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6.王都リンスフィア

 





 リンディア王国


 カーディル=リンディアを王と戴く、500年以上の歴史を誇る大陸中央に位置した大国だ。魔獣が現れる300年前よりずっと昔から存在する数少ない人の国。人口は王都リンスフィアと周辺部だけで30万人を超え、今や世界最大の国でもある。


 尖塔3本が映える白亜の王城を中心にして、内円部と外円部に分かれており、更に都の外周には畑や放牧を行う農家が点在している。王城から周辺を眺めれば、遥か遠くまで続く丘と緑の絨毯が敷かれた美しい景色をその目に映すだろう。魔獣が闊歩する森はまだ遠く、王都の国民は未だ日々の安寧の中にいた。


 だが、国を守る貴族達は領地を少しずつ森に喰われて数を減じ、今や王都周辺の直轄地しか殆ど残っていない。内円部に住む貴族達は騎士団に参じるか、一部王政を補佐する内務にしか力を表せない。


 王国の最盛期は人口100万を超える冠たる大国だったのだ。








 騎士団副団長ケーヒルにも劣らない体躯を揺らすリンディア王カーディルは、毎朝の重要な祭祀である白神への祈りを捧げるべく王の間の更に奥、白祈の間(はくきのま)に来ていた。


 白祈の間は、城の外側に迫り出した足場と真っ白な内壁で構成された広間だ。リンディア勃興の古より受け継がれ、代々の王が連綿と祈りを捧げてきた。王、或いは直系の子息、そして祭祀を補佐する一部の者しか足を踏み入れる事は許されていない。其処からは広い空と白壁以外には視界に入らない、他国にすら名を轟かせた特別な場所だった。


 リンディア王は王政の主でありながらも、同時に神へと祈りを捧げる祭司でもある。


「白き神々よ、寄る辺なき迷い子の我等が祈りを捧げる事をお許し下さい。どうか小さき我等の声にその輝く耳を傾け下さい」


 祈りの神代文字が彫り込まれた王冠を外し、右手には真円の銀円盤を持つと、中空に視線を向け目を細めて祈願宣誓の言の葉を綴る。




 どれだけの日々を白神に祈って来ただろう……




 白髪混じりの白銀の髪を後ろでまとめ、綺麗に整えられた顎髭もやはり鈍い銀色をしていた。


 少しだけ緑掛かった青い目も今は濁って見える。息子であるアストより精悍で、人生を重ねてきた男の表情は目を惹くだろう。しかし、そこには間違いない疲労と不安があった。


「神々は答えて下さらない……今こそ救いが必要なのに」


 つい不遜な言葉を吐き、口をつぐむ。


「いや、私の祈りが足りないのだ。我が妻アスも言っていたではないか……終わりはないと」


 顔を上げ、もう一度祈りを捧げるべく祭壇に立った。暫くの時間、カーディルの祈りが白祈の間に響いて行った。






 毎朝の祈りを終え、白祈の間から去るカーディルの元へ落ち着いた声が届いた。


「陛下、先程早馬が参りました。アスト殿下がお戻りになるとのこと」


 リンディアの王は眉を顰めて侍従長へ言葉を返す。


「黒の森周辺部の調査はまだの筈だが……何かあったのか?」


「詳しくはなんとも……ただ戦死者が出たと聞いております。アスト殿下は御無事ですが……」


「……そうか。戻ったら報告に来るように伝えてくれ」


「はっ」


 深々と頭を下げ、足音も立てずに歩き出す侍従長にカーディルは声を掛けた。


「アスティアはどうしている?」


 侍従長は振り返ってニコリと笑い答えた。


「はっ。陛下と朝食を一緒にと、食の間にてお待ちございます」


「そうか、そうだな」


 先程迄の肩に掛かった重みが軽くなった気がして、カーディルも笑った。









 アストとケーヒル、供の騎士の3人は、王都の外円部の大門まで辿り着いた。門は既に開け放たれており、騎士団が両脇を固めてアスト達の帰りを待っている。


 アストは何時もの様に皆へ礼を言うべく口を開きかけたが、懐に抱く少女が驚いてはいけないと手を挙げ笑顔で挨拶をした。


 皆は胸元にいる誰かが気になるようだか、流石に声をかけたりはせず見守っている。ひとまずマントで覆い隠していたのも意味があったのだろう。少女の首周りの刻印は遠くからでも目立つため、一先ずは隠すようケーヒルの進言があったのだ。


 両脇の騎士達には唇に人差し指を立て静かにするよう頼みながら進む。皆も直ぐに察してくれたのか、鎧の擦れる音すら消えたのには思わず笑顔が溢れてしまう。


 大門を抜けると、王城まで少なくとも3つある門を走り抜ける事が出来る王族専用の馬車と、その直ぐ側に背の高い20代中頃の女性が立っていた。見事な立ち姿の彼女は、リンディアでは珍しくない金色の髪を肩口で切り揃えている。


 少女を落とさないよう気を付けながら馬を降り、アストはその女性に顔を向けた。


「クイン、態々の出迎えを済まないな。助かるよ」


 侍女の一人でもあるが、いくつかの特殊技能を持つクイン=アーシケルは、王族専任の相談役でもある。アストより頭一つ分低い位置にあるリンディアでは矢張り一般的な青い瞳を王子に向け、優雅に礼をした。


「お帰りなさいませ、殿下。 ですが、使用人が出迎えた事に礼は必要ありません」


「あー……わかったわかった、全く……」


 苦笑するアストにクインは言葉を重ねた。


「その子が先触れにあった者ですか?」


 マントに隠されているが、少女であると聞いている。


「ああ。今は落ち着いているが、昨夜はかなり魘されたのか苦しんでいた。私達では何も出来ないからな、急いで帰って来たんだ。色々込み入った事情もある。詳しくは馬車の中で話そう」


 会話の後半は小声になった事で、察したクインも緊張した面持ちで頷いた。








「致命傷を治癒ですか? 殿下、それは流石に……」


 敬愛する王子を疑うなど不遜だが、クインは整った眉を僅かに歪めた。


「ああ、勿論信じられないだろう。だが事実……それにまず此れを見て欲しい」


 架けてあったマントを優しく捲った。不思議な色合いの髪が揺れて目を取られたが、そんな事はすぐに意識から消え去る。


「刻印が……信じられません、これ程の……」


 整った(かんばせ)を再び歪め、眼を見開き少女の刻印をクインは見つめた。サラサラと黄金色の髪がかけてあった耳から零れ落ちるが、馬車の揺れも気にせず瞬きも出来ない。


「これ程とは、やはり強い癒しの刻印なのか?」


 クインは即座に首を振り否定の言葉を口にした。


「いえ……まだ詳しくは分かりませんが、癒しの刻印ではありません。驚いたのはここです」


 指を添えた箇所には神代文字が連なっている。蛇が首をもたげたと表現された左耳の後ろ辺りを指差し、少し震えた唇を開く。


「記憶が間違いなければ、これは<3階位>です、殿下。わたくしも実物は初めて見ます」


「3階位……神に至る架け橋か」


「はい、人が到達出来る最も強力な階位です。勿論4、5階位とまだ上がありますが、それはもはや神の領域ですから」


「想像を超え過ぎて混乱するが、癒しの刻印ではないのは間違いないのか?」


「それは間違いありません。実物も見た事が有りますし、文献で何度も確認しています」


「ではあの奇跡はなんだったんだ? あのままならば間違いなく死んでいた。助かる筈のない致命傷だったのに……」


「殿下、癒しの刻印にそのような力は元々ありません。薬効を高めたり、高熱を下げるよう働きかけたり、そのような刻印なのです」


「だが、ケーヒルやジョシュ、皆も間違いなく見たんだ。私だけの幻や夢なんかじゃない」


 クインは美しい所作で右手を顎に当て、少し考えてアストに告げる。


「……殿下、あちらを向いて下さい」


「なんだ? 突然に?」


「この子に他の刻印がないか調べます。それとも一緒に服の中を見ますか?」


「っ! いや!わかった」


 アストは慌てて骨が折れるのではという勢いで体の向きを変えた。


 アストが此方を見ていない事を確認し、クインは胸元から服を持ち上げ覗き込む。汚れた服に助けられたのか、其処には綺麗な肌があった。少女らしい慎ましやかな膨らみ、細い腰と薄い腹も見える。だが、視線を奪われたのは別のものだった。


「ヒッ……! う、うそっ!」


 クインは普段被っている仮面も気にせずに声を上げてしまう。いつも飄飄としている彼女なだけに、それを知るアストも慌てた。


「ど、どうした? クイン、大丈夫か⁉︎」


 そこで振り向かなかったアストは褒められていいのかもしれない。


「い、いえ、あっあのっ……も、申し訳ありません。振り向いても大丈夫です」


 何とか平静を取り戻したクインは、持ち上げていた服を整えてアストに答えた。平静を装うが、クインは少女から視線を離せない。隠した動揺は暫く治らないだろう。







 王城へと続く最後の門を抜けるところで馬車の揺れが緩やかになった。ここからは速度は出せない区域だからだろう。


「大丈夫か?」


 再び少女を挟んで向き合ったクインに先程と同じ質問をする。


「はい。御心配をお掛けして申し訳ありません」


 しかし様子は変わらず、興奮が隠せないのか白い頬が赤く染まったままだ。


「で? 刻印はあったのか?」


「あったと言えば……ありました。その……いくつか……」


「いくつか? はっきりと言ってくれ」


「未だに信じられませんが、見える範囲で3つの刻印が……ありました」


「3つだって? 喉にある刻印を入れて3つもあるのか!?」


「殿下……服の中に見えるだけで、です。つまり4つの刻印がこの子に刻まれているのです」


「なっ……」


 絶句するしかないアストは、唾液を無理やり飲み込んで何とか話を続ける。


「そんなこと有り得るのか……? 確か人が授かる加護の限界は2つだった筈だろう?」


「はい。凡ゆる文献や言い伝えでも、其れはよく知られた事実です。ですから詳しくは調べてみないと……ただ恐らくですが癒しの刻印はありました。いえあったとしても、殿下の言われるような力は有る筈も無いのですが」


 ふと思い付いたクインは言葉を重ねる。


「一つ気になることがあります。もし人の許容を無視して無理矢理刻印を刻まれたなら、この子は魂魄の限界を超えて力を行使したのかもしれません。長い眠りも、昨晩の苦悩も人としての最後の抵抗と考えることが出来ます」


「つまり、この子は自分の死の危険を顧みずに私の命を救い、このまま眠り続けると?」


 アストの顔が幼い迷い子のように、涙が溢れそうになる。


「殿下、あくまで推測です。刻印も詳しく調べれば何か判明するかもしれません。お祖父様にも力を借りましょう」


「コヒンか……そうだな、この子はまだ生きている。きっと目を覚ますはずだ。クイン、この子の体を清めてやってくれ。私は陛下に報告へ上がる。何か分かったら直ぐにでも教えて欲しい」


「はい、お任せくださいませ」








 王城に到着した三人は其々に別れた。クインと少女はそのまま浴場に行くのだろう。相手が子供とはいえあっさりと抱き上げた時は驚いたものだが、「凄く軽いですよ、この子 」と答えてそのまま姿を消した。


 アストは先ず自室に戻った。簡単に体を清めた後すぐにケーヒルと合流し、二人で王の間までの長い廊下を歩いているところだ。


「ほう……刻印が4つですか? そんな事が有り得るのですかな?」


「クインが確認したからな……間違いない筈だ。それに、あれだけの奇跡もそれなら納得出来るだろう?」


 クインが言った刻印の負担が体を蝕んでいる可能性は伏せて伝えた。アストだって言葉にするのも苦痛だからだ。


「ふむ、そう言えばそうですな。刻印の調査はクイン嬢が?」


「ああ。まあコヒンの知恵も借りるみたいだが、クインなら間違いないだろう」


「クイン嬢の御祖父ですな? 元宰相でありながら神代文字の大変な権威と伺っております」


「そうだ。クインがあれだけ刻印に詳しいのもコヒンの影響だろう」


 王の間に着くと二人は一度目を合わせ頷き、扉を押し開いた。















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