30.アーサー王との対話
ハリーに案内されたのは謁見室ではなく、国王夫妻の私室にあたるサロンだった。
「失礼いたします!」
国王の侍従が開けた扉を通って中に入ると、アーサー国王と口と目の部分だけ空いた仮面をつけた王妃がゆったりとソファに座ってお茶を飲んでいた。
王妃の髪は漆黒でティアの髪の色ととてもよく似ている。
「ああ、よく来たな。サイラス。ハリー、ご苦労だった。下がっていい」
ハリーは『頑張れ!』というようにサイラスに目配せするとサロンから出ていった。
扉が閉じて、国王夫妻とサイラスだけが残される。
「まぁ、座れ。お前とはほとんど喋ったこともなかったな」
サイラスは戸惑いながらも国王夫妻と向かい合うようにソファに腰かけた。
既に彼の分のお茶も用意されている。
「ウバという珍しいお茶よ。高級で美味しいの。是非飲んでくださいな。毒なんて入っていませんから」
王妃が口を開き、サイラスの肩がビクリと揺れた。冗談が冗談に聞こえない。
「では、頂きます!」
ソーサーごと持ち上げて、カップに口をつけると確かに深みがあって美味しいお茶だ。
「それでお前の妻であるアリスティア嬢について話があるんだが……」
「ごふっ!」
いきなり本題に入られて、サイラスは思わずお茶を噴き出しそうになり咳き込んだ。
「も、もうしわけありません」
咳をしながら顔を上げるとじっと自分を見つめている王妃と目が合った。仮面の奥の瞳が黒曜石のように光っていることに驚いて、まじまじと見つめてしまう。
「ああ、珍しいか? フィッツロイ一族に伝わる瞳の色だ。特に女性が黒色の瞳を受け継ぐことが多いのは知っているだろう?」
「は、はい……もちろん、それは」
口ごもるサイラスを見ながらアーサーは溜息をついた。
「キャス、お前は遠慮してくれ。サイラスとだけ話がある」
王妃は小さく頷くと音もなくサロンから退出していった。
アーサーは彼女の背中を見送った後、残されたサイラスに視線を移動させる。
「お前は何も知らないとウィリアムは言っていたが、あいつは死ぬ前にお前に秘密を明かしたんだな? ……逆か? 秘密を明かしたから死んだのか?」
単刀直入に言われて、思わず視線が泳いでしまった。これでは認めたも当然だ。
サイラスは諦めて首を縦に振る。アーサーは長い足を組みなおした。
「それでお前はどうするつもりだ?」
「俺たちは何もしません。秘密は守ります。ですから俺たちを自由にしてください」
サイラスが真剣な顔で訴えるのを、アーサーは珍しいものでも見るかのように瞳を瞬かせた。
「お前たちが何もしないのであれば、俺は何も邪魔しない」
アーサーの言葉にサイラスは思わず立ち上がった。
「そ、それなら、なぜティアの命を狙ったのですか? わざわざ領地の城まで刺客を送るなんて!」
「は!?」
アーサーの目が丸くなった。小憎らしいくらい余裕のあった態度が初めて崩れる。
「待て。なんの話だ? 俺は刺客なんて送っていない」
サイラスは言葉を失った。
アーサーではないのか?
では誰だ?
誰が暴漢を送ったのか?
「ティアは何も知りませんでした。だからこそ、領民のために活動し目立つことをしてしまったんです。それなのに城に三人の暴漢が入りこみ、彼女を殺そうとしました。だから仕方なく俺は彼女に事情を説明せざるを得なかったんです」
「ほぉ、彼女も秘密を知っている、と」
アーサーの声が冷ややかに響く。サイラスはグッと詰まった。しかし、果敢に話を続ける。
「幸い彼女は無事で我々は暴漢を捕えましたが、翌日には全員死んでいました。怪我や毒のせいではありませんでした。突然心臓が止まってしまったかのようで……」
「三人一度に? まるで契約魔法のようだな」
サイラスは深く頷いた。
「そう思いました。契約魔法だとしたら使える人間は限られます」
アーサーはサイラスの言葉を真剣に聞いていた。
「……なるほどな。だが、俺は教会に書を返却して以来使っていない。ウィリアムから聞いたなら知っているだろう。俺はカッサンドラの家族を害することはできない。だから、アリスティア嬢に暗殺者を送るはずがない」
「し、しかし、父はリヴァイ殿下やカッサンドラ様の死も陛下の仕業ではないかと疑っていました!」
サイラスは真っ直ぐアーサーの目を見ながら、契約の文言についてウィリアムが懸念していたことを説明した。
アーサーは苦虫を嚙み潰したように顔をしかめて語りだした。
「危害を加えない、と加えさせない、か。確かにニュアンスは違う。しかし、俺が誰かに命じてもそれは危害を加える行為に当たる。俺はリヴァイにもカッサンドラにも何もしていない。リヴァイは事故死だと聞いている。カッサンドラは……よく分からない。毒殺の可能性があると報告を受けてはいるが……」
アーサーは本当に心当たりがない様子でサイラスは戸惑った。
腕を組んで考えこみながらアーサーは言葉を続ける。
「カッサンドラに毒を盛ったのはフランク・テイラーじゃないのか? リヴァイだって奴が殺してカッサンドラを手に入れたのかもしれんぞ。あの男はどうにも食えない。イヴがカッサンドラに成り代わった頃、彼女は父親のフランクには真相を話したそうだ」
「それでテイラー男爵はなんと?」
好奇心に駆られてサイラスが尋ねるとアーサーは肩をすくめた。
「何も。ただ黙って聞いていたそうだ。カッサンドラと再婚した時も報告は受けた。フィッツロイ家の知識を得たいからと説明していたな。あいつは美容関係の事業をしているだろう?」
テイラー男爵家が美容化粧品の事業で成功して金を持っているという噂は聞いたことがある。でなければ持参金で金貨百枚なんて出せなかっただろうが。
サイラスが黙っているとアーサーはぺらぺらと話し続ける。
「もっともカッサンドラは俺のことで懲りて、フィッツロイの知識を娘以外には共有しようとはしなかっただろう。あてが外れて怒ったフランクが彼女を殺したんじゃないのか?」
「それは……私にも分かりません」
サイラスは正直に言った。
「いずれにしても、アリスティア嬢が告発しようとしない限り、俺が彼女を狙う理由はない。他に彼女を狙う人間がいるんじゃないか?」
「……考えてみます」
「それで俺はお前とアリスティア嬢にも契約魔法を結んでもらいたいんだが……」
当然のことのように宣うアーサーに、サイラスの顔はさっと青褪めた。
「俺たちは秘密を漏らすつもりはない。ティアもずっと平民と信じて生きてきたんだ。今更王位なんて望みはしない。契約魔法は必要ないでしょう」
血相を変えて言いつのるサイラスに、アーサーは考えこんだ。
「彼女はテイラー男爵家で使用人以下の惨めな生活を送っていたそうだな。食べ物も与えられず、鞭で打たれ虐待されていたそうだ。王位を狙えるような立場だと思うはずもない……か?」
サイラスは拳をぎゅっと握りしめた。彼女が味わってきた苦しみを思うと怒りで胃がひっくり返りそうだ。彼女にはこれ以上辛い思いをして欲しくない。
「ティアは王位を狙うとか、秘密を暴露するとか、考えもしないでしょう。俺も彼女を守ることが最優先です。陛下に不利なことはしないと誓います」
真剣な顔で必死に訴えるサイラスを見て、アーサーは頷いた。
「この二十年、イヴがカッサンドラではないと疑う者はいなかった。仮面を被っているとはいえ瞳の色は黒いし、髪も黒いウィッグで代用できる。背格好は元々似ていたからな」
サイラスは最初に見た時から感じていた疑問を尋ねてみた。
「あの黒色の瞳はどういうことですか?」
「カッサンドラは役に立つ知識を多く持っていた。お人好しで婚約者だった俺には何でも教えてくれた。特殊な植物の透明な粘液に色をつけて表面に貼ると目の色を変えられるんだ。目にも無害だ」
「カッサンドラ様の知識や財産を奪っただけでなく、通常の税に加えて父上から金貨百枚を毎年上納させるとは少々欲が過ぎたんじゃありませんか?」
あまりに腹が立って思わず本音が出てしまった。
アーサーは一瞬ムッとしたように眉間にしわを寄せたが、すぐに口角を上げてサイラスを嘲笑う。
「人心を掌握するには金が必要なんだよ。おかげで衛兵や近衛騎士団も俺の言いなりになった。もっとも今は国王としての権威だけで十分だ。万が一お前が秘密を暴露しようと信じる者はいないだろう。俺の地位は安泰だ」
「だったら、余計に俺やティアが契約魔法を結ぶ必要なんてないじゃないですか!」
アーサーは不機嫌そうにサイラスを睨みつけた。
「懸念はある。アリスティア嬢はカッサンドラの生き写しだ。今でもカッサンドラを覚えている人間はいる。彼女だけでも説得して契約魔法を結ばせれば安心できるんだがな」
「お断りします!」
サイラスがきっぱりと断言した。
アーサーの目が困惑の色を帯びてくる。サイラスがこんなに頑なだとは予想していなかったのかもしれない。
「……分かった。では、彼女に会わせてくれ。直接会って野心がないと納得できれば、契約魔法を結ばずともお前たちを放っておいてやる」
「お断りします! こんな危険な王宮にティアを連れてこられるはずがない」
「さっきも言ったろう。俺は彼女に危害を加えられない。俺が納得すれば二度と彼女には近づかない。髪と瞳の色は変えてもらうかもしれないが自由な人生を送ることができる。悪くない話だろう?」
サイラスは忙しく脳を働かせた。
彼女の身の安全が保証され、今後の自由が手に入るとすれば確かに悪くないかもしれない。
「本当ですね? ……分かりました。ティアに聞いてみます。しかし、彼女が嫌がったらお断りしますからね」
大胆にもサイラスはアーサーを睨みつけて言い切った。