55.ロバートの事情
カインが去った後も、ロバートは本の山に埋もれていた。
「あの……私はここにいてもよろしいですか?」
「仕方ないだろう。一週間だけだ。ただし、僕の邪魔はしないでくれ」
ぶっきらぼうにロバートは答えた。
「……お食事はどうなさっているんですか?」
彼は厨房を指さした。
「適当にあるものを食べてる。月に一度食料を補充してくれるんだ。一昨日補充されたばかりだ。好きなものを食べていい」
「で、では、厨房をお借りして料理してもよろしいですか?」
「構わないが……料理できるのか?」
ティアは得意気に胸を張った。
***
テーブルに並んだ料理を見てロバートは「…すごい」と呟いた。
「え、たいしたものじゃないですよ」
控えめにティアが言うが、ロバートは子供のように目を輝かせている。
夕食に作ったのはコーンブレッドとチリコンカンである。
チリコンカンは、玉葱、人参、マッシュルームなどを細かく刻んで挽肉と一緒に炒め、トマトやスパイスで煮込んだスープだ。
トウモロコシ粉を使った焼きたてのコーンブレッドはほんのり甘くてざっくりした食感がスープによく合う。
「美味い!」を連発しながら、ロバートはあっという間に食事を終えた。
「えっと……お代わりあるけど?」
「お代わり! 大盛で!」
空っぽになったボールを差し出すロバートを見て、ティアはぷっと噴き出した。
「な、なんだよ?」
拗ねたように頬を膨らますロバートにティアが笑いかけると、彼の顔が紅潮する。
「…美味しそうに食べてくれて嬉しいなって」
「僕は料理ができないから、いつも生野菜を食べたり肉を焼いたりするくらいしかできなくて、こんなに凝った食事は久しぶりなんだ」
王太子らしからぬ発言にくすっと笑いながら大盛のスープとコーンブレットを二切れ手渡す。
ロバートは嬉しそうに「ありがとう」と言いながら素直に受け取った。
食事の後に二人でテーブルを挟んでハーブティーを飲む。
「それで……君は本当にフィッツロイ家の血筋なんだな?」
「はい」
「……黒髪に黒い瞳は珍しいが、全くいないわけじゃない。正直、父上が僕の気を引くために嘘をついているんじゃないかと今も疑っている。でも、カインから君は魔法が使えると聞いた。本当かい?」
今更嘘をついても仕方がない。ティアは正直にコクリと頷く。
ロバートははぁっと大きく息を吐いた。瞳が生き生きと煌めく。
「すごいな……体のどこかに赤い痣があるかい? 四つ葉のクローバーの形をした?」
(悪い人ではなさそうだ。もしかしたら味方になってくれるかもしれない……)
ティアは左の頬の傷痕をぺろりと剥がして、赤い痣をロバートに見せた。
彼の目が大きく見開かれて、まじまじと頬を覗き込む。
「……生まれつき、かい?」
ティアは黙って頷いた。
ロバートは立ち上がって本棚に駆け寄ると中でも特に古そうな本を取り出した。忙しそうにページをめくる音だけが聞こえてくる。
「あ、あった!」
ぶ厚い本を持ったままテーブルに戻ってきたロバートは、そのページをティアに見せながら解説した。
「フィッツロイ家の始まりは教会で認定された聖女カナコ様だ。ノーガクブという愛称でも呼ばれていた。なんでも、異世界でノーガクブという知恵の木から植物の知識を与えられたらしい」
「へぇ」
興味深そうに本を覗き込むと、ロバートがそこに描かれている絵を指さした。
「これがカナコ様の肖像画だ。君と同じ黒い髪に黒い瞳。そして頬に赤い痣がある」
顔立ちはあまり似ていないが、ロバートの言う通り黒髪に黒い目、左頬に四つ葉のクローバーの赤い痣がある。
ティアはなんと返答していいか分からなかった。黙って絵を見つめているとロバートがぽつりと呟いた。
「僕は、母上がカッサンドラ・フィッツロイではないことを知っている」
ロバートが唇を噛む。
「僕は母上の素顔を見たことがなかった。黒髪に黒い瞳のフィッツロイ家の最後の生き残りと聞いていたが……幼い頃、悪戯心で母上の寝室に行ってみたんだ。そしたら黒髪は本物ではなかった。母の髪は金髪だったんだ。父上に尋ねたら激怒されてね。半年以上両親に会ってもらえなかった」
ロバートの淡々とした口調がかえってその時の彼の感情を雄弁に伝えていてティアの胸は痛くなった。
ティアの方を見ようともせずにロバートは語り続ける。
「僕はフィッツロイ家に興味を持ち、教会に入り浸って歴史を学ぶようになった。歴史を学べば学ぶほど、母がフィッツロイ家の人間ではなく、両親が正当な後継者から王位を簒奪したんじゃないかって疑問を持つようになった。フィッツロイ家の令嬢を正妃にすることは絶対的な先祖の法となっているのに」
「で、でも、そんなの前時代的じゃありません? 本人同士の意思が結婚には重要じゃないかしら?」
ロバートはキッとティアを睨みつけた。
「もし父上がカッサンドラ・フィッツロイ様以外の女性と恋に落ちたなら、王位を諦めるべきだった。それなら問題ない。でも、父上は何も諦めたくなかった。強欲のなせる業だよ」
ティアは何と返事していいか分からず俯いた。ロバートが申し訳なさそうに言った。
「ごめん。君は父上から無理矢理僕と結婚するよう命じられたんだろう。すまない」
「いえ、そんな……」
相変わらず返答に困る。ティアは黙って指で服の皺を伸ばしていた。
「……君の父君はリヴァイ叔父上なのか? 叔父上と本物のカッサンドラ様の娘だったら、この国の正当な王位継承者は君になる」
驚いたティアが顔を上げると、ロバートの顔が悲しそうに歪んだ。
「やっぱりそうだったんだな」
「ご存知だったのですね……」
「まぁ、僕なりに色々調べたから……」
ロバートがここまで秘密を知っていたことにティアは驚いた。
「……その、王妃様が本物ではないと知って暴露しようというお気持ちにはならなかったんですか? もちろん、ご両親のことだと難しいと思いますが……」
ティアの質問にロバートは悄然と肩を落とした。
「当然の質問だ。実を言うと……そうしようと思ったこともある。しかし、ある人に止められたんだ」
「ある人?」
「ごめん。その人のことは絶対に誰にも明かさないと誓ったから……詳しいことは話せない。ただ、その人に言われたんだ。フィッツロイの人間が助けを求めてきたなら助けてあげて欲しい。でも、王位を望んでいない可能性もある。秘密を暴露すると国王がいなくなってしまう。たとえ悪人でも国王がいなくなったら国が混乱し、被害を受けるのは一般国民だからって……」
「その通りですね。その方はお優しいのですね」
例えば、いきなりティアに王位が転がりこんできたとしても、どうしていいか分からない。
正直言うと王族とは無縁のところで自由に暮らすことが彼女の最も望むところであった。
「ああ、尊敬できる人だ」
ロバートのしんみりした口調にティアも共感した。
「はい。あ、でも……」
一つ疑問が湧いてきた。
「その方は秘密をご存知だったってことですよね?」
「……」
ロバートが黙ってしまったので、それ以上は追及するのを止めた。
しかし、思っていたよりも王妃の秘密を知る者は多いのかもしれない。
それなのに相変わらずあの二人が国王と王妃として君臨している。
国がきちんとおさまっているのなら自分はそれで構わない。
彼らに腹は立つが、国を混乱させてまで王位から引きずり降ろそうという気持ちはない。
(私はただ自由に静かに生きたいだけなんだけどな……)
ティアはひっそりと溜息をついた。




