第31話 オリガの心臓
神殿の中央に氷像がそびえる。それはもちろん、氷漬けにされた巨人であった。
あまりの冷たさに、カナタが息を吸うと肺が凍りつくよう。白い息を吐きながら、彼はイオナを見やった。
「.......! .......! ........!!!)」
身振り手振りで何かを伝えようとしているイオナではあるが、残念ながらカナタには伝わらない。恐らく「やった! やりました! カナタ様!!!」だろうと察したカナタは、小さく頷くことでそれに応えた。
今や神殿内には冷気とともに、白いもやのようなものも充満し始めていた。
「しかし、歌魔法ってのはすさまじいな」
カナタは瓦礫から立ち上がり、氷像に手を触れる。そのあまりの冷たさに、手がかじかむ。
その時、ポツリとカナタの鼻先に水滴が触れた。
「......」
氷像をふり仰ぐ。すると、ポツリポツリと氷像の表面からは絶え間無く水滴が生まれていた。そして充満したもやは次第に濃くなり、視界が遮られるほど。
おかしい。何かがおかしい。そう、カナタは感じた。
氷に閉じ込められた生物の体温によって、少しばかりの氷が溶けることはあるだろう。だが、この水滴の量は異常だ。そしてこの白いもやはもしかして、熱によって蒸発した水分が神殿内の冷気に当てられ、霧が生じているのではないか?
そうカナタが思考を巡らせた瞬間。
「ーーッ!」
氷像に亀裂が走る。最初は小さな亀裂だったが、次第にそれは大きくなり氷像全体に至る。
間違いなく。巨人は、まだーー
瞬間、甲高い音が響くのをカナタの耳は聞いた。そして見た。暴風が吹き荒れ、霧が渦を巻くのを。それは間違いなくこの霧の中で何かが動いている証拠。そして霧が、一斉に晴れた。
炎だ。巨人はその体表に漆黒の炎をまとっていた。それはまるで、赫怒の具現。絶対零度の中においても、決して消えることのない憤怒の炎獄。
「オリガアアアああああああああアアァァァァアアアアアアアアアあああああああああああああ!」
そして炎の中、巨人は長く、長く絶叫した。
「チッーー! これでも、ダメか......」
こぼしながらカナタはすぐさま距離を取る。そして、今まさにこちらへ駆け寄ろうとしていたイオナを手で制した。「そこを動くな」と。
血に濡れた手で、カナタは対物ライフルのグリップをしかと握りしめる。すると、カナタの意思によってデミウルゴスは変容した。わずかな煙を吐き出しながら銃身が折れ曲がり、刀身が覗く。トリガーはグリップ内に収納され直立し、それは剣の柄となった。
その柄をカナタは、逆手で握りしめる。
ーーオレの心臓が動けば、まず間違いなくお前の存在が耐えきれない。
ーーオレという存在に上書きされ、お前という存在は消えてしまう……。
そして思い出す。オリガの言葉を。
「(あいつの生命力は異常だ。【保身なき代償執行】でも、倒せるかかどうかわからない)」
ーーだからカナタ、お前自身の心臓を止めるな。
ーー止まればオレの心臓が動き出すからな。
「(歌魔法でも打倒し得ない)」
ならば、と。カナタはデミウルゴスの切っ先を、自らの心臓へと向ける。
「カナタ様っ⁉︎」
イオナの目が驚愕に見開かれ、絶叫するも、カナタには届かない。
「おい!」
カナタはニヤリを口の端をあげ、絶叫を続ける巨人へと言う。
「そんなにオリガに会いたいなら、会わせてやるよ」
デミウルゴスはいともたやすくカナタの皮膚を裂き、肉を断ちそして、心臓を貫く。背中からは血に濡れた刀身が覗いた。
「がはっーー」
四肢は力を無くし、膝が折れる。傷ついた胃や食道から流れ出る血液をカナタは口から吐き出した。【代償執行】を唱える余裕なんてもちろん、ない。
「ーー! がぁああっああああアアアァァァあ!」
カナタの絶叫が虚空に響く。自身の心臓を刺し貫いた痛みとは別の痛みがカナタの体内から生まれだしたのだ。
脈動。
カナタの心臓が停止したことをきっかけに、”オリガの心臓”が動き出す。
「グッーー! がぁあっぁああ!!!」
デミウルゴスを引き抜くと、鮮血がカナタの胸から吹き出し、それが雨のようにカナタの周囲の地面を濡らす。その濡れた地面にうずくまり、カナタはのたうちまわった。心臓の脈動に合わせて体が跳ねる。明らかに人の容量を超えた血を撒き散らしながら、カナタは吼え続ける。
自身の骨に真っ赤になった熱い鉄を流し込まれているような痛み。血管を全て引き抜かれ、新たな管を全身くまなく挿入されているような痛み。皮膚剥がされ肉を削がれ、むき出しの神経に熱風を吹き付けられているような痛み。そして、内部から自分が他人に塗り変わっていくーー痛み。
自分という存在がひどく朧げになる。溶けるように個は融解し霧散していく。カナタにとって、それが何よりも痛かった。
「っぐ……がぁぁあ! ッツ‼︎」
カナタの体から紅の湯気が立ち上る。傷ついた身体を修復するための、過剰な細胞分裂による熱。その熱が血を蒸発させているのだ。肉体の脈動は未だ止むことない。
そんな変体の中、「ぁ.......っ.....」カナタはゆっくりと立ち上がった。
今カナタの喉から響く音は、先ほどの虚空を震わせる絶叫ではなく、地に響くような呻り。そして、瞳は胡乱で光を宿してはいなかった。その様はまさしく、廃人。
「カナタ様っ! ーーしっかり、してほしいのです!」
カナタの制止を無視し、息を切らせ彼の側までやってきたイオナの悲痛を孕んだ声が、響く。
「カナタ様はカナタ様です。どうか自分をなくさないで‼︎」
イオナはその小さな手で、力なく下げられ血に濡れたカナタの手をゆっくりと握る。だが、カナタは一切反応しない。
イオナは瞳から止めどなく涙が流しながら、カナタをまっすぐ見つめ、呟く。
「それでも、もし。もしカナタ様が自分を見失ったとしまったら。あなたが、私にそうしてくれたように......」
まだカナタとイオナがこの地で出会ってから、数日の時しか流れていない。だがイオナにとってカナタは、死を待つしか無かった自分を助けてくれた。あの凄惨な事件をきっかけに、ぶっきらぼうで乱暴な人へと変わってしまったカナタ。だがそれは、無辜の人々の安寧を壊した世界への、敵への怒りゆえだということも、イオナは理解している。だからこそ、カナタと行動を共にしたのだ。過ごした時など関係ない。カナタはイオナにとって、大切な人。
イオナはゆっくりとその手を離し、包み込むようにカナタの頭にその手を添える。
「私がーー私が必ずカナタ様を見つけます。だからーー」
ーーだからこそ失うということは考えられない。だって自分はまだ、この人に何も恩を返せていない
ーーだからこそすがる? それは違う。責任も打算も関係ない
ーーだからこそ私は、ただこの人と一緒にいたい
「帰ってきてーーカナタ」
涙を溜めたその瞳でしか見つめながら、そっとカナタに口付ける。そして、まるで母鳥がその羽で雛を優しく包み込むように、カナタを抱きしめた。
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