17.ドレス
翌朝、ティアが厨房に降りていくとリチャードが朝食の支度をしていた。
「おはよう! 今日は何を手伝ったらいい?」
お仕着せの上にエプロンを着けながら言うと彼は複雑そうな笑顔を浮かべた。
「ティア、今朝は俺が一人で調理するから大丈夫。君はドレスに着替えて旦那様と一緒に朝食を食べてきなよ」
「え? ドレス?」
その時、大きな声が聞こえた。
「やっぱりここにいらした!」
息を切らしたタマラとカーラが厨房に駆けこんできた。
訳も分からず彼女たちに手を引かれて自分の部屋に戻る。
扉を開けると鏡の前に淡い藤色の美しいドレスがかけられているのが目に入った。
「これは……?」
「旦那様にはティア様に新しいドレスをお贈りするようお願いしていました。それを覚えていたので、今回は許してあげようと思います。まったくティア様を疑うなんて信じられないですが……今朝、新しいドレスが届きました。旦那様が手配されていたそうです」
タマラが鼻息も荒くまくしたてる。
夕べはお仕着せのままサイラスとの夕食の席についていたティアは、着替えることなどまるで頭になかった。
「もちろん、ティアはなにも悪くないわ。私も旦那様に腹が立っちゃって、こんな奴のためにティアを着飾らせるなんて、って夕べは思っちゃったけど、このドレス、すごく綺麗だから似合うと思う……どうかしら?」
カーラが躊躇いながらも嬉しそうにドレスを指さした。
ティアは初夜のことを思い出した。
『俺が君を愛することは一生ない』
これは確かだ。
だから、彼のために着飾ろうとか、可愛く見せたいとかそういうのは無駄な努力だと分かっている。
それでもレースをふんだんに使った上品なドレスを見ると心が躍る。
テイラー男爵家が用意したけばけばしい黄色いドレスよりもきっと良く似合うだろう。
藤色のドレスに腕を通すと寸法もぴったり合う。上品なストレートラインの裾には繊細な刺繍が施されていて、動く度にそれが揺れるのが目にも楽しい。
カーラが手慣れた仕草で髪をアップにしてくれる。最近は栄養状態が良いのとカーラが肌や髪の手入れをしてくれるので、肌は潤いと張りを取り戻し、髪もつやつやと輝いている。
軽く化粧をしてもらい鏡を覗き込むと「これは私?」と思うほどのレディがそこにはいた。醜い頬の傷痕も化粧で隠しているせいかあまり気にならない。
「旦那様は、ティア様に謝罪したと仰っていましたが本当ですか?」
心配そうなタマラの質問にティアはコクコクと頷いた。
誠実に謝ってもらった。これ以上彼が責められたら気の毒だ。
「昨晩は、夕食の時もその後のお茶の時もいい雰囲気でしたよね」
カーラが弾むように言う。
「そ、そんないい雰囲気なんて……」
ティアが恥ずかしそうに俯くと「ああ、ティア可愛すぎ!」とカーラが抱きついてきた。
タマラにたしなめられて、すぐに離れるがティアと目が合うとバチっと片目をつぶる。
(なんだか変に意識してしまうと困るわ。私は妻として受け入れられているわけではないし)
タマラに先導されながら朝食の場所に向かう。
扉の前にセドリックが立っていて「おや、なんと美しいレディでしょう。旦那様は果報者ですね」と穏やかに微笑んだ。
「ありがとう、セドリック」
社交辞令だと分かってはいるが嬉しいし、御礼はちゃんと言わなければ。
セドリックは恭しく礼をしながら扉を開けた。
ティアが中に入るとサイラスは既にテーブルについている。
顔を上げてティアと目が合うとぼっと音が出そうなくらい唐突に顔が真っ赤に染まった。
「ど、どうなさいました? サイラス様?」
名前を呼ぶと何故か余計に挙動が不審になる。
「い、いや……その、なんでもない。ど、ドレスはどうだ?」
「はい、大変美しいドレスで嬉しいです。本当にありがとうございます」
好きでもない女にドレスを贈らせて申し訳ないと罪悪感で胸がちくちくしたが、綺麗にお辞儀をしてみせる。
「そ、そうか。それは良かった。座ってくれ」
促されるままに席につくと、タマラが冷たい飲み物を注いでくれた。
ティアは冷やしたルイボスティにレモンを絞った飲み物が好きだ。厨房でも毎朝飲んでいる。それを用意してくれたタマラに感謝の気持ちを込めて微笑みかけた。
誇らしげなタマラはサイラスに向かって「旦那様もティア様と同じものをお飲みになりますか?」と尋ねた。
「あ、ああ。頼む」
何故か狼狽えてきょろきょろと視線が定まらないサイラスの顔をティアは真っ直ぐに見つめて尋ねた。
「サイラス様、大丈夫ですか? 何かありました? ご気分でも悪いのですか?」
「いいいいいや、なんでもない」
そう言いながらティアの方を見ようとしないサイラスに不安を覚えた。
(夕べ何か変なことを言ってしまって、ますます嫌われてしまったのかしら?)
なんだか悲しくなってきた。
それを見ていたタマラがはぁっと呆れたように溜息をついた。
「旦那様、ティア様は新しいドレスをまとっていらっしゃるんですよ? 奥様に対して何か仰ることはないのですか?」
サイラスの顔の赤みが増した。ティアは病気ではないかと心配になる。
「そ、そそそうだな。ティア、とてもよく似合っている。か、かかかかかわいいよ」
「ありがとうございます。それよりもサイラス様、体調が良くないのであれば部屋でお休みになっていた方がよろしいのではありませんか?」
部屋の隅に控えていたセドリックがくすっと噴き出した。
タマラも「まったく……」と苦笑いだ。
「いや、俺は元気だ。さあ、朝食をたべよう」
かくして二人でリチャードが腕をふるった朝食を有難く頂いた。
とても美味しかった。