表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/11

第八話 ダイスケ

 ニアはダイスケを、ポカポカと殴った。唸り声をあげながら何度も何度も殴った。ハルカの分も、お腹の赤ちゃんの分も殴ってやりたかった。


(よくもニアの前に顔を出せたにゃんね! 許さない!)


 ダイスケはニアの小さなこぶしを、黙って全部受け止めた。その静かな様子が憎らしくて、腕に思い切り噛みついた。


(ダイスケのバカ! 人でなし!)


 震えるほど強く噛みついたのに、ダイスケは痛がりもせず、腕から血が出ることもない。


 ダイスケはニアが、両手を振り回して暴れている間もずっと、首の後ろを撫でていた。ニアがまだ普通の猫だった頃と、少しも変わらない撫で方だった。


 ニアはくっきりと歯型のついたダイスケの腕を、今は人間の姿であることも忘れて、ペロペロと舐めた。


 胸に耳をつけても、心臓の音は聞こえない。


(やっぱりダイスケはもう……)


 ダイスケの腕の中は、懐かしい匂いがした。その匂いは、ニアに大切なことを、思い出させてくれた。


(にゃーはダイスケのことも、とても好きだったにゃん……)



 ダイスケが座りこみ、落ちていた小枝を拾って、地面にガリガリと文字を書く。


『ニア、辛い想いをさせて、本当にすまなかった。でも、ニアがいてくれて良かった。ハルカを支えてくれてありがとう』


 ダイスケの書く文字から、気持ちが流れて来る。ニアはそれだけでもう、充分だった。


 わかってくれる人がいる。同じようにハルカを大切に想うダイスケが、ニアの頑張りを認めてくれた。


(にゃー、ダイスケの真似をしたにゃんよ。ハルカはそれを望んでいたにゃん。にゃーではダメだと言われているようで、どんどん苦しくなったにゃん……)


 傷口に(とげ)が生えて来てしまったようだった。ハルカがニアをダイスケと呼ぶたびに、痛みが走り血が吹き出す気がした。


『そうか……。でもニアのことも、ハルカはとても大切に想っていた。俺の真似なんてする必要はない。ニアはニアのまま、ハルカのそばにいてくれ』


 たったひとりで頑張った。精一杯頑張った。でも、もうひとりじゃない。ダイスケはハルカのために狐火の市に来たのだ。ニアと同じだ。


 あまりに唐突に心が軽くなって、自分でも呆れてしまう。


(ちょっとにゃーは単純過ぎるにゃんね!)


 少し照れ臭くて、ニアはニャハハと声を出さずに笑った。





(ダイスケは、成仏しないにゃんか?)


『思い残すことがあり過ぎてな。それどころじゃない』


(ハルカと……赤ちゃんにゃんね?)


『ああ、最後にハルカと話したい。赤ん坊の顔も、ひと目だけでも見たい』


 ダイスケが言うには、死んだ者は赤ん坊や妊婦に近づけないらしい。命のはじまりと終わりは、相入(あいい)れない。


(ニアの身体を使うといいにゃん! あとは人間に化ける道具さえ手に入れれば……! ダイスケ、何か持ってるにゃんか?)


『コレを使おう』


 ダイスケが差し出したのは、傷だらけでひしゃげてしまった結婚指輪だった。ダイスケは交通事故で死んでしまったらしい。


(こんな大切なもの……良いにゃんか?)


『ハルカより大切なものなんかない』


(そうにゃんね! この指輪でダメなら、にゃーの目玉を使うにゃん!)


 お互いに覚悟は決まった。ダイスケとニアは頷き合って立ち上がった。


 こうしている間に、もしかしてハルカが産気づいているかも知れない。さっさと取り引きを成立させて、ハルカの元へと戻ろう。


(まずは交渉してみるにゃん!)


 二人が顔を上げると、静まり帰った広場のほとんど全ての者が、こちらに注目して鼻水を啜っていた。中には面をずらして涙を拭いている物もいる。

 ニアとダイスケのやり取りは、すっかり(あやかし)たちの関心を集めてしまったようだ。


(ありゃー! 高位の(あやかし)には、隠し事も出来ないにゃー。筒抜けだったかにゃ?)


 ダイスケが額に手を当て、ゴシゴシと擦る。照れた時、困った時の癖だ。こちらの持ち札がバレてしまった以上、交渉も何もない。


 ダイスケが胸やズボンのポケットに手を入れ、他に何かないか探していると、狐面をつけた婆さまが、ゆっくりとこちらに歩いて来た。


 恐ろしいほど高位の(あやかし)だ。ニアはピシリと固まって動けなくなった。

 婆さまは、半分目を回して動けないニアに近づくと、いきなり耳にブスリと何かを刺した。


(痛い痛い! 何するにゃー!!)


 ニアが耳に手をやると、どうやら人化の道具をつけてくれたようだ。婆さまの店の赤い小さなガラス玉の付いた耳飾りは、ニアが一番欲しくて何度も足を運んだ露店の品だ。


 婆さまがヒラヒラと手を振ると、痛みが嘘のように引いていった。


 ダイスケがひしゃげた指輪を渡すと、婆さまは小さくうなずいて受け取り、自分の店へと戻って行った。

 どうやら取り引き成立で良いらしい。二人は並んで婆さまに、深く頭を下げた。


(ダイスケ、夜が明ける前に帰ろう。ハルカが目を覚ましたら、また心配をさせてしまうにゃん!)



 狐火の市の、提灯の明かりが届く範囲から出ると、ニアは元の猫又の姿に戻った。ダイスケは徐々に身体が透けてゆき、やがて微かな揺らぎとなり、ニアの耳飾りへと吸い込まれてしまった。


(ダ、ダイスケ! 大丈夫にゃんか? 消えてしまっていないにゃん?)


『ああ、大丈夫だ。すまんが、ハルカの元へ運んでくれるか?』


(お安い御用にゃん! 行くにゃんよー!!)


 尻尾をピンと伸ばして猫火を灯せ! お腹の底から湧いてくる妖力を、爪の先まで一直線に流せ!


「小さきあやかしと侮るな。尻尾に灯るは心意気の火! 毛皮を彩る赤は、熱き想いの色! 我は猫又、猫又のニア!」


 妖力が赤い模様となって、ニアの茶トラの身体を彩る。口の中で大きく唸り声を上げ、ニアは思い切り地面を蹴った。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ