16.会話
食事の後、ティアとサイラスはサロンで食後のお茶を飲むことにした。
タマラとカーラはお茶の支度をしながら心配そうに目配せをするが、ティアが『大丈夫』と言うように笑顔で頷くと無言で部屋から退出した。
「さて、君の話を聞かせてもらおうか?」
サロンのソファに落ち着くとサイラスはティアに話を促した。
幼い頃に父が亡くなったこと、母と再婚したテイラー男爵は母が亡くなった後はティアを離れに閉じ込めて誰とも接触させず放置してきたこと、食べ物ももらえなかったこと、鞭で打たれることもあったこと、などを簡潔に伝えた。
サイラスはずっと眉間にしわを寄せて黙って聞いていた。喋り終わるとティアは冷たくなった紅茶を一気に飲み干す。
「君は、大変な苦労をしてきたんだな。……まさかそんな酷い状態になっているとは知らなかった。すまない」
頭を下げられてティアは戸惑った。
「そ、そんな旦那様のせいでは全くありませんから!」
「いや、もっと早く知っていたら……。テイラー男爵家が大切な令嬢にそんな非人道的な振る舞いをするなんて想像もしていなかった」
「無理もありません。私の母は平民でしたし、平民の連れ子なんて厄介者でしかなかったでしょう」
サイラスの目が大きく見開かれた。
「そうか……君は……」
言葉に詰まった後、サイラスはティアを真っ直ぐに見つめた。
「……陰謀なんて言いがかりをつけて本当にすまなかった」
首の後ろを手で擦った後、額がテーブルにつくくらい頭を下げる。
「え、いいえ、とんでもありませんわ。お気になさらないでください。私はここに住むことができてとても幸せなんです」
「そうか、それは良かった」
優しく微笑むサイラスの眼差しを受け止めきれずティアは俯いた。
(美形の笑みの破壊力たるや……)
ティアの内心の想いには気づかず、サイラスが真面目に顔になった。
「君はあまり目立たない方がいい、と思うんだ。この城は警備兵も騎士もいないし、気をつけないと。そうだな、腕っぷしの強い護衛を雇おうか」
そんな必要ないと主張するがサイラスは聞く耳を持たない。
「君のことが心配だから」と言われてティアの顔は完熟トマトのように真っ赤になった。
「気にするな。君のおかげで城の塗り替えをしてもまだ予算には余裕がある。それよりも城が信じられないくらい明るく美しくなった。びっくりしたよ。ありがとう」
「え、いえ、私は何も……」
突然サイラスの態度が変わりティアは戸惑うばかりだ。男性に優しくされた経験はこれまでにない。
「……実は俺は先代が苦手でね。父として尊敬していたが、いつも叱られていたし今でも不出来な息子だと思われている気がしてならない」
「そ、そんなことないと思います。無税にして領民の生活を守ろうとするなんて、素晴らしいことだと思いますわ。領民の方々も旦那様のことを褒めていらっしゃいました」
サイラスの表情が明るくなる。
「君が正面玄関の父上の肖像画を外してくれたんだって? 城に入る度にまた叱られているような気がして嫌だったんだ。今は美しい花畑の絵画で、城に入った瞬間に気持ちが明るくなった。同じ城とは思えないほど変わったよ。ありがとう」
「い、いえ。城の皆さんが協力してくださいました。私はこの城が大好きです。少しでもここで役に立ちたいと思っています」
美青年の優しい視線には慣れていない。
ティアはお仕着せのしわを伸ばすようにもじもじと指を動かした。
「そうか、それは嬉しいな。それより……旦那様じゃなくて名前で呼んでくれないか? カーラたちは名前で呼び捨てなんだろう?」
「えっと、その、よろしいのですか? セドリックとタマラはけじめが重要だと様付けで呼んでいますが、年の近い方たちは私が望むなら、と認めてくれました。旦那様と呼ぶのもけじめだと思うので……」
「いや、俺は君の夫だ。けじめというなら名前で呼ぶべきじゃないか?」
なぜか切実そうな視線を受けて、ティアはおずおずと頷いた。
「では、恐れ多いですが、サイラス様……?」
サイラスは「くぅっ」と呻き声をあげて、両手で顔を隠した。首筋が紅潮している。
「あ、あの、サイラス様、大丈夫ですか?」
「だ、だいじょうぶだ。思いがけない威力があってな」
嬉しそうに笑いかけるサイラスの顔は赤い。何故かティアも頬が熱くなった。
「俺もティアと呼んでいいか?」
「もちろんですっ!」
勢いよく返事をしたティアに、サイラスは甘い眼差しを投げかける。
変に緊張してしまったのと、沈黙が怖くてティアは自分が何を言っているのかもよく分からないまま口を開いた。
「えと、あの、先代の旦那様は正直、自分勝手な方だと思います。苦手で当然ですわ。遺言で結婚相手を勝手に決めるなんて酷い話ですもの。私のような者と関わり合いたくないと思われて当然です。ですから私と仲良くなろうなんてご無理なさらずとも結構ですのよ?」
ティアの言葉にサイラスは気まずそうにこめかみをポリポリと掻いた。
「……初めて会った時の俺の発言は酷かった。すまなかったな。それに無理して仲良くなろうとしているわけじゃない。君の生い立ちを聞いて、なんというか……共感したんだ。俺もそんなに幸せな境遇ではなかったから……」
そう言って彼は自分の生い立ちを話してくれた。
サイラスの母は、先代アスター伯爵ウィリアムの従姉であった。
彼女はブラン男爵の次男と結婚したが、男爵家は長兄が継いだので、サイラスの父親は貴族と言っても爵位はなく豊かな生活はできなかった。しかも、サイラスが産まれて間もなく二人は事故で亡くなったという。
サイラスは伯父であるブラン男爵に引き取られたが、子沢山の家庭で彼はずっと邪魔者扱いされていた。
ブラン男爵は領地が小さかったので元々ゆとりのある生活をしていたわけではない。子供が増えることは負担でしかなかった。
自然と家族だけでなく使用人からも厄介者扱いされるのが当たり前になっていった。
ずっと居場所がなく、肩身の狭い思いをしていたサイラスが十歳の頃、アスター伯爵家への養子の話が持ち上がった。
今から十五年ほど前の話である。当時のアスター伯爵家は貴族社会で孤立していた。
ウィリアム・アスターはリヴァイ第二王子の派閥筆頭であった。
二十年前にアーサー王太子がフィッツロイ公爵令嬢と結婚し王位を継いだ後、自然と派閥は解体した。
アーサー新国王が、ライバルのリヴァイ派であり陰謀の噂まであったアスター家を優遇するはずがない。
しかもリヴァイ第二王子は留学先で事故死した。ウィリアムはその後、領地の城に引きこもり、隠居同然の暮らしをすることになる。
養子の話が出た頃は国王の即位から既に五年ほど経過していた。アスター伯爵の評判は地に落ちていたと言っていい。
したがって、ブラン男爵家も当初サイラスを養子に出すことを躊躇していた。
だが、ウィリアムが大金を払い、今後は一切の関係を断つと断言して、サイラスの養子縁組が成立したのである。
ブラン男爵家と縁が切れてサイラスは喜んだが、アスター伯爵家でも自分の居場所を見つけることはできなかった。
「父上はとても厳しくて、俺はいつもびくびくしていたよ」
冗談っぽく言うがサイラスの瞳は暗い。養子になった後も苦労が絶えなかったのだろうとティアは思った。
「遺言書に俺の結婚相手が書かれていることは、実は知っていたんだ」
「ええっ!? そうなんですか? それで反発しなかったんですか?」
サイラスは皮肉めいた笑みを浮かべた。
「……俺は父上の道具にすぎなかったからな。道具に感情なんて必要ない」
唇をゆがめて吐き捨てるように言うサイラスを見て、ティアの胸はずきりと痛んだ。