5.持参金
アスター城の庭は荒れていた。広大な庭を一人の庭師が手入れするのは不可能だろう。
中庭の薔薇は綺麗に咲いていたが、それ以外の場所の多くは雑草が生い茂り、芝生というよりも野生の平原という雰囲気であった。
荒れ放題の庭にタマラは恥ずかしそうに口ごもった。
「雑草だらけで申し訳ありません。何しろ人手が足りずに……」
しかし、ティアは瞳を輝かせ胸を張って断言した。
「世の中に雑草なんてありませんわ! 全ての植物にはちゃんと名前があります。それに食べられる草も多いんですよ。食べられなくても虫よけの効果があったり、殺菌作用があったり、綺麗な花を咲かせたり、鳥や虫や動物の餌になったり、役に立つ植物が多いんです」
「そ、そうなんですか……?」
「ええ! それにここは私たちも食べられる草がたくさん生えているわ!」
タマラがぎょっとして目をむいた。
「食べられる草……? この庭に……?」
「あ、驚かせてごめんなさい。以前、お腹が空いた時に助けてもらった草が生えているので。ほら、例えば、これはヨモギといってとても体にいいんですよ。お粥に混ぜてもお茶にしてもいいんです。血流や代謝が良くなってお肌にも良い効果があります」
タマラが感心したようにティアを見つめた。
「ティア様は植物に詳しいのですね?」
「……亡くなった母が教えてくれました」
「素晴らしいお母さまだったのですね」
少し雰囲気がしんみりした時に背後でガサッと音がした。
タマラと一緒に振り返ると、栗色の髪に琥珀色の瞳の若者が大きなハシゴを抱えて立っていた。
「ちょうど良かった。ジェイク、こちらはティア様。旦那様と結婚されてアスター伯爵夫人になられた方です」
ジェイクと呼ばれた青年は無愛想に頭を動かした。会釈したつもりだろうか?
彼の目は死んだ魚のようにどんよりしていて、無言でティアを見つめている。
タマラが『やれやれ』とばかりに眉を顰めた。
「ジェイク、貴方はもう少し礼儀を……」
「庭師の方ですね! ティアと申します。これからよろしくお願いいたします。あの、実は私、庭に薬草とか野菜を植えたいのですが、いいでしょうか?」
タマラの言葉を遮るようにティアは言いつのった。
ジェイクがポカンと口を開ける。
「……薬草? 野菜?」
「はい! ここに来る前にも庭で育てていました。種子も持ってきているので育てる場所をちょっとでいいので頂けませんか?」
呆気にとられたジェイクは無言でコクリと頷いた。
やり取りを眺めていたタマラは『仕方ないわね』というように肩をすくめる。
屋敷に戻りながらティアはタマラに謝った。
「さっき、タマラさんが話しているのに遮ってしまってすみませんでした」
「え!? あら、いいのよ。そんなこと。ジェイクは愛想がなくて、ティア様がお気を悪くなさるんじゃないかって心配だったんだけど……ティア様が気さくな方で良かったですわ」
「そんな風に言ってもらえるの、すごく嬉しいです! ……良かったら、な、なかよくしてください」
タマラの目が嬉しそうに瞬く。ティアの手を握って「もちろんですわ」と黒い瞳を覗き込むタマラの背後に後光が差して見えるような気がした。
「ところでティア様、家令のセドリックがご相談したいことがあるそうなんです。なので、セドリックの執務室にご案内しますね」
ティアは「はい!」と元気に返事をした。
***
セドリックの執務室には多くの書類が溢れていた。
壁に作りつけの大きな本棚には書類がぎゅうぎゅうに押し込まれているが、時系列に並んでいるところは彼の几帳面さが表れているようだ。
「ティア様、よくお越しくださいました。お時間を取らせて申し訳ありません」
セドリックに促されておずおずと椅子に座ると、彼の目尻が下がり優しい笑みが浮かぶ。
「いえ、とんでもないです。こちらこそ、これからお世話になるので、私の城での役割や立場について質問させて頂きたいと思っていました」
「ほう」とセドリックが感心したように声をあげた。
「どんな質問ですかな?」
「いえ……まずセドリックさんのお話を伺ってもよろしいですか?」
「分かりました」
セドリックは眼鏡をクイと持ち上げてコホンと咳払いすると、一枚の書類を目の前に差し出した。
ティアは覗き込んで目を大きく見開いた。
「これはアスター伯爵家とテイラー男爵家の間で取り決められた婚姻の約定ですね」
「はい。法律文書なのにご理解が早くて助かります。ティア様の持参金は記載されているように金貨百枚。既にテイラー男爵家より頂戴いたしました。その持参金の一部をこの城で必要な経費に使わせてもらうようにと旦那様から指示されております」
持参金として金貨百枚は貴族同士の婚姻でも破格といっていい。あのドケチなフランクがティアのために出すはずがない。それだけの金額を許すほどアスター伯爵との婚姻は重要だということだろうか?
「もちろん、ティア様の持参金ですので、ティア様のドレス代や遊興費など自由に使ってください。しかし、できましたら少しで構いませんので、この城の運営費や修繕費に使用させて頂けないでしょうか?」
セドリックの丁寧な言葉を聞いてティアは飛び上がって驚いた。
「い、いえ、そのお金は私のものではありません。アスター伯爵家のためにすべて使ってください。私にお金は必要ありませんので」
「そういうわけには参りません。タマラからもティア様のためにドレスを仕立てるよう言われておりますし……」
困惑顔のセドリックが首を振るが、ティアは頑なに言い張った。
「服はこのお仕着せで十分ですし、欲しいものはありません。……あ、一つだけ。庭にちょっと場所を頂いて、菜園や薬草園、ハーブ園を作らせて頂けたら嬉しいです。残りは皆さんで使ってください」
ティアは深く頭を下げた。セドリックが焦って立ち上がる。
「ティア様、どうか頭を上げてください。旦那様からはっきりと言われております。持参金はティア様のものだから、まずはティア様のご希望を伺って、一部を城の修繕に使用しても良いか相談するようにと」
「そうなんですか!?」
顔を上げると、セドリックが両方の眉をさげて苦笑している。
「ええ。それに旦那様が留守の間は、ティア様がこの城の主です。正直申しますと、今年の城の予算はティア様の金貨百枚のみです。領地の財政状況についてご説明しますので、金貨百枚の使い道について一緒に考えていただけますか?」
「……財政」
「もちろん、私もタマラもお手伝いいたします。無理強いはいたしませんが……」
緊張で握りしめた拳が白くなった。母から一般教養として財政も学んだことはある。しかし、あくまで教養程度だ。まったくの素人がどこまでできるだろう。
「はい! やる気はあります。節約生活も多分得意です。一から勉強させて頂きますので、どうかご指導の程よろしくお願いいたします」
セドリックは嬉しそうに頷いた。
「ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いいたします。明日から具体的なお話をしましょう。ところで、先程ティア様の役割についてご質問があると仰っていましたね?」
(この人はこの城で私に役割をくれようとしているんだ)
『あなたは何もしなくていいです』などと言われなくて良かった。
七年間の孤独に耐え、ようやく優しい人たちに出会えた。ここで受け入れてもらえるように頑張ろう。
ティアの心に火が灯ったような気がした。