34.会いたかった
その後、サイラスはウィルソン公爵から休暇の延長許可を得て、一つ二つ王都で用事を済ませると領地のアスター城へ戻ることにした。
「もう行くのか? 慌ただしいな。でも、奥方も寂しがっているだろうし、よろしく伝えてくれ」
見送りに来てくれたハリーがニッと笑う。
「ありがとう。わざわざ来てもらって悪いな」
「いや、いいさ。それから頼まれていたもの」
ハリーが胸のポケットから出したのはサイラスが頼んでいたテイラー男爵家に関する調査報告書だ。
「すまない。助かる」
笑顔で頭を下げるとサイラスは馬に飛び乗った。
「……むすっとした顔しか見たことなかったのになぁ」
サイラスの後ろ姿を見送りながらハリーは嬉しそうに呟いた。
馬を走らせながらサイラスの心は弾んでいた。
もう少しで城に着く。
ティアに会える。
彼女の笑顔が脳裏に浮かぶと、心臓がどきんと音を立てた。
今回は城に戻ると昨日のうちに伝えてある。
青い空を背後に映した美しい城に到着すると、城のみんなが並んで迎えてくれた。
真ん中に立つティアの真っ直ぐで艶やかな黒髪が風になびく。
(ああ、綺麗だ)
サイラスはついティアの煌めく瞳に吸いこまれそうになった。
「旦那様!お帰りなさいませ!」
セドリックの言葉に慌てて我に返る。
「あ、ああ。皆、無事だな?」
全員の顔を見回してサイラスは笑顔を向けた。
「……何事もなかったか?」
ティアに話しかけると頬が熱くなるのはどうしてだろう。
「は、はい!いつものように皆さんに良くして頂いて……カーラがずっと付き添ってくれましたから」
久しぶりにティアの鈴の鳴るような声を聞いて、サイラスは高揚感のあまり馬上でずっと考えていたことを口走ってしまった。
「明日、近くの町に一緒に行こう。君に新しいドレスを贈りたいんだ」
「「「「「えっ!?」」」」」
使用人全員が衝撃で口をあんぐりを開けた。
「なんだ?何かおかしいか?」
いち早く体勢を立て直したタマラが嬉しくて堪らないというように答えた。
「とんでもない!素晴らしいことですわ」
ティアだけが顔を青褪めさせている。
「サイラス、そんな無駄遣いは……。既に素敵なドレスを頂いていますし……着ていくところもないですし」
「いや、君を連れて王宮に行くかもしれない。もちろん、君が嫌でなければだけど……」
「なんですって!?」
ティアが驚きで絶句している間にカーラがサイラスに食ってかかった。
「王宮? そんな危険な場所にティア様を行かせられません! 旦那様、酷いです!」
カーラが涙目になる。
「いや、後でちゃんと説明するから! 俺が彼女を危険にさらすと思うか?」
サイラスが慌てて抗弁するとティアも割って入った。
「はい。まずはサイラスに城で休んで頂くのが先決です。カーラ、心配してくれてありがとう」
ティアの仲裁のおかげでサイラスは城の居室に入り、一息つくことができた。
沐浴して体を洗い、楽な服装に着替えると寝台に寝っ転がった。
はぁっと大きな溜息が出る。
とんとんとん
ノックの音がして「どうぞ!」と叫ぶと扉が静かに開いた。
「……お茶を持ってきました」
ティアの声がして、サイラスは慌てて起き上がり髪と衣服を整えた。顔が紅潮するのを抑えられない。
「ありがとう」
「いえ、どういたしまして。ハーブティーをお持ちしました。庭のハーブ園のカモミールとペパーミントのお茶です。オレンジのリキュールを少し足しました。爽やかで心が落ち着きますよ」
サイラスはティアが淹れてくれたお茶の香りを嗅いだ。
「ああ、本当にいい香りだ。ほっとする。君は俺を癒すのが上手だな」
「そ、そんなことありませんが……ありがとうございます」
嬉しそうに顔を赤らめるティアが可愛くて、思わず手を伸ばして頭を撫でたくなった。もちろん自制したが。
「リチャードが作ったビスケットも添えてありますので。それでは失礼します。ゆっくりお休みください」
会釈して部屋を出ようとしたティアをサイラスは慌てて呼び止めた。
「あ、あああの、ドレス以外に君が欲しいものはない?」
「へ!? もちろん、ありません! というよりドレスも必要ないですわ!……王都でみすぼらしいとサイラスにご迷惑がかかるかもしれませんが、頂いた藤色のドレスで十分です」
ティアが手を振って遠慮するのをサイラスが優しく押しとどめた。
「ティア、俺が、君にドレスを贈りたいんだ。君の持参金は使わない。俺の給金で何とかなりそうだから……」
「ええっ!? そんなの余計にダメです! 大事なサイラスのお給金を無駄遣いなさっては……」
「奥さんにドレスを贈りたいっていう俺の気持ちを汲んでくれないか?」
サイラスが耳元で囁くと、ティアが「ひっ!」と飛び上がった。
顔や耳だけでなく指先まで赤くすると「サイラス! お戯れはやめてください!」と叫ぶ。
「悪かった。君が可愛くて」
くすくす笑うサイラスをティアは軽く睨みつけた。
「もう! からかわないでください!」
「からかっていないよ。本当に君にドレスを贈りたいんだ。酷いことばかりしてきたから、お詫びだと思って受け取ってくれないか?」
今度は真剣な顔をして言うと、ティアが赤い顔でゆっくりと頷いた。
***
「……王都はいかがでした?」
一緒にお茶を飲んでほしいと頼むと、ティアはサイラスの向かいに座ってもじもじとお仕着せの布地を擦っている。
「ああ、収穫はあった。王宮図書館でフィッツロイ一族のことも調べてきた。君の痣のこともあとで話してあげるよ」
「まぁ、もう調べてくださったんですね。さすがです。ありがとうございます」
ティアが笑顔を見せるとサイラスの頬も赤くなり、照れたように頭を掻く。
「いや、たいしたことないさ」
「アルマさんはお元気でした?」
「ああ」
近衛騎士団の連中に怯えていた話はしない方がいいだろう。
「ティアによろしくと言っていた。君に会いたがっていたな」
「私もアルマさんにお会いしたいですわ!」
「俺も……」
不意に口をついて言葉が出てしまった。しまったと口を塞ぐがもう遅い。
「サイラスも?」
きょとんとティアが首を傾げる。
ああ、彼女はなんて可愛いんだ。
サイラスはもう自分の気持ちを否定できないと感じた。
「俺も……君に会いたかった」
そう呟くとティアの顔が完熟トマトのように真っ赤に色づいた。




