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70.聖女の歩む道⑨

 




 第三、第四戦までは良かった。魔獣を誘い込み分断、そこから囲い込んで殲滅する。森人が降らす矢の効果は絶大で、騎士は力を存分に表す事が出来たのだ。


 しかし魔獣も少しずつ学習したのだろう。我先にと無闇に突っ込むしか無かった魔獣は、円陣を崩そうと薄いところを狙い始めた。それを防ぐためにと騎士を動かせば、また別の場所が狙われる。そうしている内に内側の円が抜かれて、今は後陣でも対応する必要が出ていた。


 更に言えば魔獣の死骸も少しずつ邪魔になっている。ある程度の広さが必要な戦いだが、戦線は下がっていくだろう。


 つまり、円陣は崩れかけているのだ。


 負傷者も加速度的に増加し、交代もままならない。勿論予定通りにならないのは戦場の常だ。


「くそ……応援の隊はまだか……」


 疲れも効率的な戦いを阻害する。今まで躱せていた攻撃も僅かに当たり始め、森人の命中率も下がる。とにかく今は増援と補給が必要だった。


 ケーヒルはその空気を感じ、士気を保つべく声を上げようとした。厳しいのは承知だが、どのみち楽な戦いではない。これからも綱渡りの状況が続くのだから。


「副団長、あれを……!」


 隣りで折れた剣を入れ換えていた騎士の一人が叫ぶ。城壁を指差し叫ぶ先にはフェイ達の姿があった。


「まさか……」


 ケーヒルのその声には歓喜の色が滲む。何度否定しても消えなかった絶望感は、今消え去った。


「殿下……! アスト殿下!!」


 フェイに支えられながらも、アストははっきりとした意識でケーヒルを見返し頷いたのだ。後陣に配された騎士達も少しずつ気付き始め、俄かに士気を高め始める。


 そしてアストは……リンディアの若き王子、そして英雄の一人であるアストは高らかに宣言した。


「リンディアの騎士よ! 森人よ! 私は生きている!」


 混乱する戦場にアストの声は響く。騎士達どころか、何匹かの魔獣すら振り向いた。それを気にもせずに続く。


「皆の戦い、見事だ! 力及ばずとも私も参戦させて貰う。私達は必ず勝てる! 我等はリンディアの誇り高き騎士、そして魔獣など意に返さない森人なのだがら!!」


「「「おおーーー!!」」」


「そうだ! 我等はリンディアの騎士!」

「魔獣がなんだって言うんだ!」

「俺達は勝つ!」

「リンスフィアを魔獣にくれてやるものか!」


 それはまさに爆発だった。


 消えかけていた士気も、希望すらも光り始める。崩れかけた円陣も、疲れ果てていた戦士達も、全てが息を吹き返していった。


 下に合図を送り、城壁から指揮を取ると伝える。フェイに支えられているのはケーヒルからも見えているだろう。アストは弓を持ち、膝立ちに構えた。


 もう一度だ……何度でも立ち上がって剣を取れ。私達に敗北は許されない。背後には絶望に震える人々が、家族がいるのだから。


 アストは一瞬だけ目蓋を閉じ、開くと同時に矢を放った。


 視線の先には倒すべき魔獣しか映らない。その赤褐色の身体に、鏃は突き立った。












 アスト生存の報は皆に希望を与え、戦線は持ち直した。第六の波も防ぎ、今は次の波に備え準備を行なっている。それぞれが簡単な休憩や治療を済ましていった。


 魔獣の死骸は既に300以上あるだろう。腐敗臭など当然まだ無いが、独特の血臭は充満している。


 皆の蓄積した疲労は無くなったりしなかったが、全員が力尽きるまで戦うと誓ったのだ。


 ケーヒルは城壁に登り、アストの手を万感の思いを込めて握った。


「殿下……良くご無事で……陛下もアスティア様もさぞ喜ばれましょう。本当に……良かった」


「皆に助けられてばかりだよ……自分の力ではない。フェイ達が来てくれたんだ」


「ええ、森人の助力たるや凄まじいものがありますな」


 二人は騎士の中では森人の有能さを理解していた方だが、実際の結果は予想を超えていた。ロザリーとの知己には戦闘に関するものは殆ど含まれていなかったのだ。


「もし、カズキがロザリー達と同行していなかったらと考えるとゾッとするな」


 そうですな……そう呟きケーヒルは周囲を眺めた。


「ケーヒル、死傷者の数は……?」


 アストは聞きたくなく、それでも聞かなくてはならない事を言葉にする。


「まだ把握出来ていません……生き残った者は城へと向かわせましたが、おそらく半数近くが……」


「そうか……もっと警戒していれば……」


「自らの命も厭わずに突っ込んで来たと聞きました。誰も予想など出来なかったのです……御身を責めてはなりません。それに、今は前を向き戦わなければ」


「ああ、その通りだ……皆の為に。教えてくれ、奴等の状況は?」


「何故か魔獣は他の突破を試みません。助かりはしますが……しっくり来ませんな。奴等は知恵有るモノ、愚直に過ぎます。何かを狙っているのか……」


 魔獣の死骸は積み重なり、あまりに邪魔なものは脇に避ける作業を行なっている。魔獣の侵入は崩壊した跡だけであり、燃える水が燃焼している内は動かないようだった。


「上から眺めたが……しっかりと統率されていると感じた。ケーヒルの言う通り、不自然だな」


「ですが、分からない。北も西も殲滅を終えましたが、特に変わったところは……南も数は驚異ですが、代わり映えしない。それに、応援が来れば休息を挟めます。このまま何もなければ良いですが」


「……ジョシュは? 姿が見えないが」


「北の殲滅は終えたと報告はありましたが、まだ合流しておりません。先程確認の伝令を向かわせました」


 アストはジョシュの動きに疑問を抱いた。アストの側付きとして仕えて来たジョシュは任務に厳格で、冗談すら中々通じない程の堅物だ。この混乱の中ではあるが、だからと言って普段の行動を変える者ではない。


「何かあったか? 北に異変は感じないが」


 アストは振り返り、北側を確認する。戦闘の気配は感じないし城壁に変化もない。はっきり言えば静かなものだ。まだリンディア城周辺の方が騒がしく思えた。


「とにかく伝令を待とう。ケーヒル、ここの戦いをどう考える? 正直に言ってくれ」


 今、アスト達の周囲には誰もいない。フェイも森人へ指示を出していた。アストはケーヒルの目を見て、本心でと促す。


「……やはりこのままでは勝てません。我等に数が足りなさ過ぎる。あと数回凌ぐうちに……疲弊し、負傷者は増えていく。先程も殿下の声が無ければ危うかったでしょう。何より魔獣共が学び始めています……円陣を崩そうと動きが変わりました。何らかの伝達方法を持つとしか……」


「ああ……魔獣はまだ五千を越える数だ。しかも増えないと言い切れない……やはり最初の城壁崩しが効いたな。ジョシュが合流出来て、何とか時間は稼げると思いたいが」


 二人には平原で炎が消えるのを待つ魔獣の姿が有り有りと見える。それは、酷く恐ろしい光景だった。蠢いていて生きているのは分かる。なのに生物としての躍動や意思を感じない。全ての魔獣は此方を向き、今か今かと攻め込む時間を待っているのに……


「奴等は一体何なのでしょうか……? およそ獣や動物とは思えません。現れ出て数百年、未だに分からない事が多すぎる」


 ケーヒルは下を眺めながらも、何処か悍ましさを感じるのだろう。僅かに声が震えていた。


「……俺にも分からない。だが奴等の目的だけならはっきりしている」


 人を殺し尽くす……ただそれだけは間違いない。和解も出来ず、どちらかが滅びるまで戦うのだ。絶望がヒタヒタと近づくのを感じる。アストもケーヒルも、それを感じるのだ。このままでは負けてしまう、逆転の方法も思い浮かばない。どれだけ言葉を重ねても、勝つ手段は浮かばなかった。


「消える……」


 炎が消える様は絶望を、そして希望が消え去るのを示すのか……


 だが……絶望が何処から現れるのか分からない様に、希望も突然に姿を見せるのだ。その希望は二人の背後、リンディア城へと続く道から近づいて来る。




 俄かに皆がざわつき始めた。


 疲れ果て座り込んだ騎士は顔を上げる。


 痛みを堪えて包帯を巻く森人は不思議な表情を隠さない。


 負傷が激しく、肩を貸されながら後退していく者達は一人で立ち竦む。まるで先程までの有り様など無かったかの様に、その場に立ったのだ。


「な、なんだ?」

「痛みが……」

「出血が止まった?」

「折れた脚が……」

「見てくれ……立てるぞ……」

「う、嘘だろう?」


 怪我を負った者も、無事な者も、自分達に何かが起こっていると知った。そして、城へと繋がる道に多くの……沢山の騎士や森人が歩み来るのが見えた。


「なんだ……?」


「まさか……」


 ジョシュの応援かと思ったが、明らかに様子が違う。そして、その様な不可思議な現象を起こす事が出来る人物など一人しかいない。だが、あの娘がこんな場所に来る筈など無いのに……


 やがて戻って来た騎士や森人達は、歩みを止め走り出した。消えゆく炎を見て自分達が参戦する為、そして何よりリンディアと……救いを齎らした彼女の為に!


「皆は休んでおけ! 俺達が代わるぞ!」


「我等は救われる!」


「死の淵から、ヴァルハラから舞い戻ったんだ!」


「俺達の後ろを見るんだ!」


「見ろ、分かるだろう!」


 魔獣へと立ち向かう者達が口々に叫ぶ。


 炎が消えゆくのすら忘れ、戦い疲れた全員がその姿を捉えた。そして、それが誰なのか直ぐに分かった。幻の様で、それでも決して消えたりはしない。


 幻に人々を癒す力など無いのだから。



「殿下……あれは……」


「何故……どうして此処に……?」



 多くの者が配置に付いた事で、漸く希望が姿を見せた。周囲には数人の騎士が残るだけ。その騎士達と比べればあまりに小さい。なのに目は離せなくなる。戦場には似つかわしくない少女は、目の前に広がる凄惨な光景に怯える事もしなかった。むしろ少しだけ足早になってアスト達が佇む城壁へと近づいて来る。


 だから……城下の広場で誰もが驚き、そして歓喜した現象は当然ここでも起きた。



「聖女様……黒神の聖女……」

「カズキ様だ……」

「癒しを我等に?」

「神々の救いだ……」

「見ろ、怪我なんて跡形も無い!」

「戦えるぞ!」

「応援だってこんなに!」



 それはある意味でアスト生存の報より大きなうねりを産む。聖女の降臨は、全ての者に希望を齎したのだ。




 だが、聖女の力は発露に血肉を求める。それを知るアストは寧ろ焦りと怒りすら浮かんでいた。今も刻印に縛られて、カズキの意思など消え去っているかもしれないのだ。歓喜の声を上げる皆を見ながらも恐怖に駆られてしまう。


「カズキ……こんなところに来てはダメだ……」


 刻印に縛られたカズキが血肉溢れる戦場になど……アストはカズキの傷付く姿など見たくは無かった。騎士や森人に決死の戦いを求めながら、それは余りに理不尽な願いかもしれない。それでも自分の気持ちを否定など出来なかった。


 その時……まさか呟きが聞こえた訳でも無い筈なのに、カズキがアストを見た。間違いなく翡翠色した瞳が此方を捉えたのだ。


「カズキ……なっ、なに……⁉︎」


 負傷した脚にジンワリとした暖かさを覚えた。思わず下を見たアストの感覚に、優しく掌で包んだ様な、陽の光を浴びた様な、そんな暖かさを感じたのだ。


 そして痛みはあっさりと彼方へと消えて、完治したと報せる。


「殿下……?」


「治った……この距離で、触れる事もなく……」


 アストは呆然としながらも、脚を上下に動かしていた。


「信じられない……これ程距離が離れているのに、それどころか全員の傷を癒すなんて……」


「殿下、カズキの髪が」


 ケーヒルの呟きに、アストはカズキを視線に入れる。情けない事に今更気付いた。出会った頃の様に、後髪が短く切られていることに。あの特徴的で美しい黒色は肩口で乱暴に垂れている。


「髪を捧げたのか……皆の為に……」


 アストの胸には熱い……強い想いが湧き起こった。愛おしい、哀しい、そして抱き締めたいという渇望だ。


 カズキはアストの姿を捉えて、薄く微笑んだ。


 アストはもしかしたら初めて、聖女の微笑を見る事が出来たのかもしれない。激しく鼓動は高まり、強い多幸感が浮かぶ。


「カズキ……」


 今ここに居る全員が感じた。


 魔獣の侵攻に打ち勝ち、再びリンスフィアに平穏が齎らされると信じたのだ。










 だから、アストもケーヒルも一瞬忘れてしまった。


 此処にジョシュの姿が無く、伝令すら戻らない事を。


 そして炎は消え去って、魔獣が動き始めた。







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