む。


 腐臭、冷気、遠吠え、そして竜脈の唸り。


 そのすべてが、再生を望む都市の鼓動だ。

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