神規一転
「神規一転」
「1」
「おい天田、あの資料はできたのかよ?」
「今終わりました。確認をお願い致します。」
「じゃあ、これもやっておいて。」
「・・・はい。」
「すいません天田先輩、この資料はどの様に作成すればよろしいでしょうか?」
「プレゼンの資料は表・グラフ・数字を分かりやすく書いて。後は、金額は大きめに表示しておいて、あと金額はくれぐれも間違いの内容に作成してください。」
「分かりました。ありがとうございます。」
「おい天田、金額が全部違ってるだろ。」
「でも、頂いた資料の通り打ち込みましたが。」
「全部税込で入力しておけよ、気が効かないな、やり直し。あと今日渡した資料を含め、明日の午前中までに頼んだ。」
「・・・はい。」
(これは徹夜残業確定だな。)
冷たい空気が肌を過ぎり目を覚ます、目に映る光景は前夜と変わらない、机の上に伏せている身体を起こし、大きく背伸びをする。
冷めたコーヒを飲み干し、ため息を漏らしつつ作業を始める。
近くには誰もいない、オフイスには自分の場所のみ照明が付いており、辺りは静けさに包まれている。聞こえてくる音と言えばパソコンのキーボードを叩く音のみ。
2時間ほどパソコンの前で作業を行い、外を見るとビルの間から日光が差し込む。
その目の霞む様な光景を、死んだ魚の目を向けた。
「おはよう」
誰に言った訳でも無いボソっと呟いた言葉。
周りには誰も居らず反応を欲しく送った言葉でもない。
入社してから2年目だが、1年目は定時出社、定時帰宅を行えというのが上司の口癖であったが、2年目からは豹変、定時帰宅をさせるどころか、退社時間に仕事を押し付けてくる始末。
天田ヒロは疲れていた。後輩に頼める仕事でもなく、信用に値しない上司、責任感が強すぎるあまり仕事を断らない、彼女もいない、安月給の為お金も少ない、それがヒロである。
今回の徹夜残業も特に何かを失敗した訳ではなく、期限ギリギリに仕事を振っておいて自分は関係ないと言わんばかりに退社する無能上司、それを見て見ぬ振りの上層部のせいだ。
そんな事を考えると、パソコンのキーボードを叩く音も次第に大きくなる。
自分でも器用に生きてはいないのは分かっていた。だが自分の生き方はそう簡単に変えられない、
かなり損な生き方をしてきた。
(もうすぐ資料完成だ。もう一踏ん張り。)
「できたー!終わったー!」
達成感故か、周りには誰もいないが喜びを口に出していた。
(時間を見ていなかったが、間に合ってよかった。出勤の時間までまだあるか・・・誰か来る前に朝飯を買いに行くか。)
「あーーー!仕事辞めたいー!気分転換でどっかに行きてー!!」
オフィス内に誰も居ないので溜まっていた鬱憤を背伸びしながら呟いてみるが、もちろん反応はない、財布を取り出し足取り重くエレベーターホールへ向かい、歩いて行く。
自分のいる十五階にエレベーターが到着し、乗り込んだ。
作業していた場所よりエレベーター内は明るく、少しの安心感と一日が始まってしまった憂鬱間に苛まれつつ1階のボタンを押した。
目を閉じ、到着待っていると(4階です)エレベータのナビが報告してくれる。4階で停まった、
「誰か他の部署も徹夜かな?」
そんなことを思いつつ、エレベーターの鏡を使い即座に身嗜みを整える、先ほどまでの死んだ魚の様な目をフレッシュマンな好青年へ変貌させる。もはや意地である。
扉が開く、が誰も乗って来ない、一応エレベーターホールを見渡すが誰も居ない。
見える範囲では明かりはなく、エレベーター内の光が近くを照らしているのみである。
首を傾げながらも、忘れ物を取りに行ったのかと思いつつ、開延長ボタンを押し待ってみる。
階は違えども夜を共にした同志に同情し待つ事を選ぶ、だが来ない。
「誰か居ますかー。」
反応は全くせず、物音ひとつしない。
なぜ止まったのだろうと考えつつ、扉の閉めるボタンを押した。
また目を閉じて待つ、しかし降りている感覚はあっても1階に到着の音がしない、
目を開けると3階のランプが付いている、時間の経過に対して進みが遅い事を不思議に思いながらも再度目を閉じる。
静かなエレベータ内にはファンの機械音はしても静かだ。しかしながら声が聞こえてきた、
ハッキリとは聞こえないが、声色はわかる。
(とうとう幻聴が聴こえてきたかな。)
睡魔も限界に来ていた事もあり、客観的である。
「パン!」と、手を叩いた様な音がなり、声は静まった。
(1階です)
エレベーターのナビが知らせてくれる、1階の到着の音がした。
目を開けると扉が開いており、声はしなくなっていた。
何だったんだろうと考えはしても夢見心地である。
思考回路も正常に機能してはいない。
(ま、いっか。)
思考回路機能停止。
外は寒く、コートを持って来ればよかったと後悔しながらも、戻るのも面倒なので近くのコンビニまで我慢することを決め、先を急いだ。
コンビニで買い物を終えて再度会社へ戻る、会社を出る際は足取り軽く出ていったが
戻ると考えると足取りが重く感じる。
(気分でも変えるか。)
早朝で周りに人はいない、会社は近い、イヤホンはデスクの上に忘れた。だが、音楽を聴きながら帰りたい。
側から見れば少し痛い人に見られても仕方がない、アニソンを垂れ流しつつ会社に帰る。
少しながらの幸せを感じながら、歌を口ずさみながら歩いていると公園に女の子が居た。
早朝の、尚且つ先程日が出たばかりなのに、公園のブランコを漕ぐ女の子がいた。
外の寒い気温に合わせフワフワで暖かそうな服を着こなし、青色の様な銀髪の長い髪を揺らしながらブランコを漕いでいる。
かなり目立つし、顔立ちも良く一言で表すなら美少女である。
親は近くには居ない様に見える。
不思議に思いつつ通り過ぎようとしたところ、ヒロは女の子と目が合った。
(な、何だ?こっちをじっと見ているけど?)
こちらに気が付きブランコから飛び降り小走りで近寄ってくる少女。
道に迷っているのであれば、大人を見つけたら泣きながら・不安そうな顔で近寄ってくるはず。
親戚にあんな子は居ない。
それが満遍の笑みを浮かべ此方へ手を振りながら向かって来るのだ。
(何なんだこの子?怪しい、ややこしい事に巻き込まれたくないし。・・・よし!逃げよう。)
会社の方へ走り出す、が少女も付いてくる、恐ろしく足が早い。
大人の自分に付いて来る少女をもう少女とは思えない。
何故追いかけて来るのか、謎はかなりあるが今は逃げる一択である。
背後から「待って・・」とか「話を・・」とか聞こえてきたが聞こえないふりを決め込んだ。
ちらっと後ろを見たが鬼の形相である、少女にあるまじき顔がそこに在った。
少しずつ距離を離したが、会社が見える所まで来たところで気が付く、後ろには誰もいない。
何だったんだと少々パニックになるのを抑えつつ、息を整えながら会社の中に入っていく。
まだ誰もいない会社内で自分の息切れの声のみが響く、恐怖の体験をしたことで、眠気など
吹き飛んでおり、目は冴え渡っていた。
(何だったんだよ〜、こんな経験したのはこの世で俺だけなんじゃないか?逃げ切れたからよしとしよう。)
エレベーターに乗り込み行き先フロアのボタンを押す。
動き出し、安堵のため息を吐いたところで異変が起こった。
「何の声だ?」