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8.それぞれの思い

 





 アスティアとの優しい朝を過ごしたカーディルは、王の間の一室で軍務長ユーニード=シャルべから報告を受けていた。




 軍務長とは作戦立案や補給の管理、部隊編成に関して王、或いは騎士団長に上申を行い、更に内務に関しては実行責任者でもある事務方の長である。


 アスト達からの詳細な任務内容の吟味はこの後行われるが、そういった情報以外の委細も重要なため、時間が許す限り普段から謁見している。


 また王の間とは所謂玉座の間だが、正面の大扉から真っ直ぐに玉座まで伸びる赤絨毯や高い天井を支える柱だけでなく、その左右には大小5つの部屋が配置されている。


 魔獣関連、国内経済、物資の供給、治安維持、祭祀等の議事は毎日の様に行われており、カーディルの臨席如何に問わず各専門の長が中心となって活発な意見交換が行われる。勿論最後に決定するのは王であるカーディルだが、各部屋には地図や調査書、歴史書などが絶えず更新され、まさしくリンディアの中枢と呼べるだろう。


 因みに、本来ならば他国との外務を司る部門があるが、現在では意味を成していない。リンディア以外の国が無事なのかすら不明だからだ。



 ユーニードは白く染まった髪を薬料で撫で付けた頭を左右にふりながら、大量の書類や地図を机に並べている。瘦せぎすな体に鋭い眼光は見る者に威圧感を感じさせるが、実際に冷静な或いは冷徹冷酷な軍務長として知られ、自身もそれを否定しない。感情だけでは滅びの運命から逃れられないと信念を持っているからだろう。


「陛下、北限のユニス村が森にのまれた事が判明しました。もともと無人ではありましたが北部の森の侵攻は想定より早く、何らかの対策を講じる必要があるでしょう」


「北部地域で残る町や村はこれで殆どが消えてしまったか……ユーニード、次の住民の移動や住居の準備は進んでいるか?」


「はい。工程は9割以上が完了致しました。残りも問題ありません。これが本日までの工程進捗書です」


 カーディルは軽く目を通し頷いた。


「流石だユーニード。ただ北部への部隊配置も再度練り直さなければならないな。以前からの予定通りに進めるが、変更点があれば言ってくれ」


「その点ですが……陛下、改めて具申致します。北部マリギの森に侵攻し、あの地域を取り戻しましょう。マリギの町はまだ森にのまれてから数年、復興も十分可能です。町を橋頭堡とし、更なる侵攻も可能になるでしょう」


「ユーニード……森を切り開こうとすれば即座に魔獣どもが襲い掛かってくる。どれだけの犠牲を出すかわかっているのか? お前の息子も帰って来れなかったではないか……いや……すまん、それは余計なことだな……」


「御配慮痛み入ります。しかし陛下、座しては滅ぶのみです。確かに犠牲は避けられないでしょう……ですから損耗を最小限に抑える作戦も立案済みです。何処かでやらなければならない事は陛下もよくお分かりのはず」


「ああ、だがカズホート王国の例もある。彼の国は小国だったとはいえ森に隣接した国だ。ある意味で我が国より森に詳しく、軍の構成も練られたものだった……だが結果は知っての通りだ。カズホートは一晩で滅んだのだぞ? 魔獣が群れを成して来たらリンディアですら簡単に滅ぶかもしれん」


「カズホートは森の資源を残すため<燃える水>を作戦に使いませんでした。それが敗因だったのは間違いないでしょう。火の刻印持ちも隊に組み込み効果を増大させれば、十分に勝機はあると考えます」


「燃える水か。確かに反撃に転じる必要は理解している……そうだな、もう一度作戦書には目を通しておく。今はそれしか言えない、わかってくれ」


「……はっ」


 カーディルはユーニードの目に魔獣への憎悪が強く滲むのを見て取れる事が悲しかった。




 ○


 ○


 ○




「アスト、ケーヒル、ご苦労だったな」


「陛下、ただいま帰還しました」


 玉座に座るカーディルを見上げアストはゆっくりと答えた。王の間にはユーニードも入れて4人だけだ。公務である以上親子としての会話は後になる。


「さて、黒の森周辺部の調査はまだであろう。早い帰還となった理由を教えてくれ」


「はい。黒の森に至る前、休息地の丘で中型魔獣二匹に攻撃を受けました。ご存知の通り、街道からもほど近く森も彼方の場所です。想定外の戦闘により、騎士テウデリク一名が死亡。原因は油断していた私を魔獣から庇った事での一撃です。彼の遺体はその場で火の清めを行い、ヴァルハラへと」


 俯き唇を噛むアストを見ると、真っ直ぐに育ってくれた喜びと共に、こんな時代でなければと思う。父として誇りに感じるべき事なのだろう。


「……そうか。テウデリクには心から礼を尽くさなけれならない。王として強き騎士は何よりも輝く宝だ。また一人の親として感謝の念は尽きない」


 暫しの黙祷でヴァルハラへの道が平坦である事を祈った。


「……テウデリクの遺品があります。出来るだけ早く家族の元に届けたいと。また丘陵地に魔獣が現れた事を各隊に伝達したい事、部隊の再編を行う事、救助者が一名いた事、以上の理由により作戦を中止する判断を致しました」


「うむ、お前の判断は間違っていない。そうだなユーニード?」


「はっ、殿下のご判断で間違いないかと」


「ケーヒルは何かあるか?」


 ここまで語る事がなかったケーヒルは、初めてカーディルの目を見た。


「そうですな……あの休息地に二匹も現れた理由が気になります。今までの調査でもあのような事はなかった。ただの偶然なのか、奴等があの場所に来る理由があった……」


「どうした……?」


 ケーヒルの突然の沈黙が気になったカーディルは問う。


「いえ、申し訳ありません。何にしても他の休息地での待機体制も変更しないといけないでしょうな」


「ふむ、詳しい事は今後詰めなければならんな」







 その他の様々な報告を一通り終え、一先ず落ち着き空気が弛緩したのを感じたカーディルは、急に悪戯好きな子供のような顔になって息子を見た。


「アストよ。先程報告のあった救助者とやらは、随分美しい娘だそうだな? お前が大事そうに抱き抱えて帰ってきたと噂になっているぞ? おまけに誰にも触れさせなかったらしいな」


「なっ……何を言われるのです! 子供の上、怪我もしていましたので、大事をとっただけのこと。変な勘繰りはやめて下さい!」


「ほぉ……クインまで引っ張り出してとは、随分だと思ったのだがな? くくく……どうやらこれは父と息子として話さねばならないようだな。よし、ユーニード」


「はい」


「黒の森周辺部の調査はどちらにせよ早急に行わなければならない。すぐ編成に取り掛かってくれ」


「はっ、ではすぐに」


 ユーニードは、一礼をして王の間から去って行った。







 自室へ向かう最中、ユーニードは先程から頭にある違和感が何なのか分からず立ち止まった。


「そうか……クインだ。救助者が孤児だとしたら、王都内にも孤児院はいくつもある。ましてやこの時代、子供を亡くした親も多く里親探しにも困らない。城まで連れ帰るのも珍しいがクインに預けるなど、そもそもおかしい。子羊一匹に小隊をぶつけるようなものだ」


 ユーニードはクインが大変有能な女性である事を知っている。薬学、神学、神代文字に明るく、一流の侍女でもある。頭脳も明晰で王族の相談役を仰せつかってまでいる。だが子守に向いてはいない……いや出来なくはないだろうが、適任は他に幾らでもいる。


「ふむ、少しだけ調べてみるか。結果が殿下の想い人だったなら、それはそれで目出度い」


 違和感が解けたことで、ユーニードは再び歩き出した。









「で? アストよ、その娘について何かあるのだろう?」


 カーディルはあの場で話を広げたくない事を察し、ユーニードを遠ざけたのだ。それは信頼の有無でないが、父として何かを感じ取ったのだろう。


「陛下、いえ父上……先程の報告には入れていない事があります。実は……テウデリクが庇ってくれた時、私も魔獣の一撃を食らいました。死んでもおかしくなかったのです」


「なっなにっ! 大丈夫なのか!?」


 予想していなかった返答にカーディルも驚きを隠せず、立ち上がりアストに近づいた。愛する、今は亡き妻から授かった息子に視線を送る。体中を確認するカーディルは大国の王では無く、一人の父親だった。


「父上、大丈夫です。もう殆ど完治しています。ただその事と連れ帰った少女についてお伝えしなければいけないのです」


 アストはあの日に起きた全てを話し始めた。







「……そんな事が本当にあったのか? とても信じられないが、ケーヒルも見たのか?」


「はい、むしろ意識が朦朧としていた殿下より私の方がはっきりと見ていたと言えます。全てが本当に起きた事です、陛下」


「それでクインか。刻印が3階位、しかも4つの刻印と? 凡ゆる文献にも、言い伝えにも限界は2つとされているが……そもそも使徒は減少の一途を辿ってもいる」


「今はクインに任せていますが、当面情報は伏せた上で私が責任を持って保護したいと思っています。許可頂けますか?」


「ああ、寧ろそうする他ないだろう。ましてや、聞けばアストの命の恩人ではないか? 十分な対応をすることを許可しよう。部屋は来賓用の"黒の間"を使え。今や彼処を使う事もないからな。それと典医を呼んでおくか? クインが様子を見る以上大丈夫だとは思うが、念のためだ」



 この黒の間は後に"聖女の間"と名前を変え、和希(カズキ)のための部屋となるがそれはまだ先の話だった。





 ○


 ○


 ○





 クインはアスト達と別れたあと、来客用の浴場に向かっていた。見れば赤黒く汚れた服一枚しか着ていないし、下着すらも付けていなかった。黒髪も血や泥だろう汚れが付いたままだ。今の時間は人の流れも少ないが、念のため首元の刻印は持っていたハンカチを掛けて隠しておく。一人二人とすれ違う際はギョッと目を見開き何かを言いたそうな様子だが、連れているのがクインと知ると軽く頭を下げて去っていった。


 年齢はおそらく12から15といったところだが、初めて見る姿に確証はない。しかしクインとしてはやはり刻印が気になってしょうがない。これから刻印を刻んだ神々はどの柱なのか、何よりどういった加護なのかを調べなければならない。その為にも早く体を清めなければいけないだろう。


 漸く到着した浴場のドアを開けるため、一度少女を優しく下ろす。壁に寄りかからせたあと、懐から専用の鍵を取り出しドアの錠を解除した。もう一度少女の膝裏と背面に両腕を回し、優しく抱き上げて中に入る。


 更衣室には新品の下着、体を拭く綿の手拭い、来客用の予備品であるネグリジェや簡易ドレス等が常備されている。以前はもっと種類もあったらしいが、たった一人の少女ならば十分な量だろう。準備をする為、いくつも配置してあるソファの一つに横たえて浴場の中に入った。


 クインは黒く輝く"清めの石台"にお湯を何度か流し掛け、人肌程度の温かさになるよう調整する。


 清めの石台とはクインの腰高くらいの高さで、大人一人が丁度横になれるような大きさの石、いや岩の塊と言えばいいだろう。まるで星空を固めたような色合いの立方体の石は、保温性と硬度も高く水捌けもよい。やはりこれも貴族が下女に体を洗わせる時に使用するものだが、今では本来の目的に使われる事はない。ただ、今回のような意識のない人間を洗うには適しているだろう。そう考えながら、石鹸や香油、手拭い、手桶などを並べ更に鋏も配置した。クイン自身も浴着に着替えて少女を石台まで運びそっと寝かせる。


「さて、先ずはこの服から……」


 手首に巻かれた止血帯を取り除き、もう着る事もないだろうその衣服に鋏を入れていく。チョキチョキと音をさせながら少しずつ少女の体が露わになっていく。







 クインは自身の息どころか、心臓すら止まったのでは……そう思う程に衝撃を受けていた。


「信じられない……1,2,3,4……5,6……7つ、7つの刻印? こんな事、有り得ないわ……こんなのどんな文献でも見た事がない。それにこの紋様はどの神々の刻印なの? 印象で言うなら"鎖"というところだけど……」


 首、左肩、右胸、下腹、右太腿、左脛、左尻の計7箇所に大小の刻印が刻まれている。夢中になっていたクインは、このままではキリがないと頭を振り、少女も風邪を引いていけないだろうと体を洗い温め始めた。


 石鹸を泡立て、先ずは素手で万遍なく洗う。少女の身体は軽く、背中などを綺麗にするのも大した労力ではなかった。お湯で濯ぐたびに真っ黒な汚水が流れたが、その内に透明になっていく。更に手拭いを泡立て仕上げに優しく磨き上げる。この頃になると、少女のしっとりした肌、僅かに膨らんだ乳房、腰のくびれから小さなお尻まで、まるで創られたかの様な身体にクインでさえも思わず溜息が出てしまう。泡立った体にもう一度お湯を回し掛け、遂には艶やかな全身が露わになった。



「なんて美しい娘……この黒髪は初めて見るけど、まるで夜空の様に吸い込まれそう。肌も変わった色だけど綺麗……少し痩せ気味かもしれないけど、女性として完成に近づいてる。思ったより年齢は高いのかも」


 でも綺麗すぎる、この肌は異常と言っていい……


 王族であるアスティア様ですら、多少のシミやキズはあるものなのに。この子はシミひとつ、キズひとつ存在しない。だからこそ手首の怪我は目立つけれど、それ以外はまるで生まれたての赤子か、あるいは……そんな風に数々の可能性を考えたクインだが、今は別にやる事がある。


 濡れた体を柔らかい綿の布で拭き上げ、肩まで伸びた真っ直ぐな黒髪を包み込み優しく押さえて水分を取る。疲れに効く香油を薄く塗り、軽く揉みほぐしながら仕上げを行った。


 そして自身も体を拭き、予め用意してあった筆と用紙を手に取り刻印を模写し始めた。自分でも調べるが、見渡した限り一部しか分からない。やはりコヒンお祖父様の力を借りなければならないだろう……そう考えたクインは丁寧に、時に興奮しつつ筆を動かし続けた。







 下着と星空をあしらった濃い群青のワンピースを纏わせると、客間の一室のベッドに少女を横たえシルクの肌掛けで覆った。少し乱れた黒髪を手櫛で整えて、柔らかい頬を軽くひと撫ですると部屋の鍵を閉める。そして、其処を後にした。


 あの様子なら目覚めるとしてもまだ先だろう。いや目覚めてくれればいい。


 美しい少女の瞳が開く時を想像しながら、祖父であるコヒンの元へクインは歩き出した。














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