54.王太子ロバート
ティアが地下室に監禁されて一週間が過ぎた。
妙案が浮かぶわけでもなく、ティアは途方に暮れていた。
カインが来るたびにサイラスのことを尋ねるが、国王から口止めされたのか、新しい情報を教えてはもらえなかった。
「明日には移動するから」
突然カインから言われて、ティアは戸惑った。
「どこへ?」
「教会に行くんだ」
「教会?」
両親の過去の話を聞いた時に『教会』という言葉は何度も出てきた。
契約魔法の書を保有していたのも教会だし、他の世界から女神や聖女を召喚したのも教会だ。
(なんだか怖い……)
女神の魔法が顕現した自分が実験動物にでもされたらどうしようと不安で瞳が揺れる。
「平気だよ、王太子妃になる女性に危害を加える人間なんていないから」
カインの口調は軽い。
「どうして教会に行くの?」
「そりゃ、ロバート王太子に会いにいくのさ。あの人は国王になんてなりたくないんだ。教会で魔法の研究に生涯を捧げたいという変わり者なんだよ」
ティアは呆気にとられて口をポカンと開けた。
***
黒いローブを羽織ったロバート王太子は高い本の山の隙間に挟まれるようにして本のページをめくっていた。
金髪に青い目や整った顔立ちは父親のアーサーに似ているが、本に向ける情熱的な瞳の煌めきは父にはないものだった。
「……君が噂のフィッツロイ家の先祖返りだね?」
一応視線をティアに向けながらロバートは言った。
「えーと、何故それをご存知で?」
「カインから聞いた。でも僕は正直疑っている。僕の気を引くための父上の罠じゃないかな」
挨拶も自己紹介もないロバートにティアは戸惑ったが、彼は再び本の方に目を遣った。
カインが呆れたようにこほんと咳払いする。
「婚約者のアリスティア嬢をお連れしましたよ。ちゃんと自己紹介してください。殿下」
「結婚なんてしない。それに殿下は止めてくれ。僕はあんな下劣な男女の後を継ぐつもりはない」
ロバートの両親への辛辣な言い方に驚いたが、彼の瞳が突如ガラス玉のように光を失ったことにも衝撃を受けた。
この王太子に一体何があったのだろう?
「ま、いいですよ。えーと、俺の任務はアリスティア嬢を修道女に化けさせて教会に連れてくること。教会に住むロバート様に引き合わせること。教会の人間に秘密が漏れないようにすること、の三つです」
「え、そうだったの!?」
自分が何故ここにいるのかようやく理解して驚いた。
カインは苦笑いを浮かべる。
「ええ、そうなんですよ。だからお嬢さんは今修道女に扮しているじゃないですか?」
地下室から教会に来る前に、着替えるように言われたのは確かに修道女の服だった。
ヴェールを深く被るので髪や目は完全に隠すことができる。
「一応見習いってことで一週間ほど教会に滞在してください。ロバート様、その間、彼女の面倒をみてあげてくださいよ」
「冗談じゃない! なんで僕が!?」
「未来のお嫁さんには優しくするべきですから」
「僕は一生結婚しない。生涯を教会での研究に捧げるって父上には何度も話しているのに」
苛立たしそうにロバートが地団太を踏む。
あまりに想定外の台詞を聞いてティアは驚いて「まぁ!」と声をあげてしまった。
ジロリとロバートがティアを睨む。
「なにか問題でも? 僕が結婚しようがしまいが君には関係ないだろう」
「えっと、あなたのお父さまに結婚しろと言われたので正確には多少関係があります」
ティアの返答にカインがぷっと噴き出した。
ロバートは苛立ちを隠そうともしない。
「僕には大事な研究があるんだ。もう帰ってくれ。研究の邪魔だ」
カインはこほんと咳払いした。
「その研究ができるのは御父君の国王陛下の援助があってこそ、ですよね? ロバート様が一人で使っているこの部屋を見てくださいよ」
周囲を見回してカインは言った。主室には大きな本棚が四つもある。部屋の奥に厨房と浴室があり、テーブルや椅子の他にゆったりと座れるソファも置いてある。二つある扉は恐らく寝室に繋がっているのだろう。
「うっ」
ロバートが言葉に詰まった。
察するに彼の部屋は王太子だからこその優遇措置なのだろう。
「寝室は二つありますね。アリスティア嬢は使っていない方で眠ってください。人に見られないように気をつけてくださいね。王太子の友人が滞在するという許可は取っていますが、女性とは言っていないので……」
道理でここに来るまでも人目を気にしていた訳だ。
カインはティアに向かって片目をつぶりながら話を続けた。
「アリスティア嬢が逃げたら、もしくは俺が役割を果たせなかったら、俺は殺されるんで。ちょっとでも可哀想だと思ったら逃がさないでくださいね」
ロバートは腕を組んではぁっと大きく息を吐いた。
「仕方ないな」
カインはティアにもニッと笑いかける。
「アリスティア嬢も、逃げないでくださいね。もしあなたが逃げたら国軍が総力をあげてアスター領を攻撃し始めるんで」
「またそんな……冗談ばかり……」
ティアが震える声で呟く。
「国王陛下が本気なのは分かっているでしょう?」
アーサーの目つきは本気だった。
あの人は自分の目的のためなら何人でも人を殺すのを躊躇わないだろう。
アスター領の仲間のことを考えると軽はずみなことはできない。
自分一人が犠牲になればみんなが平和に過ごせる。
それがたとえ二度とサイラスと会えなくなることでも……。
鋭い刃に切り裂かれたように胸が痛んだ。




