29.王都にて
*サイラス視点です
サイラスは愛馬を走らせて王都への道のりを急いでいた。
父ウィリアムが亡くなって以来、思いがけないことばかりが起こる。
一番の驚きはもちろんティアのことだ。
ウィリアムが秘密を打ち明けてくれるまで深い事情は分からなかったが、彼女との婚姻が相続の条件になっていることは知っていた。
いずれ別れることが前提だったので『面倒くさいな』という感想以外は特になかった。
しかし、初めてティアと会った時、彼女の黒い瞳を見た瞬間に心を鷲掴みにされて引き込まれるような感覚を味わった。
気のせいだ。忘れろ。
彼女はいずれいなくなる。
自分との関わりなどないまま自由になった方がいい。
……そう思っていた、はずなのに。
もっと彼女のことが知りたい。
彼女の笑顔が見たい。
そう思ってしまう自分に何よりも驚いていた。
サイラスは独身の伯爵で容姿にも恵まれていたが婚約者がいない。
経済的に余裕のない極貧伯爵家でも彼と結婚したいと望む貴族令嬢は多かったのだが、生前ウィリアムは縁談を全て断っていた。
サイラスはブラウン男爵家にいた頃、そこの娘たちに酷い目に遭わされ貴族令嬢に良い思い出がない。だから、面倒がなくて助かると感謝していたくらいだった。
ティアとの婚姻に抵抗はなかった。形だけの結婚だし、いずれ彼女はいなくなる。
その後は自分もウィリアムのように一生独身を貫くのだと漠然と感じていた。
それなのに、ティアが城にいたいと言ってくれたことが嬉しくて堪らない。
自分の心の動きに困惑する。こんな気持ちは初めてだ。
高鳴る胸を鎮めるように馬を駆る。早く王都に帰り用事を済ませば、早く領地の城に帰ることができる。
またティアに会うことができる。
ティアの笑顔を思い浮かべると胸が痛くなるくらいに激しく鼓動を刻んだ。
*****
王都の屋敷に戻ると侍女のアルマが出迎えてくれた。
しかし、彼女の顔色が悪い。
「なにかあったのか?」
「あ、あの、旦那様の留守中に王宮から近衛騎士団の方々がいらして……」
彼女の声も震えている。
サイラスは彼女を椅子に座らせてお茶を淹れると飲むように勧めた。
「旦那様、申し訳ございません。私の仕事ですのに……」
「いや、そんなことはいい。嫌な目に遭ったのではないか?」
できるだけ優しく尋ねると、アルマはコクリと頷いた。
「旦那様がお戻りになったらすぐに王宮にくるようにとのお達しでした。国王陛下からお話があると。近衛騎士団のホワイト団長もいらして…高圧的な物言いをされる方々でしたわ」
「近衛騎士団の団長がわざわざ?」
サイラスの眉間にしわが寄る。嫌な予感がするが呼び出しがあったら行くしかない。
簡単に沐浴を済ませ髭を剃ると、礼服に着替えて鏡を覗き込んだ。
(……ティアのドレス姿は妖精のように可愛かった。でも、結婚式をしなかったからお互いの礼装姿を見たことがないな)
今からでも正式な結婚式を挙げるべきではないかと鏡の中の自分に問いかける。
「旦那様?」
不意に後ろから声をかけられて、ドキッとして振り返るとアルマがにこやかに立っていた。
「あ、ああ、支度はできた。馬車は?」
「はい。手配しました。あと五分ほどで到着する予定です」
「助かる。ありがとう」
王都の屋敷には馬車もないし御者もいない。普段は馬で王宮に通っているが、領地からずっと駆け続けだった愛馬にこれ以上負担はかけたくない。アルマが知り合いに馬車の手配を依頼できて助かった。
「それにしても旦那様。領地のお城で何かございましたか? ティア様と?」
首を傾げるアルマに核心をつく質問をされてサイラスは焦った。
「な、なななにかって?」
「いえ、雰囲気がとても柔らかくなられて。やはり奥様とお会いになると違いますわね。ティア様はとても良い方でしたし……」
「そ、そそそんなことはないが。あ、馬車がっ、来るかもしれないから俺はこれで!見送りは結構だ!」
あたふたと支度をして出ていくサイラスを見送りながらアルマは「あんなお顔見たことなかったですわ」と微笑んだ。
***
馬車が王宮に到着すると、門のところで警護の騎士に呼び止められ「訪問の目的は?」と尋ねられた。
サイラスが馬車の小窓から顔を見せると、騎士が慌てて敬礼する。
「アスター伯爵閣下、失礼いたしました。どうぞお通りください」
いつもは騎馬だし、見慣れない馬車だから不審に思われたのだろう。
サイラスはまず上官である宰相のウィルソン公爵に挨拶しにいった。
父ウィリアムは王宮で冷遇されていたが、サイラスは幸いウィルソン公爵に気に入られ、彼の事務官として働いている。
宰相の執務室の扉をノックすると「はい! どうぞ」という声がした。
扉を開けるとウィルソン公爵の次男ハリーが笑顔で迎えてくれた。彼も事務官を務めている。ウィルソン公爵は留守のようだ。
「サイラス! どうしたんだ? いつ領地から戻ってきた? 緊急の用件は無事に済んだのか?」
無邪気な笑顔で質問を連発されたが、これはハリーの通常運転だ。
「今朝、屋敷に帰ってきた。留守中に近衛騎士団のホワイト団長がわざわざ屋敷に来たそうだ。戻ったらすぐに王宮に来いと伝言されていてね」
ハリーが目を丸くした。
「ホワイト団長!? え、本人が直々に? なんで? 君の屋敷まで?」
「国王陛下からお話があるらしいんだ」
「は? おい……サイラス、お前、大丈夫か?」
ハリーの顔が曇った。面倒見の良いハリーには仕事を始めた時からずっと世話になっている。
「大丈夫だ。ただ、こういう時はどういう手続きが必要なんだろうか? ホワイト団長に会いに行くべきかな? 最初に宰相閣下に許可を得るべきか?」
「いや……あいにく父上は出張中なんだ。どんな内容の話なのか心当たりはあるのか?」
「ない」
サイラスは間髪入れずに答えた。ティアに関する話ではないかと予想してはいたが、守らなければならない秘密である。軽々しく口にはできない。
「そうか、ちょっと待っててくれ。ちょうど国王陛下は新しい法案について会議の最中だが合間を見てお伺いを立ててくるよ」
そう言ってハリーは執務室から出ていった。ソファに崩れるように座り込んだサイラスはふぅっと大きな息を吐いた。
とんとん
ノックの音がしてすぐに扉が開いた。
「すみません、宰相閣下はご出張中で……」
サイラスは言いかけて、相手の顔を見て言葉を止めた。
現国王の叔父であるヒュー・オルレアン公がにこにこと手を振っていたからだ。
これまでほとんど口をきいたこともなかったのに、いきなりの親しげな様子にサイラスは戸惑った。
「やぁ、君がアスター伯爵だね。サイラスと呼んでいいかい?」
「はい。もちろんです。よろしくお願いします」
笑顔で握手をしながらも、サイラスは警戒心を解くことができない。
ヒュー・オルレアン公は前国王の弟である。
容姿端麗で若い頃から女性関係が非常に派手らしい。
独身なので誰からも文句を言われる筋合いはないのだが、とっかえひっかえ違う女性と寄り添って行事に登場する王弟は昔から注目の的であった。
結婚はしていないが自邸に複数の愛人を住まわせているとの噂もある。
事務官として仕事に邁進していたサイラスとは接点がなかったので、いきなり親しげにされても困惑するばかりだ。
しかし……とサイラスは考えた。
彼はティアの秘密、つまり甥である現国王と王妃の秘密を知っているのだろうか?
ティアが言っていたことを思い出す。
前の国王は秘密を漏らしたために契約違反で亡くなった可能性が高い。ということは国王の死の直前に秘密を知った人間が王宮内にいるのかもしれない。
それがオルレアン公の可能性はあるのか?
ティアの危機を察知して城へ戻るよう警告したのは彼の手の者だったのか?
彼は面白そうにサイラスを見つめている。
「あの? なにか私にご用件でもおありでしょうか?」
サイラスは腹の探り合いは苦手だ。直球勝負が一番やりやすい。
オルレアン公は戸惑ったように目をぱちぱちさせながら頭を掻いた。
「アーサーとキャスが君の奥方のことを話しているのを偶然聞いたんだよ。アスター伯爵領といったら税率が高くて先代のウィリアムは不人気だったろう? 君が後を継いで無税にした上に、奥方も領民たちからも大人気だそうじゃないか。名君と良妻だと」
キャスというのはカッサンドラの愛称だ。
こんなところまで噂が広まっているのかとサイラスは舌打ちしたくなった。
ティアは悪くない。ただ、噂が宮廷全体に広まっているのは明らかだ。
刺客を送った人間を特定するのはますます難しいと絶望的な気持ちになる。
「いや、大袈裟に話が作られていますね。父上からは領民を大切にするよう言われていただけですし、妻もそんなに大したことはしていません」
オルレアン公の目が鋭く光った、ように見えた。
「へぇ、領民を大切にしろと言ったウィリアム本人が我が国史上最高に税率を上げて、領民を苦しめていたことはどう思うんだい?」
サイラスはぐっと言葉に詰まった。
アーサー王への金貨百枚は公けにはなっていない。
質素な生活をして、晩年は領地の城にこもりっきりだったウィリアムが何故そんなに金が必要だったのかを説明するわけにはいかない。
何と答えようか迷っている時にバタンと扉を開けてハリーが息せき切って戻ってきた。
「サイラス、今から国王陛下がお目通りくださるそうだ。俺についてこい!」
「大変申し訳ございません。急ぎのため失礼させていただきます」
サイラスはオルレアン公に頭を下げて執務室を後にした。