48.毒
(しっかりしろ!)
ティアは自分の頬を両手で叩いた。
「サイラス様! 吐き出して! 聞こえますか?」
彼の目の焦点はもう合っていない。意識混濁が始まっているようだ。
女は素早く窓を開けて逃げようとしている。彼女も毒を摂取したはずだが、事前に解毒薬を飲んでいたのかもしれない。
ティアは女の手を掴んで振り向かせ、彼女の目を覗き込む。
『ウゴクナ』
彼女はその場に根が生えたように凍りついた。
『ドクのナマエをイエ』
視線を彼女の目に固定しながら尋ねると、震える声で女が答えた。
「……ヤマブト」
ティアは、サイラスの口の中に指を突っ込んで吐かせているリックに向かって「水を何度も飲ませて吐かせて!」と叫ぶと部屋から飛び出していった。
(お願いっ! 間に合って!)
息せき切って温室の扉を開け、解毒薬となるソリナの茎を数本引っこ抜く。それを掴むと再び屋敷に全速力で走った。サイラスのことで頭がいっぱいで胸が苦しい。
騒ぎが起こった部屋には何人もの騎士が水差しの水やバケツを持って出入りしている。ティアが部屋に入ると、リックとトニーがサイラスに水を飲ませては吐かせる作業をしていた。
女は部屋の隅に縄で縛られて放置されているが、まだ動けないようでピクリともしない。
サイラスは真っ白な顔色でガタガタ震えている。
(お願いっ! サイラス、死なないで! あなたが死んだら……私、私はっ)
ティアは無我夢中でソリナの茎を口に含み、何度も咀嚼するとサイラスに口移しでそれを飲ませた。
何度も繰り返すうちに、痙攣していた彼の手足が少しずつ落ち着いてくる。
ティアは口元を拭って、サイラスの脈拍と呼吸を確認した。どちらも一定で落ち着いてきたが、サイラスの意識は戻らない。
「リック、彼を寝室で休ませてあげて。しばらく昏睡状態かもしれないけど命の危険はもうないと思う。みんなが頑張ってくれたおかげよ。ありがとう」
その場にいた全員に声をかけると、ピリついていた雰囲気が安堵で緩んだ。
ジョンとローワンがティアの護衛のために残ったが、それ以外はサイラスを寝室に運んだり片づけをしたりで、部屋は静かになった。
ティアは慎重に部屋の隅に放置されていた女に近づいた。護衛の二人が「ティア様、お気をつけて」と声をかける。
「ありがとう。気をつけるわ。彼女を起こしてくれる?」
ジョンが女の身を起こして寝台に座らせた。魔法が解けて動けるようになったようだが、もう抵抗する気力はないらしい。
ティアは椅子を引いてきて彼女の目の前に座る。
左の頬が熱い。
ティアは自分の力の使い方が分かってきた。女と目を合わせながら命じる。
『シツモンにコタエヨ』
「はい……」
小さな声で女は答えた。
「誰に命じられてサイラスに毒を盛った?」
「名前は知らない。赤毛の女。王宮の侍女だ」
昼間に王宮に行った時に案内してくれた侍女を思い出した。王妃付きの侍女と言っていた。
「何故サイラスを狙った?」
「知らない」
「何故毒を盛った?」
「金をもらった。前金で金貨五十枚。成功したらもう五十枚」
女は嘘がつけないはずだという確信があったティアは失望して溜息をついた。
「毒はどうやって仕込んだ? どこで毒を手に入れた?」
「赤毛の女が持ってきた。小さな薬包に入った毒を口に仕込まされた」
「解毒薬は?」
「赤毛の女が飲むように言った。得体のしれないものは飲みたくないと言ったら、解毒薬を飲まないとヤマブトの毒で死ぬと脅された」
ティアはふぅっと大きく息を吐く。
「どこに逃げるつもりだった?」
「屋敷の外に武器を持った男たちが待っている。そこまで走れば……」
言いかけた時、ガシャーンと背後の窓が割れて矢が女の胸に突き刺さった。
ティアは大きく息をのんだ。矢じりが服を貫き吸いこまれていく様がゆっくりと視界に映った。とても現実のものとは思えない。恐ろしくて全身が震えた。
すぐにジョンとローワンがティアを庇うように立ちふさがる。
「ダメっ! 伏せてっ!」
ティアが二人のシャツを下に引っ張り、床に這いつくばらせた。おかげで彼らの上を矢が通過していく。
矢を打ち込まれた女はすぐに絶命したらしい。
ティアが這っていき首筋に震える指を当てると既に脈拍はない。サイラスに毒を盛った女だったが、それでも涙が溢れてくる。動揺しながらも必死で頭を働かせた。胸を貫かれたとはいえ絶命が速すぎる。
「矢じりに毒が塗ってある可能性がある。みんな、これをかじって!」
ティアがソリナの茎を手渡すと、ジョンとローワンは茎をかじり、それぞれ口の中で咀嚼している。
自分も一口かじるとよく噛んで飲み込んだ。苦いが食べられないほどではない。
襲撃者が誰なのかは不明だが、赤毛の侍女が関係しているとなると王妃の手の者かもしれない。
いずれにしても手強い敵だ。サイラスは昏睡状態だし、こちらは圧倒的に不利な状況。
それを狙って毒を仕込んだのだとしたら、これは念入りに準備された襲撃であることがわかる。
その時「ティア様! ご無事ですか!?」と大声でリックたちが部屋になだれ込んできた。
「毒矢がくる! みんな伏せて!」
ティアが言い終わらない内に再び矢での攻撃がきたが、全員床に伏せて難を避けた。
「……一体だれがこんなことを!?」
床に伏せながらリックが叫んだ。
「分からないけど、王妃が糸を引いているのかも……」
確信はないがそう答えた。リックの顔が曇る。
「まずいな……ということは近衛騎士団か、衛兵……いずれにしても戦闘のプロだ」
「サイラスとカーラは!?」
「大丈夫です。二人とも同じ部屋に隠れています。一人護衛をつけてきました。サイラス様はよく眠っておいででした」
自分の大切な人たちを絶対に傷つけさせない。ティアは奥歯を噛みしめて窓の向こうにいる敵を睨みつけた。
まだ屋敷の中に侵入する者はいないが、外に大勢の敵の気配がする。二十名にも満たない自分たちは圧倒的に不利だ。
(魔法を使えば……でも……)
これまでの経験から分かっているのは、魔法を使うためには相手と目を合わせないといけないということだ。
つまり、一度に複数を相手にすることはできない。
「リック、敵は訓練を受けた戦闘集団、ということは、統率する人間がいるってことよね?」
「はい、おそらく……」
「統率者を探してちょうだい。そうしたら私がなんとかする」
次の瞬間に一斉に窓ガラスが粉々に砕かれて、大勢の襲撃者が邸内に飛び込んできた。




