41.フィッツロイ公爵邸
「え?」
ティアは呆然と立ちすくんだ。
いつの間にか隣にきていたサイラスが彼女の肩に手を置く。
ティアが混乱した顔で見上げると、彼は優しく微笑んだ。
「ここはフィッツロイ公爵家の屋敷だ。昔、王太子だったアーサー国王が売却した後、父上が買い戻して管理していたんだ」
(フィッツロイ家の屋敷!? お母さまが産まれて育ったところ?)
混乱するティアをサイラスは中に案内した。少し殺風景だが綺麗に掃除されていて塵一つ落ちていない。
「俺は君の出自を隠すつもりだったから、正直この屋敷をどうしたらいいか悩んでいたんだ……」
困惑した表情を浮かべてサイラスは邸の廊下を進んでいく。
サイラスは歩きながらカーラにお茶の用意を頼むと、ティアを小さな応接室に連れていった。
伝統的で上品な家具に囲まれた応接間はどこか人を落ち着かせてくれる。ティアは冷静に頭を整理しようと長椅子に腰かけた。サイラスも彼女の隣に座る。
しばらく待つとカーラが良い香りのするお茶を持ってきてくれた。ティアがカーラにも一緒にいて欲しいと頼むとサイラスは快く頷いた。
しばらく無言でお茶を飲んでいると扉を叩く音がした。
サイラスが扉を開くとリックが直立不動で立っていたが、一歩中に入ると深々とお辞儀をした。
「お嬢さまがこのお屋敷でお茶を飲んでいらっしゃるなんてっ……カッサンドラ様が戻られたようです」
リックの凛々しい顔立ちが泣きだしそうにくしゃくしゃに歪んだ。
「君たちがこの屋敷を立派に守ってくれたおかげだ。ありがとう」
「アスター伯爵閣下には感謝の気持ちしかありませんっ!」
サイラスに向かってリックが深々と頭を下げる。
「先代伯爵が亡くなられた後、サイラス様はお持ちの資金をすべてこの屋敷の修繕に捻出してくださいました」
ティアはポカンと口を開けてサイラスを見つめた。
「え!?どうしてそんな……?」
サイラスは頭を掻いた。
「でも、最低限の維持しかできなかった。騎士たちの給与も出せなくて……彼らは無給でこの屋敷を守ってくれている」
驚くことに屋敷にいる十数名の騎士たちはフィッツロイ家に深い忠誠心を持ち、ずっと屋敷を守ってきたのだという。
「執事や使用人たちは他の屋敷に雇用されることになりましたが、お嬢さまがお戻りと知ればすぐにこちらに馳せ参じるでしょう」
リックが満面の笑みで言葉を続けるが、ティアは頭が混乱して両手を振った。
「ちょ、ちょっと待ってください!えっと、つまり、この方たちは秘密をご存知だということですか?」
サイラスの顔が曇った。
「いや、父は秘密を漏らしてはいなかった。ただ、王妃がカッサンドラ様ではないということはすぐに分かったらしい。フィッツロイ家で働いていた者は全員そうだ」
「ただ、我々がそんなことを口に出せる立場ではありませんでした。王妃が偽物だなんて言ったら気が狂っていると思われたでしょう」
リックは辛そうに唇を噛む。
「先代のウィリアム様は、カッサンドラ様が王宮で暮らすようになった後もこの屋敷の手入れをしてくださっていました。そして当時のアーサー王太子が勝手に屋敷を売却した後、買い戻してくださいました。その後も何かと支援してくださったんです。そして、国王陛下が結婚され、即位された後……くっ」
カーラは水差しから水を汲み、言葉に詰まったリックに差し出した。
「ありがとう」と受取り、一気に水を飲み干すとリックは話を続ける。
「ウィリアム様がこの屋敷に来られたのです。とても憔悴しておられました。俺たちが、その、王妃になられたカッサンドラ様が違うと訴えると『何も言うな』とおっしゃられて……」
「父は何も言えなかったんだ」
サイラスが悔しそうに拳を握りしめた。
「フィッツロイ家の屋敷は維持したい、しかし使用人の給金を払う余裕はない、申し訳ない、とウィリアム様は頭を下げられました。新しい就職先を斡旋するから俺たちは自由にしていいと仰って……」
リックの瞳が潤んだ。
「そう、だったんですね」
ティアは呟いた。サンドラがここで生活をする可能性は低かっただろう。
それでもウィリアムはこの屋敷を手放そうとはしなかった。
使用人たちは他の職場に散り散りになっていったが、リックと騎士団の一部は無給でも残ってこの屋敷を守りたいと懇願した。
「フィッツロイ家の血筋の方はもうここに住まないかもしれない、万が一血筋の方が見つかったとしても売りたいとおっしゃるかもしれない、それでもいいのか?とウィリアム様はおっしゃいました……」
リックの言葉を聞いて、サイラスが悲しそうな顔をした。
「俺がこの屋敷のことを知ったのは父が亡くなる直前だった。俺は契約魔法に縛られてはいない。だからリックたちに秘密を打ち明けた。彼らは驚かなかったよ。王妃が偽物である以上どこかに本物のカッサンドラ様がいるに違いない。そう信じて屋敷を守り続けてきた。だから、君がこの屋敷に戻ってきてくれて彼らはとても喜んでいるんだ」
リックは勢いよく頷いた。
「その通りです! ティアお嬢さま。アスター領のお城でお会いした時、カッサンドラ様の生き写しで、我々はその夜、感動で泣きました! 王都では是非この屋敷にご滞在ください!」
「あ、ありがとうございます!」
真摯な眼差しを受けて、これまでフィッツロイ家を守ってきてくれた彼らの真心に胸が熱くなった。




