31.王宮図書館
サイラスは深い溜息をつきながら、宰相ウィルソン公爵の執務室に戻った。
扉を叩くと「は~い」と何故かオルレアン公が扉を開けて登場した。
「か、閣下、俺が開けますから!」
慌てるハリーがオルレアン公の背後から顔を出す。
「いや~、優秀な若手官吏の二人を夕食に招待したくてね。ハリーは宰相の息子だし、サイラスは新進気鋭の伯爵だ。仲良くなって損はない。今夜うちの屋敷に来ないか?」
「「は!?」」
前王弟がこれまで付き合いのなかった若輩者を何故いきなり食事に誘うのか全くわからない。
しかし、断るのは失礼だ。ハリーは既に「光栄です! 是非!」と言っているし、サイラスも同様に頭を下げた。
「ご招待頂きまして誠にありがとうございます。承知いたしました」
オルレアン公は「では後ほど」と満足そうに執務室から退出していく。
彼の背中を見送って礼をしていたサイラスとハリーは、身を起こすと顔を見合わせた。二人とも狐につままれたような顔をしている。
「ハリー、オルレアン公は何を考えておいでなのかな?」
「さぁ、でも、享楽家のオルレアン公の屋敷には一流の料理人が揃っているらしいぜ。ワインセラーもこだわりがあるから、食事とワインが素晴らしいと評判だ」
ハリーは純粋に嬉しそうだ。
サイラスは「何故いきなり?」という疑いを消すことができない。
しかし、オルレアン公が敵か味方なのかを判断するには彼をよく知る必要がある。
サイラスは覚悟を決めた。
夕方まで、まだ時間がある。サイラスにはやらなくてはならない用事があった。
「ハリー、急ぎの仕事はあるか?」
「いや、特にない。それにサイラスはまだ休暇中だろう? 働く必要はないよ」
「そうか、調べ物があって王宮の図書館に行きたいんだが……」
「構わない。俺の仕事が終わる頃にここに来てくれ。オルレアン公の屋敷には一緒に行った方がいいだろう」
サイラスはハリーに別れを告げて王宮図書館に向かった。
王宮図書館は吹き抜けの中央部分を囲む壁全面が本棚になっている。その景色は壮観だ。壁際に階段と回廊があり上の方にある本にも手が届くような造りである。
この図書館には、これまで刊行された本がすべて保存されていると聞く。
サイラスが知りたいのはフィッツロイ一族の歴史だ。
過去に異世界から転移してきたフィッツロイ一族の聖女と、それより遥か大昔の始祖の女神について調べたい。それは女神を祀る教会の歴史そのものである。
教会関係の本は重要書籍として別室に保管されていると聞いたことがある。
サイラスは本の整理をしていた司書に教会関係の本について尋ねた。
「はい、教会関連は別室ですのでご案内します。鍵が必要ですので。失礼ですがご所属とお名前をお願いできますか?」
「ウィルソン公爵付きの事務官サイラス・アスターだ」
若い司書の女性はサイラスの顔を見て顔を赤らめた。こういう反応には慣れている。
(俺の顔を見ても無反応だったのはティアくらいか)
ふっと微笑んだサイラスに司書はうっとりと瞳を瞬かせる。
「あの?」と声をかけると「申し訳ありません!」とますます彼女の顔が紅潮した。
別室の扉を鍵で開けて入室すると司書は「お手伝いできることがございましたら…」とサイラスをじっと見つめた。
「えーと、フィッツロイ一族に関する記録とか文献はあるかな?」
「ああ、もちろんそうですわね。ウィルソン公爵閣下のご依頼ですね」
「宰相閣下がフィッツロイ一族のことを?」
「はい、フィッツロイ一族の資料を集めるようにと承っております。」
サイラスは慌てて話を合わせるようにした。
「そうなんだ。閣下から文献を持ってくるように言われてね。貸出をお願いできないかな?」
「この部屋の本は本来、貸出禁止なのですが、ウィルソン公爵閣下のお仕事でしたら仕方ありませんわね」
司書はテキパキと本棚から数冊の本を取り出すとサイラスに差し出した。
「ありがとう。助かる。他に始祖の女神や聖女について詳しい文献はあるかな?」
「それでしたら……」
ぶ厚い革表紙の本を手渡された。
「始祖の女神と教会の魔法陣で召喚された聖女の系譜から近年までの歴史までかなり詳しく網羅されておりますわ」
「ありがとう。君は有能だね」
司書の顔が嬉しそうに輝いて「またいつでもいらしてくださいね」とさりげなくサイラスの腕に触れる。
慌てて貸出の手続きをすると、サイラスは本を抱えて自分の執務室に向かった。小さいが専用の執務室を与えられている。
忙しい時期には泊まりこんでソファに寝ることもある。どちらかというと自分にとって一番居心地の良い落ち着く部屋だった。
しかし、久しぶりに執務室に入るとガランと埃っぽく感じるだけだ。
領地の城は塵一つないくらい掃除が行き届いていて、温かい笑い声や美味しそうな料理の匂いがしていた。あの城に帰りたい。
城は父との辛くて暗い思い出の方が多かったはずなのに不思議だな、とふっと笑う。
ティアが全部変えてくれたんだ。明るく温かく自分を受け入れてくれるような場所に。
サイラスは机に本を置くと、早速ページをめくり始めた。メモを取りながら慎重に読み進める。
ティアの笑顔を思い浮かべながら。