45.満月
夕食の後、ティアはサイラスに庭を散歩しないかと誘ってみた。
「え!?俺と!?…………別にいいけど」
首の後ろを擦りながら若干頬を赤くしてサイラスはコクリと頷いた。
今夜は満月だ。
白く淡い光を放つ月を見ながら二人で並んで歩いているとまるで恋人同士の逢瀬みたい、などと考えてしまいティアは顔を赤らめた。
背の高いサイラスの顔をちらっと見上げると「ん?」と優しく微笑んでくれる。
誰に対しても平等な笑顔だと分かってはいるが、ティアの胸はときめかずにいられない。
「いい夜だ。月が綺麗だな」
独り言のようにサイラスが呟く。
「はい、とっても」
ティアも並んで月を眺める。
そんなティアの横顔を見つめていたサイラスが思い切ったように口を開いた。
「君は美しい」
「へ!?」
思わず変な声が出てしまった。
「な、なななにを急に!?」
心臓に悪いと胸を押さえるとサイラスがくすっと笑った。
彼の麗しい微笑みにますます鼓動が速くなる。
「いや、ちゃんと伝えたいんだ。君を初めて見た時に、なんて可憐な少女だろうと思った」
「えええ?!顔にこんな傷があるのに?」
「正直、あまり気にならなかった。君の大きな黒い瞳とか長い睫毛とか真っ白な肌とか華奢な首元とか……綺麗だって思った……いや、気持ち悪いか、こんなこと言うと」
ティアは顔の火照りを抑えられなかった。
以前も似たようなことを言っていた気がするが、改めて具体的に言われると恥ずかしい。
「最初は弱々しい女性だと思っていたんだ。……でも全然違った。君は頭が良くて優しくて、それでいて逞しい……えーと、逞しいというのは褒め言葉だよな?」
サイラスが腕を組んで首をひねっている様子が可愛い。
思わずくすくすと笑ってしまった。
「なんかおかしかったかい? 若い君からしたら俺なんて相手にならないかもしれないが、できたらもっと親しくなりたいんだ……一応夫婦だし」
頭を掻きながら、はにかむように話すサイラスの顔は完熟トマトのように真っ赤だ。
「わ、わたしももっとサイラス様と親しくなりたい、です! ふ、ふうふですし」
「そ、そうか? 良かった」
屈託なく笑うサイラスに胸を鷲掴みにされたような気がしてティアは「うっ」と呻いた。
「どうした!? 具合が悪いのか?」
「いえ、違います。サイラス様の顔が良すぎて……乙女心を奪われそうです」
サイラスが目をぱちくりさせて「乙女心を奪う?」と呟いた。
それだと愛の告白みたいだと慌てて両手を振って言い訳しようとすると、サイラスが心から幸せそうに微笑んだ。
「それは嬉しいな。俺の心はとっくに君に奪われてしまったから」
ティアはカチーンと固まった。
何故か目頭が熱くなる。
「っ……サイラス様は罪な方です! そんな思わせぶりなことを言われたら、私のように免疫のない女はすぐに引っかかってしまうんです!」
サイラスは狼狽して正面からティアに向きなおると彼女の潤んだ瞳を覗き込んだ。
「ご、ごめん。でも、思わせぶりなつもりはない……本心だから」
我慢できずにティアの瞳から涙がこぼれた。サイラスがぎょっとして一歩後ずさる。
「だ、だって……私を愛することなんて一生ないっておっしゃったじゃないですか!?」
サイラスの顔が青くなり、また赤くなり、そして最終的に白くなった。
とにかく激しく動揺していることだけは伝わってくる。
「違うんだ! あの時はいずれ君とはお別れするし、形だけの結婚だと思っていたから……こんな風に心惹かれるようになるとは思っていなかったんだ」
「心惹かれる……? 私に?」
「……正直言うと、愛してる、と言えるほどじゃない……まだ。『愛してる』なんて軽々しく使うべきじゃないと思うんだ。一生涯をかけてたった一人だけを愛し抜く覚悟があって初めて言える言葉だ。ただ、君はとても優しくて尊敬できる人で、大切にしたいと思う初めての女性、なんだ。なんというか、特別な女性というか……ごめん、いい言い方が思い浮かばない」
頭をがしがしと掻きむしりながら煩悶しているサイラスを見て、以前アルマが言っていたことを思い出した。
『……真面目で不器用でちょっと誤解されやすい方かもしれませんね』
真面目すぎるくらい生真面目で不器用な人なんだ、と思ったら、複雑に混じり合った感情がこみ上げてきた。
誤解されやすい彼を自分が守ってあげたいというか、もっと近づきたいというか、胸が切なくなるというか。
(愛おしいっていうのはこういう気持ちなのかな? 尊敬っていう言葉だけで十分だと思っていたのに、今はもう少し先の言葉が欲しいなんて)
ティアはサイラスの手に指を伸ばして微笑んだ。
「これからお互いを知っていきたいです。私もまだこの気持ちが何なのか結論が出ていませんから……」
サイラスが蕩けそうな表情でティアの手を取る。
その場に片膝をつくと彼女の手の甲に唇を近づけた。
「ささ、さいらす!?」
全身がカーっと熱くなる中、サイラスは甘い眼差しで「これからもよろしく」と笑顔を見せた。




