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58.絶望への足音①

 





 北限の街ーーー


 つい数年前までマリギはそう呼ばれていた。森が見えるところまで迫って来た頃、街を捨てるか留まるかを決めかねていたのだ。この頃は魔獣が地下に棲み、森の隅々まで巣を広げていると知られていなかった。森人のイオアンが発見し、聖女がその想いを拾うまでは誰も……


 森と言う緑に半分が覆われつつあっても、マリギはまだ人の営みの跡を残していた。マリギ名物の郷土料理を振る舞っていた店には皿やカップが埃を被りながもそのまま残っている。錆びたナイフや形の崩れた金具が店先に放置されているのは鍛冶屋だろう。


 そして、馬車が行き来していた轍は街の南から、森に呑まれた北へ消えて行く。






 カズキが聖女の間へ帰り、アスティアに優しい抱擁を返していた頃……


 静寂に包まれていたそのマリギは、その沈黙の時を終えつつあった。


 人の荒い息遣い、土を踏み付ける蹄、剣や鎧の奏でる金属音……三つ程の小隊か、騎士達が規則正しく行軍している。南から入った彼らは、それぞれの目的地へと分かれ、手には松明が掲げられていた。


 騎士の全ては決められた行動で、これから数日馬から降りる事は無いと覚悟している。小便も馬上で行い、口にするのは水と干し肉、焼き締めたパン、そしてククの葉だ。


 陶器の擦れる音は全ての騎士から聞こえ、液体で満たされたそれはチャポチャポと揺れる。燃える水と呼ばれる液体は、一度火を付ければ水を掛ける程度では消えない。


 他の駐屯地の隊は森へ侵入し、大量に貯められた燃える水をばら撒くだろう。しかしマリギには生木とは違い燃え易いものが多い。それは人が住まなくなった沢山の家達だ。装備はずっと前に準備を終え、あとは合図を待つのみだった。


 目配せを終えた各隊は散り散りとなり、かろうじて形を残す家屋へ燃える水を振り撒き始める。直ぐ目の前には鬱蒼としげる樹々があり、その先は薄暗い。それを確認した小隊は再び後退し、火矢の準備をする。あとは怒りに駆られた魔獣共が現れるのを待てばいい。


 奴等が我を忘れるまで痛め付け、誘導するのだ。


 あとは()()()()()リンスフィアまで死と隣り合わせの旅をするだけ。


 その覚悟と動きは、南の森で魔獣の波に呑まれた新人騎士達と違い、此処にいる者達の練度を物語る規律ある行動だ。


 馬に括り付けた矢筒から、先端にボロ切れを巻き付けた矢を取り出す。油を染み込ませた布は松明の火を簡単に移し、赤々と燃え上がった。そうして放たれた何本もの火矢は、美しい放物線を描いて飛んで行く。そうして赤く燃え始めた炎は、巨大な火柱となって天を焦がし始めた。



「長い……本当に長い間、我等は怯えていた。皆の家族、仲間、多くの人々が恐怖の中で暮らしていた。だが、それも終わる! 今日この時から人は反撃を開始するのだ! ()()()()()()()、尊い言葉を()()()()のだ! リンスフィアで待つ、と!! 神々と神の使徒、聖女カズキが見ておられる。例え自らが死するとも悔いる事は無い。最後の一兵が魔獣を王都へと誘えばよいのだ!」


 そうすれば、憎き魔獣は全て死に絶えるだろう。神の御意志のままに……


「さあ、始めよう」


 誰かが掲げた言葉は、新しい時代への足音か、それとも滅亡への悲鳴か……今はまだ誰にもわからない。








 マリギから更に北、森の深部の手前……大木の側に動く何かがいる。いや、動いているのは若葉の茂る低木達だ。まるで脚でも生えている様に左右に離れていくのだ。どう見ても根など張って無い筈なのに、青々とした葉に活力があった。


 そうして現れた地面には黒々とした穴が有り、中から赤褐色の太い腕が伸びている。指先からは剣と見紛うばかりの爪が光り、続いて低い唸り声が響き始めた。


 魔獣達は一匹、また一匹と姿を現して燃え始めた森を睨み付ける。歪な犬を思わせる飛び出した口には涎に濡れた牙が幾本も生えていた。充満する煙の中から人の匂いを見つけたのか、鼻がヒクつき唸り声は怒声へと変化しつつあった。


 魔獣達の棲家は其処だけでは無い。横にずれた岩、倒れ苔むした大木の下、人の立ち入らない崖の洞窟、凡ゆる場所から魔獣は溢れて来る。


 再びマリギへと魔獣が襲来するまで時間は掛からなかった。










「ロザリー……アンタ、馬鹿だよ」


 エレナはロザリーの最期を知り、思わず呟いた。


 マファルダストがテルチブラーノに久しぶりに来たあの日、それがロザリーに会う最後とは……エレナは只、泣く事もせずに手紙を読んでいた。


 あの少女が聖女だと直接聞いた訳では無い。だがマントの下から現れた服は酷く破れ、刻印が露わになっていた。今や知らない者など居ない黒神の聖女だが、あの頃は噂話程度だったのだ。


 あの美しい少女を救うため我が身を犠牲にしたロザリーは、聖女の母として尊敬を集めているらしい。


 ロザリーとエレナは腐れ縁の仲だ。森人となる前から知るエレナにとって、ロザリーは決して強い女性ではない。会う度に憎まれ口を叩くが、いつか大変な事になるのではと気を揉んでいた。


「それが、聖女様を守るために死ぬなんてね……ルーやフィオナも泣くか笑ってるよ。私は泣いてなんてやらないからね」


 エレナは手紙を収め、目の前にある布切れへ鋏を入れる。明日までに預かった服を修繕しないといけない。他にも頼まれ事は多く、忙しいのだから。


「歳かね……よく見えないよ……」


 エレナは何故か見え難くなった鋏を置き、袖で両眼を拭った。


「……げろ! もう直ぐそこまで来てる!」

「早く……!」

「もういい、放っておけ!」


 外から聞こえる大声に、エレナは立ち上がって扉を開けた。


「なんだいこれは……?」


 西側から大勢の住民が流れて来ていた。皆が緊張した面持ちで、中には泣いている者までいる。少し離れた家の屋根には騎士が登り、叫び声を上げている。


「エレナ、まだ居たのかい!? 早く逃げないと!」


 治癒院にいた手伝いの婆さんがエレナの姿を見て声を掛けた。


「逃げる……? 婆さん、何が」


「魔獣だよ!! 魔獣の群れが直ぐそこまで……いいから来な! 逃げないと!」


 強引に手を引かれたエレナは、逆らう事も出来ずに人の波に紛れて行く。店には沢山の衣服が残るが、今更流れに逆らう事など出来そうにない。エレナは振り返り、自分の店が遠くなっていくのを他人事の様に見て、不意に悲しくなった。




「早く馬車へ!!」

「そんな荷物は捨てろ! 一人でも多く乗せるんだ!」

「子供が先だ、早く……」

「全員振り向かず、リンスフィアまで止まるな! 分かったな!」

「ああ……家が……」


 テルチブラーノが壊滅するのを、生き残った住民達は眺める事しか出来ない。


 カズキの服を揃えたエレナの店も、ロザリーと焼菓子を味わった宿屋も、全てが赤い波に飲まれて行く。





 それは余りに……魔獣の襲来は余りに突然だった。


 確かに兆候はあった。遠見の者が燃える森を見つけて上官に報告し、その上官が調査の隊を編成しようと動き出したりもした。それでも活動中の森人も騎士団もいないと分かっていた皆は、時に起こる自然発火の一種だと思ったのだ。騎士によっては魔獣の棲家が燃えるのを嘲る者すらいたくらいだ。


 土煙を上げ、逃げて来る小隊を発見したときは何かの冗談だと思った。その後ろから赤い波が押し寄せて来て、それが魔獣の群れだと理解した頃には全てが遅かったのだ。


 魔獣を警戒してテルチブラーノの森側の丘は削られ、幾本もの丸太で壁を作っていた。騎士も常駐し、避難までの訓練も怠ってはいなかった。ところが防衛の準備をする時間を稼ぐどころか、逃げて来る騎士達は魔獣へ当たりもしない矢を射る始末だ。


「奴等は何をやってるんだ! アレでは魔獣を誘導するだけだぞ!?」

「何故燃える水を使わない!? 魔獣の進路を限定しろ!!」


 遠見の者達は、我慢出来ずに叫び声を上げる。聞こえる筈もないが、それも仕方がないだろう。テルチブラーノは未だ防衛の準備は整っておらず、混乱の一途を辿っているのだ。せめて住民が避難する時間を稼ぐのが、騎士の責務なのに……


「あれではまるで」


 テルチブラーノへ……呟いた者は想像もしてないだろう。主戦派に与した彼等が正にテルチブラーノを生贄にして、更にリンスフィアまで引き連れて行くつもりなどと。





「ギャッ!!」


 また一人、若い騎士が魔獣の爪を受け損ねた。肩から胴体まで切り裂き、一瞬で絶命する。その魔獣は満足出来ないのか、もう片方の腕を横に振った。肉塊となった騎士を見ていたもう一人は呆然としたままで、鈍い音を立てながら宙を舞う。首から落ちた彼は、ゴロゴロと転がりピクリともしなかった。


「くっ……接近し過ぎるな! 倒す事は考えなくていいんだ! とにかく時間を稼いで……」


 声を荒げた小隊長は自分に影が落ちるのを見た。


 見上げた空には赤い塊があって、逃げる事すら意味が無いと知る。


 ズガッ!! ドッッ!!


 魔獣の巨大な身体が地面に落ちた時には、小隊長の声は簡単に途切れた。地面に咲いた赤い花は、ゆっくりと花びらを広げていく。その中央には濁った赤褐色の魔獣が立つのみ。


 グィィウゥガァーーー!!


 歓喜の雄叫びか、魔獣は両腕を上げ尖った口を大きく開いた。


「しょ、小隊長が……」


「駄目だ……後退、後退する!!」


 時間稼ぎすらままならず、騎士達は後退を開始するしか無かった。


 魔獣の群れはテルチブラーノの丘まで取り付き、まるで押し寄せる波の様に赤く地を染めていく。


 せめてもの反撃にと燃える水を丸太に振り撒き火を付ける騎士も数人いたが、それすら意味があるとは思えない程の魔獣。そんな数えるのも馬鹿らしい魔獣の群れが襲い掛かったのだ。


 未だ残る住民達は多く、どれ程の犠牲者が出るか想像するのも恐ろしい。


「仕方がない……西側の壁と家々に火を放て! 住民の逃げる時間を稼ぐぞ!」


 テルチブラーノが滅びるのは止めようがないだろう。しかし、一人でも多く避難させないと……残る小隊長は僅かしかいない。単純で分かり易い命令くらいしか実行は難しい。


「お前! ああ、お前だ! 隊から離れ、リンスフィアに走れ! 陛下にお伝えするんだ、テルチブラーノは壊滅寸前で撤退を開始すると! 止まらず走り抜けろ! 分かったら復唱しろ!」


「は、はい!! 隊を離れリンスフィアに向かいます。テルチブラーノは壊滅寸前で撤退を開始すると陛下にお伝えします! と、止まらず走り抜けます!」


「そうだ! 行け!!」


 若い騎士はバタバタと東に走り去って行く。振り返る事もせず人の波に消えたのを確認して、小隊長は戦場に目を向ける。


「なんだ?」


 隊の皆は緊張しながらも、ほんの少しだけ笑みを浮かべていた。まだ若い騎士を逃す為、小隊長が命令を下したと知っているからだ。勿論カーディルへ伝えるのも重要だが、報せの早馬は他にもいるだろう。


「へ、変な勘繰りをするな! 早く火を着けて回れ!」


「分かってますよ、小隊長。まあ、一花咲かせますか!」


 隊の皆の士気は高まり、皆はキビキビと動き出す。助かる者など誰一人いない戦場なのに、絶望感を顔に浮かべる騎士など存在しなかった。


 彼等の戦いは正に死への旅路と同じだったが、それにより助かった住民達は百を数えた。誇りある騎士達は魔獣を数体討伐せしめたのだ。


 そんな魔獣との戦闘はあちこちで起き、テルチブラーノ壊滅まで僅かな時間を稼いだ。






「随分とテルチブラーノの連中はやるな……予想より魔獣の進行が遅れているぞ。だが、愚かな連中だ……これが聖戦だと何故気付かない。リンスフィアには聖女様がお待ちなのだぞ」


 テルチブラーノの東側、つまり森とは反対側で足を止めた主戦派の騎士は、少しだけ数の減った隊を眺めた。


 その言葉は空間に溶けて、誰にも届かない。周辺の者も無言で燃えるテルチブラーノを見るばかりだった。


 避難民はリンスフィアに向け、列となって街道を駆け抜けていく。あれなら追いつかれないだろう、魔獣の進行速度は決して早くはない。


「暫く待機し、波が止まる様なら再び仕掛けるぞ! 今のうちに馬に水を!」


 馬から降りる事もせず、近くの小川に移動を開始する。魔獣の動きは読み難く、即座の対応が望ましいからだ。


 彼等の目には正義への誇りが見える。神々と聖女が望む戦いに貢献していると士気は旺盛だ。それがどれだけ身勝手で、歪んだ正義かと疑う事もない。


 主戦派、いや狂信者達には当たり前の理屈など通用しないのだろう。



 テルチブラーノの空は赤く染まり、それが消える頃には周囲に生き物の気配は無くなった。





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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様です! いよいよ物語も佳境に入りましたか! 主戦派も本格的に余計な事をしてくれたものですね。 [一言] これで、カズキは聖女として動かざるを得なくなってしまったわけですね。 こ…
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