35.買い物
*ティア視点に戻ります
「あの、本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。手を伸ばして」
藤色のドレスに身を包んだティアは、綺麗にお化粧をして黒い髪を高い位置にお団子にしている。
町にドレスを買いに行くのだが、サイラスと一緒に馬に乗ると聞いてティアは途端に尻込みしてしまう。これまで馬に乗ったことなんてない。
しかし、既に馬上のサイラスが優しい瞳で手を差し出してくれる。
恐る恐るティアが手を伸ばした。サイラスはその手を軽く引っ張りひょいと腰に腕を回すと、あっという間にティアを持ち上げて自分の前に横座りさせた。
ティアは小柄だが人一人を軽々と持ち上げられる腕の逞しさに内心驚いた。
馬上ではすぐ近くにサイラスの胸がある。普段着のシャツ一枚だけなので筋肉の盛り上がりがはっきりとわかった。
(とても鍛えていらっしゃるんだわ)
つい感心して彼の肩や胸を見つめていたら「ん?」とサイラスに微笑みかけられた。
「すすすすみません、つい……」
ティアが赤くなって口ごもると、何故かサイラスも顔を紅潮させる。
「君は何か香水をつけているのか?」
「? いいえ? すみません。臭いますか? 朝、沐浴はしたんですが……」
「いや、甘くていい匂いだ。……すまんっ! 気持ち悪いな……?」
二人のやり取りをセドリック、タマラ、カーラはにやにやと眺めているが、リチャードとジェイクは憮然とした表情でそっぽを向いている。
「……では、行ってくる」
表情を引き締めたサイラスが馬の脇を軽く蹴った。
軽快に走り出した馬の揺れは思っていたほど激しくない。包み込むように支えてくれるサイラスの体幹は安定していて、ティアは心地よい揺れに身を任せた。
「あの、王都で国王陛下にお会いになったんですよね……?」
ティアの質問にサイラスは少し表情を強張らせた。
「ああ」
「私が王都に行くのは……国王陛下に謁見するためですか?」
直球の質問にサイラスは黙って頷いた。
「……君が嫌だったら行くことはない。でも、もし行くことを選んだのなら、俺が絶対に君を守る」
猫のような瞳を大きく見開いてティアはサイラスの目を覗きこむ。濡れた黒い瞳が光を反射して煌めいた。
「ありがとうございます。でも、国王陛下にお会いしますわ。私が王位を脅かすような存在ではないと分かって頂ければ、放っておいて頂けるかもしれませんし」
「そうか……そうだな。君は強い女性だ。あんな風に怖がらせた俺のことも許してくれた。寛容で尊敬に値する女性だよ」
「サイラス様、褒めすぎです……」
本当のことをいうと物凄く嬉しい。
真っ直ぐに褒められると、自分が価値のある存在に思えてくる。
その時、森の中を駆けている馬ががくんっと揺れた。足場が悪かったのかもしれない。
一瞬ティアの体が不安定になり、サイラスが片手で彼女の肩をぎゅっと抱いた。
「森の中は整備された道ではないからちょっと危ない。俺の背中に手を回して胸に寄りかかってくれないか?」
照れたようにサイラスが言う。
ティアはどきどきしながらも言われた通りにした。彼の逞しい胸に寄りかかると摘みたてのミントのような爽やかな匂いがする。
(これは、危ないから、仕方なく言ってくれたのよね! 勘違いしちゃ駄目よ)
頭を彼の胸に当てると彼の心臓も早鐘のように打っていることに気がついた。
どきどきしているのは自分だけじゃないと分かると何故だか頬が緩んでしまう。
森を抜けるとアスター領で最も大きいイーリーの町に到着した。
サイラスは軽やかに馬から降りると、ティアに手を差し伸べる。
両手で彼女の腰を持ち上げるようにして、大切そうに地面に降ろしてくれた。
近くの大きな酒場の裏手に馬小屋がある。
サイラスは手慣れた仕草で馬を馬小屋に繋ぐと酒場の店主に「水と飼い葉を頼む!」と声をかけて金を支払った。
「おお! サイラス様じゃないっすか、久しぶりっす。もうここには来ないと思ってましたよ」
「まぁ、色々あってな」
「奥方様もご一緒なんて、いやー、羨ましいっす! こんな若くて美人の奥方でしかも働き者で優しいんでしょ?」
隣にいたティアをまじまじと覗き込む店主にサイラスは憮然とした表情を見せた。店主の視線からティアを隠すように立つ。
「あまり見るな。恥ずかしいだろう」
サイラスの言葉にティアは思いがけなく傷ついた。
(やっぱり私が隣にいると恥ずかしいのね……)
思わず俯いて頬の傷痕に手を触れた。
からかうように片目をつぶる店主に別れを告げるとサイラスはスタスタと歩きだした。
怖気づいてしまったティアは少し距離を開けて彼の後ろを歩き始める。
「……どうかしたか?」
「いえ、なんでも」
サイラスが心配そうにティアの顔を覗き込む。
「隣にいてくれ。迷ったら大変だ。君はここに来るのは初めてなんだろう?」
彼の声音が優しすぎて目の奥が熱くなる。
サイラスは誰にでも優しい。
(本当は恥ずかしいのに……私なんかのために一緒に歩いてくれるのね)
ティアは素直にサイラスの横に並んだが、あまり顔が見えないように俯いて歩く。
「大丈夫か?」
「はい! 大丈夫です!」
明るく返事するがサイラスはまだ心配そうだ。
「ティア、俺と一緒に歩くのが嫌なら……」
「は!? どうしてですか?」
ティアが驚いて尋ねる。一緒に歩きたくないのはサイラスの方ではないのか?
「……俺なんかが君の夫だと知られるのは恥ずかしいかもしれないが」
「ま、まってください! 何をおっしゃっているのですか?」
焦るティアにサイラスがきょとんと首を傾げた。
「私と一緒に歩くのが恥ずかしいのはサイラスの方じゃありませんか?」
「は!? どうして俺が?」
「だって、さっき『見るな、恥ずかしいだろう』って……」
サイラスは真っ赤になって両手をティアの肩に置くと「違うんだっ!」と叫んだ。
「俺はっ、君が見られて恥ずかしいんじゃないかと思って……」
「私が?」
「……いや……正直言うと君をあいつに見せたくなかった。だから、見るなっていう言い訳で……その、君は可愛いから、変な男の視線に晒したくないというか……」
「か、かわいい?」
サイラスに可愛いと言われたのは二度目だ。
言われる度に足元がふわふわするというか、浮かれた気持ちになってしまう。
(勘違いしちゃダメ。サイラスは優しいだけなんだから)
ティアが頬を染めながら自分に言い聞かせている最中に大きな拍手喝采が起こった。
気がつかないうちに周囲に人だかりができている。
「公衆の面前でなにをいちゃついてるんですか~!」
「領主さまご夫妻、イーリーの町にようこそ!」
「美男美女でお似合い~!」
色んな声援が聞こえてきて、ティアはますますどうしていいか分からない。
「今日はティアの買い物に来たんだ。どうか邪魔せずに見守ってくれないか?」
サイラスが声を張りあげると再び歓声が湧きあがった。
「デートね!」
「お邪魔しませんよ~」
「ゆっくり楽しんでいってください」
口々に言いながら、三々五々散り散りに去っていった。
二人きりになるとサイラスはティアに向きなおって真剣な表情で訴えた。
「ティア、すまない。でも俺が君を恥ずかしく思うなんてあり得ない。信じてくれ」
「は、はい」
ティアは内心とても嬉しかったけど控えめに笑顔をつくった。
サイラスは真面目で優しい。
その優しさが誰に対しても向けられるものなのは分かっているが、少しでも近づきたい。特別な存在になりたい。
なんてことを考えながらサイラスの隣を歩いていたら「ここだ」とサイラスが立ち止まった。
そこにはこじんまりとした洋装店があった。




