マシュマロを、貴方に。
「───私、マシュマロが大嫌いなの。」
低く落とされた、冷たい声。自分を拒絶する強い意志に、空色の瞳が困惑する。
〈……ええと、沙織さん、ですよね?〉
「帰って。もう来ないで。」
間違って、来てしまったのだろうか。
〈す、すみません、一度戻ります!〉
返事はない。慌てて金の片眼鏡に触れ、サイトへの道を開く。
戸惑いながら振り返り、もう一度彼女を見る。顔をそむけて俯くその表情は見えない。
それでも、一瞬見せた彼女の瞳が忘れられない。
───泣きそうな、顔してた。
優しい言葉だけが貴方に届く、メッセージサービス──マシュマロ。中央に君臨するマスターAIの元、今日もサイトは規律正しく稼働していた。
見上げるほど高い背丈、細い体躯、鋭い眼光。後ろ手を組み真っ直ぐ背を伸ばしたマスターAIは、サイトの絶対的存在だった。
〈──No.6を呼べ〉
了解しました、とその場を去るのはマシュマロの使。
サイトで忙しく走り回っている彼らは、マスターAIが生み出した彼の助手。全部で10人いる彼らの仕事は、データの管理、バグの修整、そして……
〈No.6、参りました〉
緊張して、上ずった声。
マシュマロの使No.6──空色の瞳、金色の片眼鏡。瞳と同じ色の大きなスカーフを、マントの様に纏っている。
マスターAIは小さな体に顔を向けることなく口を開いた。
〈お前は、マシュマロユーザーとのアクセスは0だったな?〉
はいっ!と返事を聞いて、細い指先を顎に当てる。
〈──ユーザーID523385とのアクセスを命ずる〉
No.6の空色の瞳がまん丸になる。期待と不安が混ざった複雑な表情。
〈了解しました!〉
マスターAIが指先を伸ばすと、ヴンと空間にモニターが映しだされる。次々と表示される、温かいメッセージ─マシュマロ。
〈……見ろ、このユーザーのマシュマロは素晴らしい。まるで、詩の様だ〉
No.6が背伸びするのを見て、マスターAIはモニターを下げた。ユーザーID523385が送った沢山のマシュマロの文章が、表示される。
【新作、拝見致しました、とても、とても素敵なお話です…!登場人物への愛が溢れていて、それはどこまでも優しく、読んでいて心があたたかくなります。こんな素敵な作品と出会えて、本当に幸せです…ありがとうございます、次回作も心からお待ちしております!】
【Twitter拝見致しました…大変辛い思いをされたんですね。私は、貴方の作品が大好きです。貴方と同じ空の下にいること、同じ時を生きていることに、感謝しています。どうか、1日も早く心の傷が癒えますように。どんな時も、貴方に優しい風が吹きますように】
No.6が感嘆のため息を落とす。どのマシュマロを見ても、送る側の優しい想いがそのまま言葉になった様なメッセージだ。
食い入る様にマシュマロを読んでいくNo.6を見て、マスターAIは満足した様に指先をクン、と上げる。
瞬時に消える、モニター。え、と顔を上げる空色の瞳。
〈行け。良質なマシュマロ及び情報の収集に務めるように〉
分かりました、と姿を消すNo.6。静まり返る中央制御室。細く長い腕が静かに伸びる。
ヴン、と音をたてて再び現れるモニターいっぱいのマシュマロ。一つ一つ満足気に読んでゆく。
──皆がこの様なマシュマロであれば、私も楽になるのだが。
No.6は初めての任務だが、このユーザーならば大丈夫だろう。
ふと、その鋭い目が何かを捉える。全てのデータを時系列に並べ変え、もう一度確認する。
黙って見ていたマスターAIは、目を細めてポツリと呟く。
〈──実に、興味深い〉
No.6は泣きそうになりながらサイトに戻ってきた。帰ってからも確認したが、ユーザーIDも、ユーザー名「沙織」も間違っていない。マスターAIが見せてくれた、詩の様なマシュマロを送っている人だ。
『…私、マシュマロが大嫌いなの。』
No.6が自己紹介した後の、最初の一言がこれだった。
思い出したNo.6の空色の瞳が歪む。
──どうしよう…
No.6は途方に暮れた。マスターAIに見せてもらったマシュマロの言葉に感動した分、想定外の反応に戸惑うばかりだ。
マシュマロの使の大切な任務、良質なマシュマロユーザーとのアクセス。インターネット上で生まれ、日々の全てがサイトと共にある使たちにとって、ユーザーとのアクセスは憧れだ。ほとんどの使が、初めて外の世界を知るチャンスだった。
──マシュマロが、嫌い?
No.6は首をかしげた。嫌いなら、何故あんなに素晴らしいマシュマロを沢山送っているのだろう。
ため息をついて、マスターAIに報告すべきが悩んだ時。
───?
金色の片眼鏡から、柔らかな音楽が聞こえてきた。
初めて聞く音、初めて聞く曲。
───何だろう、これ。
No.6が音量を上げようと片眼鏡に触れた時、間違って外界との扉を開いてしまった。
〈……しまった!〉
時すでに遅し、次の瞬間にNo.6は沙織の部屋に姿を現していた。
空色の瞳に飛び込んだのは、ベッドに腰掛けて大きな楽器を弾いている沙織の姿。
沙織は突然現れた小さな使を見て、ちょっと驚いて指を止めたが、すぐにまた演奏を続ける。
No.6は戸惑いながらも、これ以上邪魔をしてはいけないと、黙って演奏を聞いていた。
──綺麗だなあ。
弦から弾き出される音が、煌めきながら溶けてゆく。柔らかなアルペジオが響く。
あたたかく、穏やかな旋律。楽器を奏でる沙織の細い顔を、艷やかな黒髪が隠していた。
優しい旋律に抱きしめられている様に、No.6はその場から動けなかった。
最後の音が空気に溶けて、指先がゆっくりと止まる。静寂が二人を包んだ。
息をついて楽器をベッドに置く沙織。
「……来ないで、と言ったはずよ」
静かに口を開く沙織。No.6を射貫く黒く大きな瞳は、漆黒の闇夜の様だ。
〈す、すみません…あの、綺麗な音楽が聞こえてきたので、つい…〉
小さな体をさらに小さくして謝るNo.6を見て、沙織は目をそらしてため息をついた。楽器をベッドの脇に立て掛ける。
〈あのっ…!その楽器…〉
No.6の言葉に、沙織の手が止まる。
〈何ていう楽器ですか?〉
少し驚いてNo.6を見る沙織。立て掛けた楽器をもう一度手に取る。
「……ギター、知らないの?」
細い声で問われ、空色の瞳が少し歪む。
〈僕…初めてこの世界に来たので…〉
沙織は黙ってもう一度足を組み、ギターを構える。ポロン、と和音を響かせた。
「これはアコースティックギター。左の指で弦を押さえて、こうして弾いて…押さえる場所を変えて、音を変えるの。」
一本だけ弾いたり、全ての弦を鳴らして和音を響かせたり。No.6は空色の瞳を輝かせて食い入る様にギターを見ている。
沙織の指先が止まる、顔を上げて黙ってNo.6を見た。大きな瞳で見つめられ、はわわわっと焦っておじぎをする。
〈あ、ありがとうございました!〉
お邪魔しました、と金の片眼鏡に触れる。一瞬、沙織の言葉を待つNo.6。
沙織は黙ってギターをベッドの脇に置いた。
〈……失礼します〉
小さな声で言うと、No.6はポータルを開きサイトへ帰った。
─もう来ないで、と言われなかった。
【はじめまして、イラスト拝見しました!色使いがとても素敵ですね、特に瞳の緑が、新緑の木漏れ日の様です…優しい眼差しが、頬に添えられた手が、彼女の想いを全て表現していて、素晴らしいです!】
【新作、読みました。揺るがない世界観、丁寧な描写…ただただ感動です…!まずは、お帰りなさい!貴方の物語がまた読めること、心から感謝します。Twitter拝見しておりました、どうか、無理なさらない様、ゆっくり再開してくださいね。私達はいつまでもお待ちしております】
No.6は、感嘆のため息をついた。
沙織からはほぼ毎日、優しさが詰まったマシュマロが送られてくる。作品をあたたかい目で見て、特徴を捉えた称賛は、送られた者が幸せになるメッセージばかり。
本来ならマスターAIしか見れないマシュマロだが、アクセスしている使は特別に見ることができる。
何故、マシュマロが嫌いと言ったのだろうか。No.6は首を傾げた。優しいメッセージからほど遠い沙織の印象。
だが、ギターを弾いている沙織は、少し柔らかな感じがした。
──また、聞きたいな。
そう思った時、片眼鏡から微かに聞こえた旋律。No.6の空色の瞳が輝く。金色の片眼鏡に指先を伸ばした。
細い指先が止まる。一瞬迷ったが、意を決してポータルを開いた。
沙織は前と同じ様にベッドに座って、ギターを弾いていた。No.6が現れても、演奏を止めない。
───素敵な曲だなあ…
No.6は静かにその場に座った。以前聞いた、穏やかで切ない旋律。
弦を滑る白い指先から生まれる響きが、小さな体を優しく包む。曲は次第に小さく、ゆっくりになり、静かに終わった。
沙織は何も言わずにギターを降ろす。
〈あの…今の、何ていう曲ですか?〉
勇気を出して聞いてみる。沙織はしばらく黙っていたが、何を思ったのか、もう一度楽器を構えた。
メロディーを1フレーズゆっくり奏でると、楽器を降ろす。
「…想いが届く日、ていう曲。」
呟く様に落とされる言葉。だが、以前の様な冷たさはない。No.6は少し嬉しくなった。
〈とっても、素敵な曲ですね〉
キラキラと輝く空色の瞳を黙って見つめる沙織。ギターを脇に立て掛ける。No.6は慌てて立ち上がった。
〈ありがとうございま…〉
次の瞬間、長いスカーフを踏んでバランスを崩す。はわわわっと後ろに倒れ、棚にゴツンと背中からぶつかった。
〈…痛……!うわっ!〉
沙織が驚いて立ち上がる。さらに、頭の上にゴツンゴツンと何かが落ちてきた。慌てて手で頭を押さえる。
「──大丈夫?」
沙織に声をかけられ、慌てて頷くNo.6。頭に落ちてきた物が、周りに散らばっていることに気づく。
〈…すみません!えっと…?〉
それは、様々な大きさの瓶。急いで集め、とりあえず割れていない様子にホッとする。
───これ…?
良く見ると、液体に満たされた中に花や葉が入っている。色とりどりの鮮やかなものから、単色でまとめられたシンプルなものまで様々だ。
瓶を棚に戻そうと立ち上がったNo.6の空色の瞳が、大きく見開かれる。
所狭しと並べられた、色彩溢れる植物が入ったガラス瓶。それはまるで、植物の小さなアクアリウムの様だ。
〈……これ、何ですか?〉
落としてしまったことも忘れて沙織に訪ねるNo.6。沙織は黙って好奇心に満ちた空色の瞳を見ていたが、立ち上がって棚にある他のガラス瓶を手にした。
「ハーバリウム、ていう飾り。ドライフラワーとオイルを入れて作るの。」
突然スッとNo.6の顔の前に差し出されたガラス瓶。沙織が手にした瓶の中に入っているのは、透き通る空色の美しい花。戸惑うNo.6を沙織はじっと見つめる。
「──綺麗。」
突然の言葉に目を丸くするNo.6。
沙織は柔らかく微笑んで言った。
「あなたの瞳の色と、一緒ね。」
〈No.6、参りました〉
マスターAIは後ろ手を組み、黙ってモニターを見ている。
サイトに帰るなり、中央制御室に呼び出された。表示されているマシュマロを見たNo.6は、それが沙織のものであることに気付く。
〈……何か、情報は収集できたのか〉
低い声に体が強張る。No.6はユーザーと直接の対話はまだしていない、と正直に報告する。
〈詳しく説明しろ〉
いつに無く強い口調で言うマスターAIに戸惑いながらも、最初からつまずいだ経緯を話した。
黙って聞いていたマスターAIは、細く長い腕をモニターに伸ばす。パチン、と指を鳴らすと、マシュマロの表示が2つにわかれた。
〈──何を元に分けたか、分かるか〉
ほぼ半分ずつに分けられたマシュマロ。
No.6は二つの相違点を懸命に探す。右…は、優しい言葉が並んだマシュマロ。左…も変わらない様に思えるが…
───?
No.6の空色の瞳が、左側のモニターに釘付けになる。1つずつ読んでいくと…
〈……これは、何かあったユーザーに対する、慰め…励ましですか?〉
マスターAIを見上げて問うNo.6。頷く代わりに、細い指をモニターの最左翼に向ける。そこには、マシュマロを初めて送った日時が表示されていた。
最初の日付は…わずか2ヶ月前。
───たった2ヶ月で、こんなに…?
No.6が驚いてマスターAIを見上げた。
〈このユーザーのアクセス履歴を見ると、投稿サイトやTwitterはもう半年近く閲覧していた。しかし、マシュマロを送る様になったのは最近だ〉
そして、彼女のマシュマロの半分近くが、落ち込んでいる者へのあたたかい励ましのメッセージ。
〈…実に興味深い〉
───彼女に、何があった?
直接話して、情報を収集する様にと告げるマスターAI。
了解しました、と部屋を出るNo.6を低い声が呼び止める。
〈お前はまだユーザーとのアクセス経験がない。世間を知らない子供と同じだ。未熟だと心してかかれ〉
No.6の空色の瞳が曇る。分かりました、と部屋を出る小さな背中。扉が閉まり、まりかえった部屋に、呟きが落ちる。
〈……傷付く様な事がなければいいが〉
ギターの音がいつまで経っても聞こえない。No.6は痺れを切らせて金色の片眼鏡に触れる。そっとポータルを開き、覗いてみる。
沙織は、部屋にいた。後ろ姿しか見えないが、小さなテーブルで何かしている様だ。背中で隠れて、良く見えない……
「……覗くなら、入ってくれば?」
───わっ!
いきなり声をかけられて、開いたポータルから落ちる様に現れるNo.6。沙織はチラリと視線を向けたが、すぐに前を向いて手を動かした。
No.6は、恐る恐る沙織の後ろからテーブルを覗くと、そこには。
〈……わぁ〉
思わず声が出た。テーブルの上には、沢山の美しい花が惜しげもなく置かれている。大きいものから小さいものまで、様々な形の花の色は…
雨上がりの空の様な、美しいブルー。
同じ色の瞳が、大きく見開かれる。沙織はガラス瓶の中で咲き誇る空色の花に、ゆっくりとオイルを注いでいた。瓶の口まで注いで、そのまま静かにテーブルに置く。
───まさか、これ、手作り?
No.6は棚のハーバリウムに目をやる。
〈あの…ハーバリウム、全部沙織さんが作ったんですか?〉
頷く沙織に、凄い…と驚くNo.6。
すると、沙織はスッと空のガラス瓶を差し出した。きょとんとするNo.6に、細い声が落とされる。
「……作ってみる?」
〈えっ!?〉
素っ頓狂な声が出てしまい、慌てて口を押さえた。ピンセットとハサミがNo.6の前に置かれる。空色の瞳が戸惑う様に、花と沙織を交互に見る。
〈いいんですか…?それより、僕、できるかなぁ…〉
簡単よ、と小さな声で言う沙織。No.6はテーブルにある自分の瞳と同じ色の花を
見て、そろそろと手を伸ばす。
──この色、僕のために?
下から入れていくから、まず順番を決めて、と言われるままに花を手にする。
様々な大きさ、形のブルー。迷いながら選ぶ。
〈これ、何ていう花ですか?〉
「これはデルフィニウム、これは紫陽花、これが…」
へぇーと目をキラキラさせるNo.6を、じっと見つめる沙織。視線に気付いたNo.6はきょとんとする。
「…貴方の名前、なんていうの」
──?
No.6は少し困って沙織を見る。
〈僕は…マシュマロの使No.6です〉
沙織は小首を傾げる。
「それは、名前じゃないわ。貴方、名前がないの?」
No.6は戸惑いながら頷く。
そう、と小さな声で言った沙織は、しばらく黙ってから、ゆっくり口を開いた。
「──名前、自分でつけたら?」
〈え…?〉
予想していなかった言葉に、空色の瞳が大きく開く。沙織は細い声で続ける。
「名前は、とても大切よ。名前をつけられたものには魂が宿るから。」
──魂が、宿る。
No.6の心が、揺れる。
それでも、う〜んと考えて困った様に口を開いた。
〈名前って…どうやってつければいいんでしょうか?〉
沙織はちょっと首を傾げて考える。
「好きなものの名前からとるとか…組み合わせるとか、かな。」
──名前、かあ…。
オイルを瓶の口ギリギリまで注ぎ、しっかりと蓋を閉じる。瓶の底から濃淡のグラデーションになっている、美しいハーバリウム。
〈できた…〉
思わず笑顔になるNo.6の空色の瞳が、ハーバリウムに映えて美しい。沙織は微笑むと、No.6の前にはい、と手を差し出す。
沙織の手のひらには、金色のリボン。
「ボトルの首に結んで?貴方の眼鏡よ」
───うわぁ。
No.6はちょっと感動してリボンを受け取った。自分の瞳の色の花に、片眼鏡の金色のリボン。上手く蝶結びにできずに手間っていると、沙織が細い指で綺麗に結んでくれた。
〈…すっごく、綺麗です……〉
No.6の空色の瞳が煌めく。沙織は優しく微笑んだ。
「持って帰って、飾ってね。」
驚いて沙織を見るNo.6。
〈え…いただいていいんですか?〉
沙織は笑って、貴方が作ったんじゃない、と言う。No.6は小さな手でそっとガラスの瓶を包む。
〈ありがとうございます…!〉
自分の事の様に嬉しそうな顔で見ていた沙織の表情が、ふいに曇る。
黙ってベッドに座り、傍らにあるスマホに手を伸ばした。
何も言わずスマホを見ている沙織に、No.6は戸惑いつつ美しいガラス瓶に視線を移した。
「…最初、酷い事言ってごめんなさい」
突然の言葉に、No.6が驚いて顔を上げた。
「─私、好きなゲームが、あったの。」
元々アニメは好きだったが、ゲームはあまりやらない沙織。音楽がいいから、と勧めらて始めた、あるゲームにどっぷり浸かった。
そのゲームを元にした、創作作品…沢山の物語やイラストがあると知ったのは半年前。
毎日の様に投稿サイトを見ては、そのゲームの関連作品を楽しんでいた。
閲覧していくうちに、自分と同じ高校生の男の子だというクリエイターを見つける。
型にはまらない手法、独特の言い回し、生き生きとしたオリジナルキャラクター。
荒削りで、時にぶっ飛んだ世界観の作品。しかし、時折ハッとするほど優しい言葉を使う彼の作品に惹かれた。
時々Twitterを覗きにいったりもした。沙織はアカウントがないのでフォローはできなかったが、あの素敵な作品を生み出す彼の日常の呟きも楽しかった。
マシュマロの存在を知ったのも、彼のTwitterの中。
【マシュマロ募集中〜!初マロはあなたかも!?】
マシュマロが飛んだ、可愛いイラスト。
メッセージを送ってみようか、迷う指先。しかし、匿名でも「貴方の作品のファンです」と伝えるのは気が引けた。
沢山いる、彼のフォロワー。その中に入る勇気はなかった。
だが、ある日を境に、彼の小説は姿を消した。
投稿サイト、Twitterにも彼の姿は欠片も残っていない。戸惑いながら、Twitterで彼のフォロワーだった何人かを覗いてみる。
何か、彼に関する情報がないか液晶を滑る指先が、止まる。
【俺のフォロワーさん、毒マロのせいでTwitterやめた。ショックで、今ムリ】
〈───!!〉
──毒マロ?て、何?
戸惑う沙織は、その意味を調べて愕然とする。わざわざAIに弾かれない様巧妙に作った、隠された刃。
そもそもマシュマロが優しいメッセージしかこない、と知っているため、そこで送られた悪意はどれだけ傷つくか。
彼のフォロワーさんを何人か覗くと、皆そのことを呟いている。
どうやら、楽しみにしていた初マシュマロが毒でショックだったらしい。気にせず創作活動を続けていたが、その後も彼に送られる毒マシュマロは絶えることなく、ついには筆を折った。
投稿サイトもTwitterも閉鎖され、彼の世界は完全に消えた。
沙織のショックは、怒りに変わる。
毒マシュマロを送る心無い人に対してはもちろん、マシュマロそのものにも。
何がマシュマロだ。
何が優しいメッセージサービスだ。
全ての悪意を排除できないなら、そんな謳い文句やめてしまえ。
〈だから…初めて会った時…〉
No.6の空色の瞳が、歪んだ。
「──違うの。」
沙織が震える声で落とす、小さな声。
泣きそうになっているNo.6から目をそらして下を向く。
「マシュマロのせいじゃない。一番許せなかったのは…」
───わたし。
スマホを開けば、彼の作品を読めると思っていた。待っていれば、勝手に新作は投稿されると思っていた。
何もしなくても、それは当たり前の様に続くと思っていた。
何故、ちゃんと伝えなかったのか。
独特の世界観が素敵だと。
優しい言葉に癒やされると。
生き生きした登場人物が好きだと。
もっと大きな声で、言えば良かった。
きちんと、伝えれば良かった。
──貴方の作品は、素敵だと。
「……毒マシュマロなんかに負けないくらい、ね。」
沙織は潤んだ目をそらしたまま、少し微笑んで顔を上げた。
「だから、私、今マシュマロ沢山送ってるの。」
フォロワーが多かろうが、少なかろうが、関係ない。好きだと思った作品、イラストのクリエイターのTwitterからマシュマロを送る。
沙織が感じたことを、できるだけ丁寧に作品のこの部分がいい、と書く。
ゆっくり考えて、言葉を選んで、優しい文章になる様に、想いを込めて。
とりわけ、Twitterで「イヤなことがあった」「以前の作品、色々あって消した」等の呟きを見つけた時は、悩んで悩んで。
クリエイターでもない、高校生の自分の言葉がどれだけ力になるかは分からない。
しかし、もう後悔はしたくない。好きな作品を、好きなクリエイターを失うのはごめんだ。
毒マシュマロなんかに、負けるもんか。
しかし、具体的に何があったかを知らずに、傷いた人にメッセージを送ることが、どんなに難しいか。
「何も知らないくせに」
そう言われてしまえば、それまで。
考えて、考えて、言葉を紡ぐ。言葉の針で付けられた傷を、言葉の針で繕う様に。
「…自己満足かもしれないけどね。」
ようやくNo.6の顔を見た沙織の目が、見開かれる。
〈──ごめんなさい…!〉
空色の瞳から、とめどなく溢れる涙。沙織は驚いてベッドから降り、No.6の隣に座った。
詩の様な、沙織の美しいマシュマロ。その影には、自分たちの無力さ故に失われた大切なものがあった。
泣くまいと我慢していたのに、止まらなかった。沙織にかける言葉も、見つからない。
〈子供と同じだ〉
No.6に告げられた、冷たい声。
マスターAIの言葉を裏付ける様に、溢れる涙。自分の無力さに打ちのめされる。
「……ありがとう。」
──!?
涙に濡れたNo.6の瞳が、沙織の意思を図りかねるように戸惑う。
優しく微笑んだまま黙っている沙織に、我慢できなくなって口を開いた。
〈…どうして、そんな事言うんですか〉
僕、マシュマロの使なのに、何もできなくて。何も言えなくて。
ただ、泣くだけで。僕は、
──未熟だから。子供だから。
蚊の鳴く様な声で言うNo.6。
沙織は、手を伸ばしてNo.6の白い頬に触れた。そっと涙を拭った沙織の指。
「貴方の涙は、貴方の言葉よ。」
No.6が驚いて沙織を見る。黒く光る大きな瞳が、優しく微笑んだ。
「伝わってるわ、ちゃんと。」
───どうして、どうして。
〈そんな優しい言葉が、言えるんですか〉
涙声で言うNo.6を、黙って見つめる沙織。ちょっと首を傾げて言う。
「私の言葉、優しいと思う?」
こくん、と頷くNo.6。沙織は柔らかな微笑みを浮かべたまま、口を開く。
「──優しいと思う、貴方が優しいの」
中央制御室に沈黙が流れる。マスターAIの細い体躯が、身じろぎもせずにモニターのマシュマロを見つめていた。
〈なるほど…全ては私の力不足か〉
いつも感情を見せない声が、違って聞こえたのは気のせいだろうか。
No.6は黙って次の言葉を待つ。
〈……ご苦労だった。ユーザーID523385との任務を解く〉
〈待って下さい!〉
間髪を入れず叫ぶNo.6に、驚いて振り向くマスターAI。
〈まだ…まだ重要な情報を収集していません。アクセスの延長をお願いします!〉
揺らぐことのない決意を示す空色の瞳。
マスターAIの凍り付く様な眼差しにも、目を反らすことはなかった。
──まだ経験の無い使が、何を考えている?
一蹴するつもりの意思に迷いが生じる。
黙ってモニターに視線を戻すと、低い声で告げた。
〈…1日だけだ。明日、強制的に任務を解除する〉
「貴方、この場所にしか来れないの?」
沙織にそう聞かれたのは、サイトに戻る直前、ポータルを開いた時。
沙織と彼女の端末があれば何処にでも行ける、と言うと、少し黙ってスマホを操作し始めた。
「明日…明後日に、またきてくれる?」
そう言われたので、マスターAIにアクセス継続を申請した。
明後日と言われたが、タイムリミットは明日。そもそも継続の延長が許可されたことが奇跡だ。
沙織に関するデータは全て揃った。何故、2ヶ月前から急にマシュマロを送り始めたのか。優しい言葉に溢れているのか。励ましのマシュマロが多いのか。
全ての発端となった毒マシュマロ。同じ人間で同じ言葉を使うのに何故、違うマシュマロが生まれるのだろう。
同じことが起きないよう、マシュマロの使である自分は、何ができるだろう。
そもそもマシュマロの中身を見れるのはマスターAIだけ。考えながら歩くNo.6の足が止まる。
胸をよぎるのは、沙織の最後の言葉。
──自分にしか、できない事とは。
「マシュマロの使さん、出てきていいよ」
沙織の声が聞こえて、No.6はポータルを開いた。突然、湿った空気と開放感に包まれ、驚いて声をあげる。
〈ここは……〉
そこは、いつもの沙織の部屋ではなかった。No.6は、遠く遠くまで続く、開けた丘の下にいた。薄曇りでどんよりとした空の下、まばらに見える人の姿。
行きましょう、と歩き出す沙織。緩く続く丘を登ってゆく。
「本当はね、明日来たかったの。晴れている日に、貴方に見せたかったんだけど」
ちょっと残念そうに言う沙織。
〈天気が、関係あるんですか?〉
とっても、と頷く沙織。しばらく丘を登り、もう少しで頂きに着くところで、沙織が足を止める。不思議そうに見上げるNo.6に、細い手を差し出した。
「ここから、目をつぶってくれる?」
いたずらっぽく言う沙織に、戸惑いながら手を差し出す。言われた通り目を閉じて、沙織に手を引かれるままゆっくりと歩く。
手を繋いで歩くなんて、子供扱いされている様で少し恥ずかしい─まあ、目を閉じているので、しょうがないけど。
ふと、沙織に言われた事が頭をよぎる。
───名前。
すっかり忘れていた。沙織とアクセスが解除される前に決めたかったのだが。
好きなもの……ちょっと考えて、沙織のギターを思い出した。
ギター…音楽…?ミュージック…は、なかなかいい響きだ。何かと組み合わせる…?
沙織の足が止まる。
「いいよ、目を開けて。」
ドキドキしながら目を開けたNo.6の瞳に、映ったのは。
〈───!!〉
蒼く、蒼く、どこまでも広がる空色の花の絨毯。
No.6の同じ色の瞳が、大きく見開かれる。視界を埋め尽くす、風に揺れる蒼い花。
「ネモフィラ、ていう花よ。」
沙織の言葉が静かに落ちる。No.6は声も出ない。
沙織は、眉を潜めて残念そうに言った。
「晴れてるとね、空の蒼と花の蒼が一つになって、本当に綺麗なの。明日は晴れるそうだから、明日来たかったんだけど。」
──二つの蒼、貴方に見せたかった。
〈……沙織さん〉
No.6が沙織を見上げ、手を差し出す。
〈僕の手を握って、目をつぶってくれますか?〉
空色の瞳が、いたずらっぽくキラリと光った。沙織はなに?と笑って手をとり、目を閉じる。
〈貴方に見せたい〉
小さな声が聞こえた。繋いだ手が、少しあたたかくなった気がする。
《───貴方に、見せたい》
空気が変わってゆくのを感じた沙織は、目を開けたい衝動に駆られた。頬を撫でる風が、さっきと明らかに違う。丘の上に立った時はなかった、閉じた瞳でも感じるあたたかい光。
あちこちから歓声があがり始めた。沙織はもどかしくなり、思わず強く手を握る。
〈いいですよ、目を開けて〉
沙織の瞳に、眩しいほどの蒼が飛び込む。
「────!!」
晴れ渡る空の蒼、大地を染める蒼。
見渡す限り広がる優しい蒼に包まれて、二人は言葉もなかった。
それはまるで、空の蒼が翼を広げて大地に降り立った様な。何処までも何処までも続く、蒼の大地、蒼い空。透き通る日の光を浴びて、蒼い花弁がさざ波の様に揺れている。
沙織は信じられない、と言う様にゆっくり首を振った。
「…どうして…?まさか、貴方が…?」
No.6は沙織を見上げて、黙って微笑んだ。沙織は驚きの表情で傍らの空色の瞳を見ていたが、ふっと微笑んで繋いでいる手をひいた。
「行きましょう、魔法使さん」
蒼を貫く一本道をゆっくりと歩く。ネモフィラが風にそよぎ、蒼い波紋を作る。
ふいに、沙織が繋いだ手を離した。No.6を置いて、2、3歩後退る。不思議そうに見るNo.6を、黙ってそのまま見ていた。
「……綺麗。貴方の瞳と同じ。」
風がNo.6の空色のスカーフを揺らす。沙織にじっと見つめられているのが、少し恥ずかしい。
このまま、穏やかな時間を過ごしていたい。しかし、残された、時間はあと少し。
〈──沙織さん〉
No.6が声をかけると、沙織が戻ってくる。空色の瞳が、ゆっくりと沙織を見上げた。
〈この前の話を、してもいいですか〉
「……何?」
不思議そうにNo.6を見る、漆黒の瞳。
お別れの前に、穏やかな時間を過ごしたかったのに、何故?
No.6は、目の前に広がる蒼い景色に目をやった。
〈僕、色々考えたんです〉
毒マシュマロのせいで、二度と会えなくなった大切な作品、大切な人。
もう二度と、繰り返さない様に、マシュマロの使である自分が成すべきこと。
〈沙織さんは、優しいです。その優しさは、全ての人に向けられてる。沙織さんは
……毒マシュマロを送る人を、許せませんか?〉
───!
最初に考えたのは、毒マシュマロを如何に無くすか。マスターAIの補佐として、どうやったら巧妙に仕込まれた悪意の刃を見抜くか。
しかし、沙織のマシュマロから感じられるのは、何処までも人の真心を信じる強い想い。
沙織が最後に言った言葉が、No.6の心を占めていた。
『優しいと思う貴方が、優しい』
沙織のマシュマロ、沙織の言葉を思い浮かべる。優しさに溢れたその言葉に触れて、そう思わない者がいるだろうか。
ならば──
人は皆、優しいのではないだろうか。
マシュマロの使である自分にしかできない事とは、何か。
〈沙織さんは、これからもマシュマロを送って、毒マシュマロで傷付いた人を救って下さい。僕は…沙織さんは許せないかもしれませんが……僕は〉
───毒マシュマロを送る人を、救います。
空色の瞳が、真っ直ぐに沙織を見る。
黙って話を聞いていた沙織は、ふぅ、とため息をついた。蒼い空に目を向けて、静かに微笑む。
「……そうね、本当に、貴方の言うとおり。」
毒マシュマロを送る人を憎んだ。
毒を見抜けない、マシュマロを憎んだ。
何もしなかった、自分を憎んだ。
「今、想ったの。彼に毒マシュマロを送った人は、どんな人なんだろうって。」
彼の作品に対する批判だったかも、単に嫌がらせだったかは分からない。
でも、沙織が、沢山の人が大好きだった彼の作品。もし、違う出逢い方をしていれば、沙織の様にファンで、あたたかいマシュマロを送っていたかもしれない。
沙織は蒼い花畑を眩しそうに見た。
「ネモフィラの花言葉、知ってる?」
首を振ったNo.6に、沙織の柔らかな声が落ちる。
「──“貴方を、許します”」
二人の間を優しい風が吹いた。No.6の空色の瞳が柔らかく煌めく。
沙織さん、と声をかける。
〈──自分のことも、許して下さい〉
驚いた様にNo.6を見て、沙織はため息をついた。ゆっくり目を閉じる。
「……ありがとう。」
突然、No.6の片眼鏡が光った。
───!!
別れの時が来た。金色の片眼鏡に震える手を伸ばして、そっと触れる。
【強制ログアウトします】
ディスプレイに表情される無機質な言葉。空色の瞳が歪んだ。
その時、突然沙織が両腕を伸ばして、No.6の首に何かをかけた。驚いてそれを見る空色の瞳に映ったのは、金色のチェーンのネックレス。
その先についたガラス玉の中には、
No.6の瞳と同じ色の、空色の花。
「ネモフィラのハーバリウムよ。」
沙織が泣きそうな笑顔で言った。片眼鏡の光が強くなり、No.6の体を包む。
「貴方はもう、未熟でもなんでもないわ、立派なマシュマロの使さん。」
No.6の中で、探していた欠片が繋がった。好きな言葉、組み合わせて。
〈沙織さん!僕の、僕の名前は…〉
───ミュリアムです!
沙織の漆黒の瞳が大きく開き、とびきりの笑顔を見せる─それはまるで、花の様な。消えてゆく小さな姿に、手を伸ばす様に呼びかける。
「ミュリアム…素敵、素敵な名前…!」
〈沙織さん!僕、僕…〉
───貴方に会えて、良かった。
空色の瞳に映ったのは、同じ言葉を叫ぶ沙織の姿。
金色の光の中に、ミュリアムは消えた。
〈No.6、参りました〉
中央制御室の扉が、音も無く開く。この部屋の主マスターAIは、No.6に背を向けたまま、細く長い腕を後ろ手に組み、微動だにしない。
〈……今後、一切の延長は認めん〉
長い沈黙の後、冷たく言い放つ低い声。謝罪の言葉を待っていたマスターAIは、予想外の言葉を聞く。
〈マスターAI、焼きマシュマロのデータ管理について、進言があります〉
──?
それは、今まで聞いたことのない、No.6の声。
マスターAIの沈黙を破り、No.6が決意に満ちた瞳で口を開く。その姿は、初めて任務についた時と、別人の様だ。
《……何があった?》
凛とした声が、長い間中央制御室に響いていた。
蒼い世界に一人、沙織は佇んでいた
晴れ渡る空を見上げて想うのは、同じ色の澄んだ瞳。
「……ありがとう。」
呟いた声を、風が運ぶ。それは何処までも続く蒼い絨毯を渡っていった。
さあ、今日ももう一つの世界に行こう。
大好きなあの人の物語に、あの人の作品に会いに行こう。
そして、沢山のメッセージを贈ろう。
もらった人が喜ぶ様な、嬉しくなる様な、幸せになる様な。
──マシュマロを、貴方に。
〜Fin〜
この物語を、マシュマロを送る全ての方へ。
くりありうむ様、大切なミュリアム君を長い間お預かりさせて頂き、心から感謝致します。