42.夫婦仲
フィッツロイ公爵家の屋敷は広大だが、掃除が隅々まで行き届いている。
すべて騎士たちが掃除していると聞いてティアとカーラは驚いた。食事も持ち回りで騎士たちが調理しているらしい。
建物の裏手には大きな農場が広がり、牛、豚、羊、ヤギ、鶏などの家畜も多く飼われている。野菜や果物だけでなく麦や米まで青々と実っていた。
ティアは興奮して両手を胸に当てた。
「素晴らしいわ! 理想的!」
「食費がかからなくて助かります。フィッツロイ家に代々受け継がれてきた植物はほとんどがこの庭に保存されていますよ」
屋敷を案内してくれるトニーが得意気に鼻の下を擦った。
「あら、あそこに温室もあるのね!」
ティアが指さしたのは大きなグラスハウスだ。ガラス張りの温室が畑の向こうに見える。
「ああ、あそこでは主に花や薬草など特殊な植物を育てています」
温室の中を案内されてティアは興奮した。
サンドラが図を描いて教えてくれた多くの植物が育っている。中には毒物の材料になる植物も含まれていて、背中がぞくっとした。
フィッツロイ家に伝わる植物の知識は安全なものだけではない。
何故フィッツロイ一族に公爵位を授けながら領地を与えなかったのか、その理由は分かる気がする。
フィッツロイ一族に領地があり、その領地だけが異常に繁栄したらどうなるか?
力を持たせるには、あまりに多くの危険な知識がある一族だ。
下手すると国王の力を上回ってしまう可能性だってある。
年齢が合う女児が産まれたら正妃にするという伝統も、もしかしたらそれを防ぐ手立てだったのかもしれない。
ティアが考えこんでいると、トニーが「大丈夫ですか?」と声をかけた。
「はっはい、大丈夫です。すみません」
「明日は王宮で謁見ですよね。今日はあまり無理をせずゆっくり休んでくださいね。俺たちは王宮の中までは行けないので心配ですが……」
トニーは不安そうに眉を顰める。
「大丈夫よ。サイラスが付き添ってくださるし」
「そりゃそうですね! リック団長よりもお強いって噂ですから、サイラス様がいれば一騎当千です」
ティアは目を輝かせた。
「サイラスはリック団長よりお強いの? リック団長って凄い方なんでしょ?」
「そりゃそうですよ。俺たちが束になっても敵いません。サイラス様は頭も容姿も良くて、しかも強いって天は二物も三物も与えすぎだってみんなが話していますよ」
サイラスが褒められているのを聞くと何故かティアも嬉しくなった。
「それだけじゃなくて、サイラスはとてもお優しいんですよ。掃除や料理もお上手で!」
「えー!? あれだけの美形でそんなこともできるの? ズルいなぁ。欠点なんてないじゃないか」
「そうなんですよ。サイラスは完璧なんです!」
両拳を握りしめてティアが断言すると、トニーが爆笑した。
「いや~、いいなぁ、夫婦仲が良くて!」
「え!? 夫婦!?」
一瞬、パニックになりそうになったが『そうだ。私とサイラス様は夫婦なんだ』という事実を思い出す。
あんな完璧な人と夫婦なんて恐れ多すぎる。でも、夫婦ではないと否定もできない。
内心の動揺を隠してティアは愛想笑いを浮かべた。
「私にとってサイラス様は尊敬すべき方で、それ以上でもそれ以下でもありません!」
きっぱりと言い切るとトニーが「は?」という顔をした。
「そろそろ戻りましょうか?」
ティアがグラスハウスから出ていくとトニーも慌てて彼女の後を追いかけた。
***
国王との謁見当日。
ティアは朝から緊張しながらカーラと一緒に身支度を整えていた。
今日は念のため瞳の色を母から教わった手法で青色に変えている。
謁見で身に着けるのはマダム・ポンパスの青いドレスだ。紺碧の海のような鮮やかな青で彼女の黒い髪によく映える。
シンプルなAラインのドレスでレースやフリルなどの飾りはない。襟元が大きく開いていて華奢な首と肩が美しく見えるデザインになっている。
うなじが綺麗に見えるようにカーラは彼女の艶やかな黒髪を高く結い上げ、ドレスと同じ色の髪飾りをつける。
彼女のシミの無い肌に化粧は必要ないが、左の頬の傷が目立たないように軽くパウダーをはたいた。
サイラスはサファイアのネックレスも購入してくれた。カーラが恭しくティアの首にネックレスをつける。光を反射して透明な石が煌めいた。
自分にはもったいない、と躊躇したが贈り物を拒絶するのは失礼すぎる。有難く身につけさせていただくことにした。
「ティア、すっごく綺麗」
感極まったようにカーラが呟く。
とんとん
ノックの音がしてカーラが扉を開けると礼装姿のサイラスが立っていた。
蒼い瞳に合うミッドナイトブルーの上衣に薄水色のシャツが逞しい体躯を包む。白っぽい金髪を後ろで一つにまとめた姿はまさに美形伯爵で見惚れない女性はいないだろうとティアは思った。
カーラですら「目の保養」と呟いている。
(こんな素敵な人の隣に私がいていいのかしら?)
ティアがサイラスに視線を向けると、彼の顔が火のついたように赤くなった。
「あ、あの、ティア、す、すごく似合う」
何故か棒読みになったサイラスのトマトのような顔を見ていたら、ちょっと安心できて余裕が生まれた。
「サイラスもとても素敵。ありがとうございます。こんな素晴らしいドレスを贈っていただいて、感謝の言葉もありませんわ」
「そ、そうか、それは良かった。……君が非常に美しくて感銘を受けた」
相変わらず真っ赤な顔で棒読みの台詞だが、ティアを見つめる眼差しは甘くて優しい。
サイラスはお辞儀をしながら片目をつぶると「参りましょうか? お姫様」と手を差し伸べた。
彼の大きな手に自分の手を重ねると、二人は互いの顔を見て微笑み合った。




