第一話 猫又修行
ようやく三日三晩の修行が終わった朝。全ての三年猫は倒れるように眠りについた。
ここは熊本県阿蘇山系、根子岳。別名猫岳、言わずと知れた猫又修行の地である。
猫又の修行は数え年で「三年」「七年」「十二年」と三種あり、順番に修めるのが一般的だ。
本日一匹の脱落猫もなしで無事に修行を終えた三年猫たちは、ゆっくり眠ったあと無礼講の宴会へと突入している。
普段はあまり群れたり連れ立ったりしない猫たちも、またたび酒があれば話は別だ。
煮干しの頭を齧りながらペロリと舐めれば、上手に隠していた本音がついつい溢れ出る。
最も話題にのぼるのは、やはり飼い主のこと。忠義とは縁遠いのが猫だが、それぞれが、皆それなりの愛着を持っている。
厳しい猫又修行、実は飼い主のために来たという猫も少なくない。
「うちのご主人、最近元気がないにゃんよ。全然笑わなくなったにゃん」
「それは心配にゃーね。ごはん食べてるにゃんか?」
「どんどん痩せてしまってるにゃーよ。早く帰って暖めてやらにゃーと」
「修行なんか来てる場合じゃないにゃん?」
「ただの猫じゃ、そばにいたって何にも出来ないにゃん!」
初めてまたたび酒を舐めた、まだ年若い茶トラの猫又が、少々呂律を怪しくして言った。
猫又修行中、必須で修めることは三つ。
一つ目は、引き戸やドアの開け閉め。まずはこれが出来なければ、猫又と呼ばれることはない。
開けるだけではなく、閉めることで隠密性が生まれる。
「あれ? どこ行った? ドア閉まってるのに!」
そうやって、秘密と不思議の香りの一つも纏ってこそ、妖というものだ。
何より、散歩も夜遊びも思いのままとなる。
二つ目は、二股に分かれた尻尾を使いこなすこと。
分かれた尻尾は猫又の証。なんのために分かれるかというと、ちゃんと理由がある。
この尻尾、元々の形に偽装も出来て、なかなか便利なシロモノだ。
まず物が掴めるようになる。熟練の猫又になれば、ゾウの鼻程度の使い勝手を実現すると言われている。
他にも尻尾の先に『猫火』と呼ばれる明かりが灯せたり、多少の伸び縮みも可能となる。
そして三つ目が、人語を理解する。
良くも悪くも、猫の生活は人間が左右する。人を知り、付き合い方を学ぶことは飼い猫、野良、共に必要なことだ。
もっとも、飼い主の多くは、猫にとってチョロイ存在だというのは、広く猫たちにも知られている。
「はぁーあ、人間の言葉なんか聞きたくないにゃんよ。あいつら多分、碌なこと言ってないにゃん」
聞き役に徹していたハチワレが言った。それは茶トラもわかっている。だが、それでもなお、茶トラ猫には聞きたい言葉がある。
「にゃーは本当は人間に化けたいんにゃ」
ペロリとまたたび酒を舐め、思いつめた顔をするこの新米猫又。齢三歳、番茶も出花のお年頃。薄茶色の虎模様の、なかなか愛嬌のある美猫である。
変化の術は難易度が高く、十二年修行の遙か先にある。猫岳の指導猫又でも、修めている者はほんの数匹だ。かの有名な猫仙人は、変化の達猫だと言われている。
「それなら、まずは長生きすることにゃんね」
ハチワレ猫が長生きの秘訣について語り出した。ハチワレの飼い主は獣医らしい。
(それじゃ間に合わないにゃんよ! にゃーは今すぐ、力が欲しいにゃん)
新米猫又、茶トラの“ニア”の鼻息が荒くなる。
ニアは尻尾に猫火を、一つ二つと数えながら灯してゆく。夜目の効く猫には、本来なら必要のない猫火。温度が低く物を焼くことも出来ない。
(もっと、役に立つ能力はないにゃんか?)
尻尾の火が五つを越えたあたりで、ハチワレが「聞いてるにゃーか?」と呆れたように言った。
ニアは尻尾の火をブンブンと振って消すと、フラフラと立ち上がった。
「どこへ行くにゃーか?」
「七年修行に混ぜてもらうにゃん。バスの時間になったら教えてにゃ」
余裕のない様子にハチワレが、呆れたように鼻から息を吐き出した。
「程々にするにゃん。身体を壊したら、元も子もないにゃんよ!」
その獣医の飼い猫に相応しい言葉も、今のニアには届かない。
「酔っ払って修行なんて、出来るにゃんかね?」
ハチワレが、煮干しの尻尾を口からはみ出させたまま言った。
四半刻後、七年修行中の猫又に担がれて、熟睡したニアが運ばれて来た。
「にゃむにゃむ……。にゃーは役に立つ猫又になるにゃんよ……」