11.疑念
今回の改修では、立ち入り禁止になっている東の塔内部の修繕や塗り替え作業は行わなかった。なので、そこに至る階段の部分には相変わらず黒い布がかかっている。
しかし、それ以外は眩しいくらいの明るさだ。
城のみんなと相談して壁や天井の色はミルキーホワイトに決めた。天井に描かれている模様や装飾以外はすべて温かい雰囲気の白に統一されている。
ティアは堅苦しくて雰囲気の暗い壁の絵画も入れかえた。
正面玄関を入ってすぐのところに大きな先代の肖像画か飾られていたが、話を聞く限り先代の伯爵に好感は持てない。
先代伯爵は金髪碧眼の美形だが切れ長の目には暗い影があり、先入観のせいかもしれないがどうしても酷薄そうに見えてしまう。
ティアが先代の肖像画を外しても、使用人からは特に反対意見も出なかった。
セドリックもタマラも先代伯爵の話になると、どこか歯切れが悪い。主従の間で意思の疎通が上手くいっていなかったのかもしれないと勝手に想像している。
ティアは保管されていた絵画を一通り見て、その中から大きな花畑の油絵を選んだ。
真っ青な空の下に森に囲まれた色とりどりの花畑が描かれている作品である。薄紫、水色、ピンクなどの淡い色合いの花が多く、とても美しい。
その絵画を正面玄関に飾ると、客が城に入った瞬間に真っ先に目に入る。
きっと好印象だろう、とティアは満足気に頷いた。
食事は三食とも厨房にある大テーブルで城のみんなと一緒に食べている。
リチャードも森の食材の調理の仕方が板についてきた。自然の食材を上手く溶け込ませて美味しい食事を作ってくれる。
(毎日楽しい。幸せだなぁ)
一生懸命働いて仲間と美味しいご飯を食べて、気持ちの良い寝台で眠る。
これほどの幸せがあっていいのだろうか?
サンドラが亡くなって以来、初めて生きていて良かったと思う。
***
充実した毎日が続いていたそんなある日、最上階の廊下を歩いているとセドリックが慌てて執務室から駆け出してきた。
「旦那様が近いうちに城にいらっしゃるそうです!」
「ええっ!?」
ティアの顔が青褪めた。
「どうしてまた? 滅多に領地には来ないって仰っていたのに」
セドリックは額に浮かんだ汗を拭く。
「旦那様には城の修繕や塗り替えなども含め、全ての会計処理を報告しています。当然城の塗り替えについても許可を頂いております。しかし、城の修繕費や日常の食費が異常に少ないことを懸念されていました。ティア様のおかげだと説明申し上げたのですが、一度城を見にくると……」
「えぇっと、いつ? いついらっしゃるんですか!?」
別に何も悪いことをしているわけではない。しかし、ティアはサイラスから疎んじられている。領主に嫌われている姿を城の仲間には見られたくない。
一方、セドリックはティアに頼りすぎてしまっている現状をサイラスが面白く思わないかもしれないという懸念がある。
必要な報告はしているものの、領主夫人と使用人という枠を超えて親しくなってしまったことをサイラスがどう思うのか心配していた。
「いつ……というのは手紙には書かれておらず……」
セドリックが答えた時、ティアの背後から「今日だ」という低い声がした。
「「ひぃっ」」
二人で肩を揺らして振り向くと、初夜に一度だけ会ったことのあるサイラスが冷徹な笑顔を浮かべて立っている。
プラチナブロンドを後ろで一つに結んだ領主は背が高く、微かな記憶にある通りの美丈夫ぶりだ。
しかし、透明な空色の瞳には険があり、不機嫌そうな表情を隠そうともしない。
「だ、旦那様、今日手紙を受け取ったばかりで……いきなりいらっしゃるなんて……」
「俺は彼女に話がある」
セドリックの言葉を遮り、サイラスはティアの手首を握ってずんずんと歩き出した。
階段を下り、掃除でしか入ったことのない領主の寝室に入るとバタンと扉を閉める。
「どういうつもりだ!?」
壁を背にしたティアの両脇に手をつき、サイラスは至近距離でティアの顔を覗き込んだ。
完璧なほどに端整な顔が近くにある。
ティアの顔が恐怖と緊張で強張った。
サファイアのような瞳が怒りを帯びていることに慄いて、ティアはうまく返事ができない。
というより質問の意味がよく分からなかった。
「ど、どういうって……?」
「城の使用人をたぶらかして何が目的だ!?」
大きな声をだされると恐怖で動悸が激しくなる。
父と兄たちを久しぶりに思い出した。
目を逸らして身を縮こませるが「答えろ!」と言われて、おずおずと顔を上げた。
恐ろしさに我慢ができなくなって瞳に涙の膜ができる。
「わ、わたしは皆さんと仲良くしたくて……役に、立ちたくて……」
つーっと目尻にたまった涙が一筋頬にこぼれ落ちた。
それを見てサイラスがぎょっと身を引いて両手をおろす。
「それだけ、か? ……何の見返りも求めずに働くようなお人好しがいるか?」
頭の両脇に置かれた手がなくなるだけで圧迫感が減る。ティアは大きく息を吐いた。
「私はここで良い生活をさせて頂いております。ちゃんとした部屋を頂いて寝台もある。三食美味しい食事も頂いています。何より、皆さんがとても親切です。だから、少しでも恩返しできたら、と思って……旦那様の意に沿わない点がございましたら申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げると、まだ疑い深そうな切れ長の目が刺すような視線をティアに向ける。
「我々を陰謀に巻き込むようなことはしない、というのだな?」
「いん……ぼう?」
口をポカンと開けて呟くとサイラスは腕を組んで考えこんだ。
「……もし演技だったら歴史に残る名優だな」
「わ、わたしは嘘なんてついていません! 陰謀なんて……父にも厄介者扱いされていた私が一体なんの陰謀をたくらむというのでしょうか!?」
必死になって叫ぶティアをサイラスはじっと見つめた。ティアも真っ直ぐに彼に視線を返す。
「君は……領地で大変な人気者だと噂が流れてきた。俺は君に目立たぬようひっそりと暮らせ、と言わなかったか?」
そういえば、初夜の時にそんなことを言われた微かな記憶がよみがえる。
ティアの顔が急速に青褪めた。
「た、たいへん申し訳ありません。あの、人気者というのは誤解ですが、城の塗り替え作業で領民の方々と交流があったのは事実です。ここでも引きこもり生活を送るべきだったと認識できていませんでした。その、人に会っちゃいけないって知らなかったので…ごめんなさいっ」
焦りながら謝罪して深く頭を下げる。
動揺のあまり眩暈がして、再び目頭が熱くなった。
「いや、人に会うなとまでは言っていなかったが……君が領地で人気だと王都まで噂が流れてきた。領民に魔法のような食料まで提供していると。一体何が起こっているのか確かめにきたんだ」
「私は皆さんのお役に立ちたくて……それが出過ぎた真似でしたら本当に申し訳ありません」
ティアがぽろぽろと涙をこぼすのを、サイラスは複雑そうな表情で見つめていたが、ふぅと溜息をついて「もういい」と彼女を部屋の外に解放した。
ティアは廊下を歩きながらぼんやりと『そういえば陰謀って最近どこかで聞いたな』と考える。
自分の部屋に戻りドサッと寝台に寝そべると「はぁ~」と声をあげた。
サイラスは自分を問い詰めるためにわざわざ来たのだろうか?
綺麗になった城を見て喜んでもらえるかも、なんて淡い期待を抱いていた自分はとんだ愚か者だ。
もともと愛情なんて存在するはずもない。
離れているのが一番いいと思っていた。
でも、だからといって嫌われたり憎まれたりしたかった訳ではない。
あ、そうだ。思い出した。
この城に来たばかりの頃、セドリックからこの結婚に関連して『陰謀』という言葉を聞いた。
二十年くらい前、先代のアスター伯爵は第二王子を王位につけるために、テイラー男爵家の令嬢に王太子を誘惑させようとしたという。あくまで噂だけど。
もしかしたら当時、父フランクも陰謀に関わっていたのかもしれない。あの人でなしのフランク・テイラー男爵だもの。実の娘のイヴを利用していた可能性だってある。
フランクのせいで自分も陰謀を画策していると誤解されてしまったのだろうか?
ようやく悪夢のようなテイラー家から逃れられたのに、まだ呪縛がまとわりついているようで気持ちが悪い。
ティアは母の形見である漆喰製の茶トラ猫を取り出して抱きしめた。
昔から辛いことがあるとこうしていた。
不思議と母の温かさが伝わってくる気がして気持ちが落ち着く。
仲直りするほど最初から親しくはなかったが、どうにかサイラスの誤解を解くことができないか考えていたら、悲しくなって新しい涙が枕を濡らした。
*サイラスは色々と誤解をしていますが、すぐに反省してティアに謝ります(#^^#) 彼なりの事情もあり物語の流れですので、どうか彼の行動についてはご容赦くださいませ