62.結婚式 その1
結婚式は教会の大聖堂で行われる。
荘厳な大聖堂の扉の前に立ち、ティアは大きく深呼吸をした。
顔を覆うウェディングヴェールが吐く息でふわっと揺れる。
大聖堂の扉を開けると祭壇に向かって真っすぐに延びる通路がある。
そこには真っ白な絨毯が敷き詰められ、花嫁は父親や後見人に連れられて祭壇まで歩いていくのがしきたりだ。
花婿は祭壇のところで花嫁を迎え、司祭が婚姻の儀を執りおこなう流れである。
突然どこからともなく現れたセシリア・フィッツロイには父親も後見人もいない。
仕方なくカインに連れられて歩くことになった。
「俺だってこんな役、やりたくないよ」
カインはこぼしていたが、最上級の貴族の正装を身に纏うとそれなりに貫禄のある高位貴族に見える。
セシリアはカッサンドラの親戚で外国の貴族の養女になっていたという触れ込みらしい。
「心の準備はできたか?」
彼に尋ねられてティアはカインの目を真っ直ぐに見据えて頷いた。
「覚悟はできています!」
大きな扉の両脇に侍従が立っており、カインが目配せをすると二人が同時に扉を開けた。
大聖堂の中は厳粛な空気に包まれていた。
大勢の招待客が身廊席と呼ばれる長椅子に腰かけている。
ティアが一歩足を踏み入れると、招待客が身じろぎしたのか衣擦れの音が聞こえた。
皆が振り向いて花嫁に視線が集中しているのが分かる。ティアは嫌でも緊張した。
カインはティアを気遣うようにゆっくりと歩を進める。ドレスの裾裁きで苦労しているティアには有難かった。
中央通路を歩きながら、ティアは招待客の顔を見る余裕が生まれてきた。ある意味、開き直ったおかげで度胸がついたとも言える。
すぐに視界に入ったのはもちろんサイラスの姿だ。
プラチナブロンドの髪にサファイアのような瞳で自分を見つめている。
彼はすぐにロバートとの結婚を了承した自分をどう思っているのか?
軽蔑されているだろうな。
いつか許してもらえる日がくるだろうか?
胸の痛みを必死に笑顔で隠した。
驚いたことにサイラスは最前列に座っている。
彼の右隣には年配の重鎮そうな男性がいる。
なんとなくだが、この方がサイラスの上司でもある宰相のウィルソン公爵かもしれないと思った。彼の身元引受人になってくれたという話だし。
彼の左隣には王族の正装姿の中年男性が座っている。
中年といっても若々しくとても魅力的な人だ。
彼がオルレアン公に違いないと思った。
オルレアン公の隣には三人の女性が座っている。
二人は艶やかな美女なのが分かるが、一人は黒い帽子にヴェールのような覆いがついており、よく顔が見えない。しかし、熱心にこちらに視線を向けているのが感じられた。
最前列には他にも知った顔が並んでいる。
アーサー国王、王妃。
驚くことにテイラー男爵家の男三人も最前列に座っていた。
父のフランク、兄のイアンとトマスの姿も見える。
イアンはともかく、引きこもりで屋敷どころか自分の部屋からもろくに出てこないトマスがいることに驚いた。
トマスは帽子を深く被って目立たぬよう座っている。相変わらず人見知り全開だ。
あれほど憎んでいた三人に対しても、ティアは何の感情も掻き立てられなかった。
それどころではない、というのが正直な感想だ。
彼らはまさか花嫁が屋敷の離れに監禁されていたティア・テイラーだとは思わないだろう。ヴェールで顔も見えないのだから。
ただ、ロバートがヴェールを持ち上げる瞬間に彼らに顔を見られたら、自分の正体が露見したりはしないのだろうか?
そもそもイヴの家族だったのだから、おそらく親国王派、敵側の人間だ。
アーサーとイヴの陰謀のことも全て知った上で、自分を虐待していたに違いない。
ロバートと今日結婚するのがティアだと知っている可能性もあるのかな?
しかし、表立っては王族から疎まれているはずのテイラー男爵家だ。
堂々と最前列に座っていられる面の皮の厚さは相変わらず凄いな、と悪い意味で感心した。
そんなことを考えている間に中央の祭壇の前に到着した。
カインの腕から手を離すと『頑張れよ!』というように彼が片目をつぶった。
慎重にロバートに向かって歩いていく。彼も励ますように自分を見つめている。
自分はなんだかんだで人に恵まれているなと思う。
大変なこともあるけれど、沢山の人に助けてもらって生きている。
無事に逃げ出すことができたら、いつか自分も人を助けられる人間になりたい。
ロバートがティアの手を握る。
彼を見上げて視線を合わせると、薄いヴェール越しに微笑み合った。
穏やかな笑みを浮かべた司祭が朗々とした声で宣言する。
「ただいまより、ロバート・ノーフォークとセシリア・フィッツロイの婚姻の儀を執り行う!」
ティアはゴクリと生唾を飲み込んだ。
司祭は婚姻の重要性や新しく家族を作る意義などを演説する。それが終わりに近づいた。
「……この結婚に異議のある者は申し出よ」
これはかつて重婚を避ける意味で用いられたが、単なる決まり文句として形骸化している台詞である。
結婚式につきもののただの決まり文句だ。『異議あり』なんて誰かが名乗りでるはずがない。
しかし、そこで突然大きな声が大聖堂内に響き渡った。
「異議ありっ!!!」
聞き覚えのある声に思わずそちらを振り向くと、なんとサイラスが立ち上がって「異議あり!」と繰り返している。
誰もが呆気にとられたように口をポカンと開けている。
司祭も動揺しているが、サイラスに向きなおって穏やかに問いかけた。
「……ええと、異議ありとはどういうことですかな?」
サイラスは不敵な笑みを浮かべた。
「花嫁はセシリア・フィッツロイ嬢ではない。彼女はアリスティア・アスター、俺の妻だっ!」
ティアの心臓がどくりと激しく鳴った。
(サイラス……どうしよう、どうしたらいい?)
泣きそうな気持ちになるが、心のどこかに喜びも生まれてしまう。
しかし、彼の発言で一気に聖堂内が騒然とした。ざわざわとあちこちで囁く声が大きくなっていく。
「……お、お待ちください! どうか皆さま、静粛に!」
どうしていいか分からない司祭に苛立つように舌打ちしながら、アーサー国王も立ち上がった。
「おい! 静かにしろ! 聞くんだ! 彼女はセシリア・フィッツロイ嬢で間違いない!アリスティア・アスター夫人は事故で死んだ! アスター伯爵は夫人を失った衝撃で正常な判断力がなくなってしまったのだろう!」
アーサーが大声で告げると、聖堂内をシンとした静寂が包みこむ。
しかし、そこで立ち上がったのは思いがけない人物だった。
「我々もアスター伯爵の異議申し立てに賛同します!」




