第七話 狐火の市
その灯りの中に足を踏み入れると、ニアの姿が見る見る変化した。
アサガオ模様の浴衣を着た、小さな女の子の姿だ。
(えっ……?! 一体何が起きたにゃんか?)
手には小さな丸い提灯を持ち、顔には赤い模様の入った、猫のお面を被っている。
ニアは自分の全身を、ペタペタと触れてみる。
(に、人間になったにゃんか? ニアは人間になれたにゃんか?!)
浴衣のアサガオは、薄茶でニアのトラ模様の色だ。手に持った提灯からは、尻尾の猫火らしき妖力を感じる。
(にゃーは変化の術の修行なんかしてないにゃん。まだ、そんな大きな妖力もないし……)
面越しに、キョロキョロと辺りを見回す。
(お祭り……にゃん? 露店が並んでいるにゃんよ)
歩いている人や、木の下に座り込んで休んでいる人。全ての人が、ニアと同じような面を被っている。
そして露店を冷やかしている人々や、暇そうに店番をしている人々から、かなり強力な妖力を感じる。
(みんな妖にゃんか? 妖の露店市?)
面を外して、もっと周りを良く見ようと思ったその時、猫又修行の最後の夜に聞いた、噂話を思い出した。
『妖たちが開く、“狐火の市”という沈黙の露店市を知ってるにゃんか? 高位の妖が気まぐれで売りに出す、掘り出し物があるらしいにゃんよ!』
獣医の飼い猫だと言っていたハチワレ。そういえばなかなかの情報通だった。
(ここがその“狐火の市”にゃんか?)
周囲を囲む色とりどりの提灯。その中に灯るのは、確かにニアの猫火と似たものだ。
(沈黙の市ということは、声を出したらダメにゃんね? ああ、もっと真剣に聞いておけば良かったにゃん!)
用心深く周囲をうかがい、耳をそば立てる。鳴き声も話し声も聞こえて来ない。人の姿をした妖たちは、みんな身ぶり手ぶりで取り引きをしているようだ。
(面も取らない方が良いにゃん?)
どうやらニアの変化は、この場に掛けられた術のせいらしい。
(こんな大掛かりな術を使えるなんて、なんてすごいにゃん! にゃーも修行すれば、そんな大妖怪になれるにゃんかね?)
身の危険は感じない。ということは、ニアはこの市に入る資格があるということだ。取り引きも出来るだろうか?
(高位の妖の露店にゃん。きっとすごいものが売ってるにゃん!)
ニアの胸がドキンと鳴る。
(人に化けられる道具が、あるかも知れないにゃ!)
大昔から妖は、人に化けてきた。悪さをしたり、恩返しをしたり、恋をしたり。
人に紛れ、人としての生活を楽しんでいる妖もいるという。
ニアはさっそく、目当てのものを探すことにした。
(ダイスケに化けて、ハルカの出産に付き添うにゃん! 手を握って励ますにゃんよ! そんで、それを最後にして、ダイスケのふりを止めるにゃん!)
またハルカを騙してしまうことになるが、ハルカが望んでいることを、ニアは痛いほどに知っていた。
(望む姿に化ける道具を探すにゃんよ!)
▽△
四半刻後、途方に暮れたニアが、広場の隅で膝を抱えてさめざめと泣いていた。
人間に化けられる道具はあった。ひとつどころか、たくさんあった。
猿の薬屋の飲み薬、熊の古道具屋の眼鏡、トンビの服屋の変化マント、狐の婆さまの店の耳飾り。
どれもこれも素晴らしい品だ。回数制限や時間制限がある道具もあったが、それでも充分ニアの願いが叶う。
だが、ニアは対価となるものを、何も持っていなかった。唯一の持ち物は、ハルカの手作りの首輪のみ。ニアにとっては、何よりの宝物だ。
けれど、気まま暮らすことを信条とする妖たちの中に、拘束の象徴である首輪を欲しがる者はいなかった。
(なんでにゃんよ。赤い首輪、可愛いにゃん! ニアは全然嫌じゃなかった。ハルカが首輪を着けてくれた時は、飛び上がるほど嬉しかったにゃん!)
家に帰って何か取って来る時間はない。狐火の市は夜明け前には消えてしまう。そして次の新月の晩では、ハルカの出産に間に合わない。
ニアはゴクリと唾を飲み込んだ。
(猿の提案を受けるしかないにゃん……)
猿の薬屋が化け薬の対価として求めたのは、ニアの『目玉』だった。
(怖いにゃー。痛いのかにゃー。でも他に方法がないにゃんよー!!)
ニアが覚悟を決めて、立ち上がろうとした、丁度その時――。
大きな手で、ふわりと抱き上げられた。
この感じは覚えがある。柔らかいニアを潰さないように、そっと包むような手のひら、力強い腕。
恐る恐る見上げると、狐の面を被ったダイスケがいた。
(ダ、ダ、ダイスケ!!)
ニアは危うく叫びそうになった。
(生きていたにゃんか?! 一体どこで何をしていたにゃん! ハルカを悲しませて、許さないにゃんよ!!)