12.誤解
*サイラス視点です。少し話が戻ります。
「おい、サイラス、お前の奥方は領民の間でエライ人気なんだってな?」
「は!?」
同僚のハリーから突然声をかけられて、サイラスはビクッと肩を揺らした。
セドリックの報告には城の使用人とうまくやっているとは書いてあったが、領民からの人気まで高いとは知らなかった。
「……俺は聞いていない」
ぶっきらぼうに言うとハリーはぷっと噴き出した。
「おいおい! 新婚の奥方のことだぞ? 新妻と離れて王都で独り仕事なんて寂しくないのか?」
「……いわば政略結婚みたいなものだ。寂しいとかそういうのはあるはずがない」
「へぇ」
ハリーは呆れたように溜息をついた。
「まぁ、テイラー男爵家と付き合いたい貴族はあまりいないしな。お前も嫌々ながらだったんだろうが……令嬢方に大人気のお前が結婚した時は大騒ぎだった」
「興味ない。それより俺の領地で彼女が人気というのはどういうことだ?」
サイラスの顔があからさまに不安そうに歪んでいる。眉間の皺も深い。
ハリーは意外そうに目を見開いた。朴念仁で何に対しても無関心のサイラスが奥方に興味を示したのが珍しいのだろう。
「ああ、父上……あ、いや、宰相閣下が国王陛下に提出する報告書に、アスター伯爵領の新しい領主夫人の情報も含まれていたんだ」
ハリーは宰相ウィルソン公爵の次男である。ハリーとサイラスは宰相の下で働く事務官だ。
「そうか……国王陛下に……」
サイラスは立ち上がると、そのまま上司であるウィルソン公爵のもとに直行し休暇の申請をだした。
そして休暇が許可されるやいなや、騎馬で領地の城へと向かったのである。
(何が何だか分からないが……とにかく急げ!)
必死に馬を走らせるサイラス。しかしアスター城が近づくにつれて、彼は我が目を疑った。
城は丘の上にあるので遠くからでもよく見える。
あの陰鬱で寂れた城が、輝くような真っ白に生まれ変わっていた。濃い青色に塗られた屋根や尖塔も艶やかで、夕焼け空を背景に美しくそびえている。
セドリックから城の塗り直しの話は聞いていたが、これほどまでに立派な姿になるとは予想もしていなかった。
予算案も承認したが、高い税を取り立てていた領主の城をこれほど立派にして領民から反感を買わなかったのだろうか? 地元の若者を雇用して感謝されたとセドリックの報告書には記されていたが。
自分が城に来ることは出発直前に手紙を出した。恐らく、手紙の到着と自分の到着はほぼ同じタイミングだろう。
驚くだろうなと思いつつ馬を駆り、久しぶりに見るアスター城の城門に辿り着いた。
当然ながら出迎える者はいない。
サイラスは鍵を開けて城門の中に入り、脇にある馬小屋に馬をつなぐと手早く水と飼い葉を与えた。
この城に馬はいないが、昔使っていた馬小屋は残っている。
使っていない馬小屋の内部まで綺麗に掃除されていることにサイラスは驚いた。飼い葉用の干し草や穀物も適切に保管されている。
それだけではない。
遠くから見た城は白鳥のように美しい姿だったが、近くで見ると一層その壮麗さが伝わってくる。
以前の陰鬱の象徴のような城とは全く違う。
(一体この城で何があったんだ?)
領主なのに自分の城で起こっていることも分からない。
サイラスは苛立たしそうに舌打ちすると城の鍵を取り出した。苦い顔で正面の扉の鍵穴に鍵を差し込む。
(ああ、嫌な思い出だ)
先代のアスター伯爵であったウィリアムは厳しい人だった。
養子になったサイラスにも多くを要求し、期待に応えられないと容赦ない言葉が降ってきた。
体罰があったわけではない。しかし、言葉は時に体罰よりも深く心をえぐる。
「そんなこともできないのか!?」
「お前なんかを選ぶんじゃなかった」
「寄るな! 一人にさせてくれ」
ウィリアムはいつも不機嫌で暗い顔をしていた。笑顔の記憶も残っていない。常に何かに文句を言い、世の中を恨む孤独な老人だった。
「世の中、間違っている」
「莫迦ばっかりだ」
「なんで私がこんな目に遭うんだ」
彼の口癖を聞く度に、サイラスは耳を塞ぎたくなった。
正面の扉を開けるとウィリアムの肖像画がある。
城に来て、その肖像画を見るのが怖かった。
ウィリアムが死んだ後でも「お前みたいな不肖の息子は来るな」と言われているような気がしてならなかった。
(またあの視線を浴びるのか? ……いや、たかが肖像画だ。落ち着け)
深呼吸をしてグッと奥歯を噛む。
扉に手をかけて思い切って開くと……。
そこには美しい花畑があった。
いや、正確には大きな花畑の絵が飾られていた。
てっきりウィリアムの冷たい視線が降ってくると思っていたサイラスは拍子抜けした。
同時に、これまでとはまったく違う城の内部に呆気に取られて口をポカンと開けるしかなかった。
色鮮やかな花畑の絵だけでなく、花瓶に本物の花が活けられて華やかに咲いている。
重いカーテンのせいで昼間でも暗かった城なのに、今では外からの心地良い光が惜しみなく入るようになっている。
外は薄暗くなってきたが、それでも以前に比べると格段に明るい。
サイラスは呆気に取られて周囲を見回した。
掃除も行き届いている。
他の絵画も一新され、心が落ち着くような自然の風景を描いた絵画が多く壁を飾っていた。
『それにしても……』とサイラスは視線をキョロキョロと彷徨わせる。
誰も自分が到着したことに気づいた様子はない。
サイラスは音を立てないようにそっと階段を上がっていった。
執務室がある最上階に足を踏み入れるとセドリックの姿が見えた。
向かい合って話しているのがティアだろう。話し声が耳に入る。
「旦那様が近いうちに城にいらっしゃるそうです!」
「ええっ!?」
「どうしてまた? 滅多に領地には来ないって仰っていたのに」
「旦那様には城の修繕や塗り替えなども含め、全ての会計処理を報告しています。当然城の塗り替えについても許可を頂いております。しかし、城の修繕費や日常の食費が異常に少ないことを懸念されていました。ティア様のおかげだと説明申し上げたのですが、一度城を見に来ると……」
「えぇっと、いつ? いついらっしゃるんですか!?」
自分が城に来ては迷惑だ、と言わんばかりの二人の会話にサイラスは思いがけなく深く傷ついた。
セドリックも自分よりティアを信頼しているようだ。
忠実なセドリックまでたぶらかすなんて、と怒りがこみ上げてくる。
この城をあれほどの低予算でよみがえらせるなんて不可能だ。
ティアに何か裏があるのではないかとサイラスは疑っていた。良からぬところから資金援助があるのかもしれない。
そもそもテイラー男爵家は信用できるのか?
大人しくしていろと言ったのにそれを無視して領民に取り入り、なにかよからぬことをたくらんでいるのではないか?
「いつ……というのは手紙には書かれておらず……」
「今日だ」
サイラスが声をかけると、二人が「「ひぃっ」」と叫んで飛び上がった。
彼らの態度にもおおいに腹が立つ。
ティアは何も事情を知らない素振りだが、無垢な振りをして実は腹に一物あるのではないかとサイラスの疑念は高まるばかりだった。
***
サイラスが自分の寝室でティアを問い詰めると、彼女の黒曜石のような瞳から涙が溢れだした。
(こんなに美しい涙があるのか……?)
思わず見惚れてしまったサイラスは、我に返って一歩退いた。
ティアが部屋から出ていった後、サイラスは自己嫌悪に苛まれていた。
か弱い女性をあんな風に怖がらせて泣かせてしまった。
あの表情が演技だとは思えなかった。
彼女は本当に何も知らないのかもしれない。
何故こんなに献身的にアスター領のために尽くしてくれるのか全く理解できないが、もしかしたら純粋な善意からの行動なのかもしれない。
そう思った途端に、猜疑心にまみれた自分の薄汚さに嫌気がさす。
しかし、領主としては疑い深いくらいの方がいいと先代のウィリアムは言っていた。
判断ミス一つで領民の生活を脅かす可能性があるのだ。
「私は誰も信用しない」
そう言い切ったウィリアムの瞳は死んだ魚のように暗かった。
(他の使用人にも話を聞いてみよう)
領主として非情ではなくてはならない、サイラスはそう自分に言い聞かせた。