26.ともだち
「それで……初めて会った時の俺の態度は最低だった。酷いことを言って申し訳なかった」
真面目な顔でサイラスは頭を下げる。
ティアは初夜の時の彼の言葉を思い出した。
『俺が君を愛することは一生ない』
「い、いえ、とんでもないですわ! 好きでもない私と結婚なんて、本当にサイラス様がお気の毒で……」
サイラスは頭を掻きながら頬を赤らめた。
「父上から絶対に君と恋愛関係になってはいけないと言われていた。いずれ別れることは確定だったし、君が伯爵夫人として表に出るのも危険だから……。いや、言い訳だな。本当にすまなかった」
「あ、あやまらないでください」
事情は分かった。彼が悪かったわけではないとティアも納得できる。
「それに、俺はこれまで女性に言い寄られることが多くて、異常に警戒してしまったというか……自意識過剰だったというか、恥ずかしいな、何言ってんだ。俺……」
サイラスの顔はますます赤くなる。ティアは励ますように拳を握って言いつのった。
「そりゃそうですわ! サイラス様はとても美形でいらっしゃるから女性が寄ってきて大変だったでしょう? 私がサイラス様に惹かれないようにとわざと冷たい態度をとったのは当然のことですわ!」
「美形? お、おれが?」
サイラスの顔と耳の赤みがどんどん増していく。よく見ると指先まで赤くなっている。
八歳も年上の大人の男性なのに不思議と可愛いと思ってしまい、ティアはくすっと笑った。
そんなティアを好ましげに見ていたサイラスはふと思いついたように言った。
「……ところで、その……俺達……と、友達にならないか?」
「はい?」
ティアが戸惑った顔で首を傾げると、サイラスは首の後ろを擦りながら視線をそらす。まだ耳が赤い。
「本当なら君は何も知らないまま自由に生きるはずだったんだ……でも、君も秘密を知ってしまった。えーと、夫婦で居続けた方が安全、というか、都合が良い場合があるかもしれない。俺なんかと一緒にいたくはないかもしれないけど、何があっても俺が君を守るから……そう、友達として君を守る! だから、どうかな?」
(ともだち、か……サイラス様は私のために言ってくださっているのよね。私もサイラス様と仲良くなりたいし……な、なかよくって……変な意味じゃないけど)
サイラスの突然の言葉にティアも妙に照れくさくなってしまう。
「あの、喜んで……って言ったら変かもしれませんが、サイラス様さえ嫌でなければ、夫婦で居させて頂けたら嬉しいです。ありがとうございます」
恥ずかしくて頬が熱くなった。サイラスの子犬のような瞳が輝く。
「俺も……正直いうと嬉しい。でも、いいのか? 本当に俺で?」
サイラスの背後にぶんぶんと揺れる尻尾が見えた気がした。
「はい……」
もじもじしながら俯くティアに、照れて頭を掻くサイラス。
「じゃ、じゃあ、友達だったら、俺のことも呼び捨てにしてくれないか?」
「え、それはあまりに恐れ多いですわ!」
「いや、だってリチャードやジェイクは呼び捨てじゃないか」
拗ねて唇を尖らせるサイラスをみて、ティアは思わず噴き出してしまった。
「ふふっ、分かりました。えと……サイラス」
小さな声で囁くように呟くとサイラスが悶えながら拳を握りしめた。
「よしっ!」
なぜかその拳を天に向けて突き上げる。
理由は不明だが、喜んでいるようなのでティアは照れながらもひとまず安心した。
「それで、あの、夕べの暴漢ですが、私がここで目立ってしまったせいで狙われたんですよね……本当に申し訳ありません」
「いや、謝らないでくれ。君は何も知らなかったんだ。それにしても俺が戻ってきて良かった」
「あ、そうです。王都に向かっていらっしゃったのに、どうして戻ってこられたんですか?」
サイラスは腕を組んで首をひねった。
「王都に帰る途中、宿場町で休憩をとったんだ。その時に知らない男が近づいてきて『奥方が危険だ。城に戻った方がいい』って」
「え!?どんな方だったんですか?」
「普通の男だった、と思う。どっちかというと小柄な方、かな? 金髪碧眼で育ちが良さそうな印象だったが……服装は平民だったが、実は貴族なのかもしれない」
ティアは考え込んだ。金髪碧眼なんてこの国では最も一般的と言える。生まれ育ったテイラー男爵家でも自分以外は全員金髪碧眼だったし、タマラとカーラだってそうだ。
「それで君のことが心配ですぐに戻ってきたんだ」
「私のことが心配で?」
ティアがきょとんと首を傾げると、サイラスの瞳が優しく弧を描く。その瞳に甘さが宿っている気がして、ティアの心臓がどきどきと高鳴った。
「ああ、君は不思議な人だ。アルマも絶賛していたし、城のみんなも君を慕っている。あのジェイクまで君を庇うというのは異常事態だよ。彼は植物にしか興味のない人間だと思っていた」
「そ、そんな……皆さんがいい方だから、です」
「俺も君のことをいい人だと思う。だから、君と仲良くなりたい」
頬を人差し指で搔きながら照れくさそうにサイラスは言った。ティアの頬がカーっと熱くなる。
「私もサイラス、と仲良くなりたい、です」
ティアが俯くと、しばらくの沈黙があった。でも決して居心地が悪いものではない。
ちらっと彼の顔を見つめると、サイラスも頬を赤く染めていた。
彼の切れ長の蒼い瞳がティアの目を見返すと、形の良い薄い唇の口角が上がった。
端整な顔立ちと美しすぎる微笑みにティアの鼓動はますます速く激しくなる。
しかし、見惚れている場合ではない、とティアは我に返った。
色々なことがありすぎて、情報処理が追いつかないが、整理しなくてはならないことが山積みだ。
「あ、あの、宿場町でサイラスに戻るように伝えた方は私たちの味方だと思いますか?」
「そうだと願いたいが……」
「先ほどのお話で、私、気になったことがあるんです」
ウィリアムは死を覚悟してサイラスに秘密を語り、その後に亡くなった。
話の中で、アーサーの父であった当時の国王も秘密を漏らしたために亡くなったのではないか、とウィリアムは推測していた。
つまり国王は信用する誰かに秘密を打ち明けた後、亡くなった可能性があるのではないか。
そして、打ち明けられた方は今も生きているのではないか?
その場合、その人物は王宮にいる人物で、息をひそめて秘密を守っているが、真相を知り、自分たちの味方をしてくれようとしているのではないか?
ティアが思ったことを吐き出すと、サイラスは顎を撫でながら「ふむ」と考え込んだ。
「それはあり得るかもしれないな。少なくとも父は俺に秘密を明かして話し終わるまでは死ななかった。前の国王陛下は秘密を漏らしたせいで亡くなったと父は信じていたし、漏らされた方が今も密かに王宮に勤めている可能性は否定できない、か」
「そうですわ。もしかしたら、その方が私に刺客を差し向けられると知って、警告に来てくださったかもしれません」
サイラスはまだ半信半疑の表情だが、一応頷いた。
「王宮に協力者がいれば有難い存在だ。それで君の安全が確保できたら、将来的に君を自由にすることもできる」
「……自由にする?」
ティアが戸惑ったように尋ねる。
「今すぐは無理でも、いつか城を出て自由に生きていくことができるかもしれない。もちろん、護衛はつけるし君の生活が立ちゆくまで支援もする。そうすれば……」
サイラスはぎょっとして固まった。ティアの瞳に大粒の涙が盛り上がり、ぽろぽろと頬を伝って流れていく。
「っ、ひくっ……わ、わたしはもう城にいない方が……いいですか?や、やっかいものですものね……」
「そ、そんなはずないだろう!ただ、君の母君の願いは……」
「私はっ、ずっとお城にいたいです! みんなで一緒に暮らしたいです! もう目立つようなことはしません。ダメですか?」
必死の懇願にサイラスも混乱しているようだ。
「いや、それは……落ち着いてくれ。俺は君の希望を叶えたい。二人で考えよう。今は、その、まだ決めなくていい。他のみんなも心配しているから、みんなのところに戻ろう。いいかい?」
優しく諭されて、泣いてしまった自分が恥ずかしくなった。
サイラスが立ち上がって手を差し伸べてくれる。どきどきしながら彼の手に自分の指をのせた。
彼にエスコートされて階段を降りながら、ティアは『何か言い忘れていることがある気がする』と考え込んでいた。