おまけ ニアの猫又修行
狐の大婆さまの弟子になって一年と半年。ニアは新月の晩ごとに狐火の市を訪れていた。日暮れから夜半過ぎまで、婆さまにみっちり修行をつけてもらう。
婆さまから手紙が届いた時は『なんか婆さまの修行、怖いにゃんよー!』などと弱音を吐いていたニアだが、今はやる気に満ち溢れていた。
「婆さま、今日はどんな修行をするにゃ?」
言いながら妖気を尻尾に流し、シュボッと猫火を灯してゆく。動物のあやかしの尻尾に炎は、人間でいうと筋肉のようなものだ。鍛えれば、術の底力を上げてくれる。
質の良い炎をたくさん灯せるあやかしは、間違いなく上位の術を使いこなす。
ニアはようやく、八つの猫火を灯せるようになった。今はまだ尻尾が二本しかないニアだけれど、少なくともあと二つは猫火を灯せるはずだ。
ちなみに婆さまは九尾の仙狐で、百以上の狐火を灯す。
さて、猫火を灯したら、次は妖力を身体に巡らせる。赤い模様が浮かびあがると、ニアもずいぶんと猫又らしくなる。
「ニアはどんな術が使いたいんじゃ?」
ずっとニアのことを『猫又の小娘』と呼んでいた婆さまだが、最近『ニア』と呼んでくれるようになった。
「にゃーは人間に化ける、変化の術が使えるようになりたいにゃんよ」
人間に化られれば、ダイチの保育園の送り迎えが出来るし買い物にも行ける。ダイチは、ハルカとダイスケの息子だ。
「あくまで飼い主のために術を使うか?」
「うーん、ちょっと違うにゃん。人間に化けられたら、にゃーがラクにゃんよ」
それが自分のためだと思っているあたり、始末が悪い。
猫又は人間との関わりが深い分、闇に呑まれやすいあやかしだ。一度闇に呑まれれば二度と明るい場所には戻れない。
婆さまは、この若い猫又が気に入っていた。なかなか根性があるし、何よりその天真爛漫さが眩しい。人を愛し、人と生きることに迷いがない。
それは婆さまが、とうの昔に諦めてしまったことだ。
『いざという時に、なんとか踏みとどまらせねばならん。そのためには、細やかな妖力操作を身につけさせねば』
そう思ってニアを弟子にした。
「婆さま、聞いてるにゃ? 変化の術、教えてくれるにゃんか?」
「変化の術は、少なくとも尻尾が四本になってからじゃ。まずは猫火を十灯す。それが出来んようでは、三本目も生えて来やせん」
「なんとか『手』だけでも欲しいにゃん。肉球じゃものが掴みにくいし、タッチパネルの操作が難しいにゃん」
ニアは時代に対応するあやかしだ。だが、猫に人間の手が付いていたら、かなり気味が悪いことには気づいていない。
「人間のカラクリか? それなら雷の術を使え。人の決めた命令を上書きするんじゃ」
婆さまはあくまで上級者だった。
「カミナリの術はビリビリするにゃんよ……」
「しょうのない小娘じゃな。では、尻尾を鍛えろ。猫又の尻尾は、人間の指より器用に動くようになるはずじゃぞ?」
「本当にゃんか?」
「ああ。今日の修行は尻尾で書き取りじゃな。人間の文字の勉強にもなる。人の近くで暮らすなら、必要じゃろう?」
「ぶにゃー、座学は苦手にゃん……」
圧倒的に地味で地道な修行だ。ニアは手っ取り早く便利でカッコイイ術が覚えたかった。
「なにごとも、近道なんぞありゃせんよ」
婆さまの正論に反論出来るはずもなく、ニアは黙ってハルカの持たせてくれた、エンピツとノートを取り出した。
二本のエンピツをそれぞれの尻尾で巻き取るように掴み『あいうえお』からはじめる。
「ほれ、顔はこっちじゃ」
婆さまがどこからか書物を持ち出して、ニアの前に広げる。人間の絵本だ。ニアはまだ漢字は覚えていない。
「読むのと書くの、一緒にやるにゃんか⁈」
意外に高度な修行だった。
ニアが四苦八苦していると、ボチボチ店の準備をするあやかしたちが集まりはじめる。
「そろそろ頃合いかの?」
大婆さまが耳をピクリと動かすと、山に狐火が灯った。
今宵新月、狐火ひとつ。
差し出すものは何なのか。
今宵新月、狐火二つ。
何を求めているのやら。
今宵新月、狐火三つ。
果たしてたどり着けるのか。
今宵は新月。
月は闇に隠れて、明かりを灯さず姿も見えず。
泣き顔を隠しておいでませ。
心配ごとを隠しておいでませ。
さあさあ、狐火の市の開店で御座います。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
あらすじにも書いてありますが、このお話は作者の完結作品からの抜粋です。主人公が異なる『狐火の市』を舞台にした各地の方言で書いた短編集ですので、興味のある方は是非。
少しでも楽しんで頂けると幸いです。




